January 24, 2006

30代での挫折について(ホリエモン逮捕に思う)

ホリエモンの逮捕について書こうと思うのですが、その前に若干個人的な体験を。

私は、今までにも何度か書いてきましたように、20代から築いてきた(というほどでもないが・・)仕事を、おととし、辞めざるをえなくなりました。(ホリエモンと同じ33歳のとき・・)

(参考)つまらない話ですが、興味ある方はあるアナハイム社員の話シリーズを・・

事情はいろいろあるのですが、ともかく、自分でいちから立ち上げたという自負がある仕事だっただけに、ショックは大きいものがありました。

そして、今までの経験とはあまり関係ない業務に入ったわけですが、なかなか30すぎてからの転職は想像以上に難しいものがあるなーというのが実感です。

それはさておき、自分が第一人者だと考えていたにも関わらず、追い出されることになった(自分から出た?)私は、傷心の中で、あることに気づきました。

20代に大変頑張った結果、30すぎてから職を失う人がいかに多いか・・

宮崎駿監督は、「カリオストロの城」のあと仕事がなくなり(興行成績が悪く、ホサれたという話あり)、半年間自宅にいたそうです。

そこで、本当はやりたくない漫画の仕事を受けたのが「風の谷のナウシカ」でした。

さらに、漫画用に作っていた「風の谷のナウシカ」を急遽映画にしろと言われ、本当は嫌だったにも関わらず、職場に復帰できる唯一のチャンスだったため受諾。

結果、映画版「風の谷のナウシカ」は大ヒットし、後の世界的な活躍へとつながる礎を築いたのでした。

ガンダムの富野監督は、絵コンテ千本切りと言われる仕事ぶりで、自負もあったにも関わらず、社内評価は低く、虫プロを出奔せざるをえなくなります。

そして、結局30代なかばで、アニメ界からの転職を決意します。一時は一ヶ月の収入がゼロになり、プラモデルで身をたてようと、自宅でプラモデル製作の練習をする日々が続いたそうです。

しかし、その後、サンライズでの仕事がはじまり、数年後には「機動戦士ガンダム」の大ヒットを迎えます。ほぼ全作品に見られる、主人公達一行の、寄り添うもののない不安定な感じは、富野監督の転職・無職時代が反映されていると私は見ています。

アニメネタばかりなのもなんなので、別業界で一例あげると、このブログでも取り上げたアップル創設者のスティーブ・ジョブズの例があります。

自分たちが出しうる最高の作品、マッキントッシュを発表してたった1年後、30回目の誕生日を迎えたその矢先に私は会社を、クビになったんです。

彼は、30歳で、自分が作った会社から追放されました。

彼の苦労と現在のiPodでの大成功へといたる感動の物語は、是非こちらで読んでみてください。

ともかく、私は、30すぎてから、自分の職場を追い出された(もしくは出て行かざるをえなかった)人達が、その後、苦労をバネにして大成功を遂げる例が多いのをみて、大変勇気づけられました。

また、同時期に連載されていたスピリッツの「昴」の中で、科学者(だったかな?)が恩師から受け継いだ言葉「生きてさえいれば、全てのことは私を強くする」(うろ覚え)にも感銘を受けました。

さて、転職した私が今後大成功を遂げるかどうかはおいておき、ホリエモンの話に戻ります。

彼がどうなるかは、今の時点ではまだ何とも言えません。

ただ、もし、万が一(?)、今まで築いてきたものを全て失うことになったとしても、30代前半での挫折というものは、たぶん、より大きくなるためのステップみたいなものだと私は思います。

10年、20年後には、きっと、「あの経験があるからこそ、今の自分があるんです」と、胸を張って言えるようになるのではないでしょうか。

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January 15, 2006

戦後の犯罪数の増加について

犯罪の増加について、いろいろな方からご意見いただき、とても参考になりました。

一方で、思いのほか、あまり治安は悪化していないのではないかという見解(河合教授)や、少年層がキレやすいのはウソだという見解(反社会学)などが強いこともわかりました。

いろいろな意見があってわかりにくくなってきたので、一応、ご参考までに各種資料を集めました。

まず、これが一番基本的な資料だと思います。(以下、全て平成16年犯罪白書より抜粋)

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一般刑法犯だけに限定しても、ここ数年激増しています。これが、いわゆる戦後最悪の治安という考え方の根拠です。

次に、年齢構成別でみます。

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これは一般刑法犯のものですが、これからわかることは、

①比率としては、若年層の犯罪は増えてはいない。(これが反社会学の根拠)

②比率として増えているのは、むしろ50代以上。

その意味で、問題なのはむしろ高齢層であることがわかります。

さて、では、犯罪の増加による安全面での問題はどうかというのを、犯罪の種類別でみると、

(犯罪白書にはほかにもいろいろなジャンルが載っていますが、省きます。)

殺人は、たしかに最近は横ばいです。(これが河合氏の根拠)

しかし、その他のジャンルでは軒並み増加しています。

つまり、殺人に限定すれば危険率はあまり変化していないといってもいいかもしれませんが、犯罪そのものは増加しているといえます。

例として、犯罪のなかでも、安全という言葉に最も関係が深い、生命・身体の被害人数の内訳です。

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死者数はおおきく変わりませんが、重傷者、軽症者は倍増していることがわかります。

まあ、死者だけで1万をこえる交通事故や3万をこえる自殺者の数と比べれば、わずかなものですが、やはり何かが変化していることは確かだと思われます。

この数値を「安全」とみるか「安全でない」と見るかは人それぞれですが、実体把握のため、より一層検討すべき変化だと思います。

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January 10, 2006

小学生に対する殺人事件について2

さて、昨日書いた「小学生に対する殺人事件について」に関し、頂いたコメントに返事を書こうと思ったのですが、量が多くなりそうなので、新規としました。

ゲームの影響と、人相の犯罪学への適用失敗から想定したプロファイリングの限界の話です。

まず、ゲームと殺人事件の因果関係ですが、現時点ではちょっと不明ではないかと思います(まあ、いろいろ影響を言っている人はいますが)。

とりあえず、警察庁の統計ページ犯罪白書を見ている限り、現時点ではテレビゲームが大きく影響を与えているとは言えないと思います。(殺人事件に関しては。しかし、それにしても平成11年以降は他のほぼ全ジャンルで犯罪は激増ですね・・)

ただし、私自身が子供の頃のゲーム(例:インベーダーゲーム)と、最近の、TVや映画以上にリアルなゲームでは、ひとことで「ゲーム」とくくるのも難しいし、正確な影響が判明するには時間が必要かとも思います。

参考までに、研究例も多く、長期的な分析がされているテレビの影響について、前回紹介だけした「男はなぜ暴力をふるうのか」から抜粋します。

「早くも1972年には、10年間に及ぶ研究によって、少年たちが9歳のときにテレビでみた暴力の量は、19歳になった時の攻撃的な少年犯罪を予測するものとして第一位の因子であるという結論が出された。

しかし、1986年の研究では、テレビの視聴によって少年達のその後の暴力が予測されるのは、彼らが虐待を加える父親を持っている場合に限られるという結論になった。

ところが、ややこしいことに、カナダではテレビが登場した後、殺人発生率がほぼ倍増した・・しかも、銃器の数が全く増加していない状態でそうだった。

さらに興味深いことに、センターウォールは、アメリカの囚人の25%を超える者が、テレビで見たのとまったく同じ犯罪を行ったことを示す調査を引用している。

シセラ・ボクによれば、センターウォールの説には、彼の研究が1989年に終了して以来、殺人発生率が著しく下がったのに、テレビの暴力は減っていないという一つの問題点がある。それでも、彼女はテレビの暴力が現実の暴力の大きな一因であることは確かだと言っている。われわれには、それがいったいどの程度影響しているかがわからない。」

因果関係を探るのもなかなか難題のようです。

それから、人相の話ですが、これは別な意味で難しいですね・・下手するとナチス含む優生学の話にもつながってしまうので・・

ちょっと思いついた参考文献があったのですが、見当たらないのでまた別途とします。

ミーハーネタですが、昔(大正時代?)、「黒死館殺人事件」という推理小説があって、遺伝的に(骨相的に?)犯罪確率の高そうな子供ばかりを一箇所に閉じ込めて成長させ、犯罪を行わせることで学説を証明しよう話でした(うろ覚えですが・・)。当時はそういう意味での犯罪学がはやっていたようです。

昔は幻想的な物語に思えたものですが、犯罪予見性の問題の持つ難しさをついていたかもしれません。

プロファイリングというのも、拡大活用すると、たしかに同じ問題につながるのかもしれません。「FBI心理分析官」の著者も、人相は有効だと書いていました・・

しかし、一方では、プロファイリングのような手法を使わないと解決できない事件が増加しているのも確かだと思います。(野菜さんのおっしゃるように、抑止への有効活用は難しそうですが)

もっとも、上であげた犯罪白書や警察庁のホームページを読む限り、平成11年以降はほとんどのジャンルで爆発的に犯罪が増えているようで、これはプロファイリングとかの問題以前に、景気の問題なのかどうなのか・・失業者数や自殺者数の増加と、きれいに相関とれてそうですね。

今度相関を調べてみようかな・・・と思ったら、すでに「失業・犯罪・年齢 時系列データによるマクロ分析」という論文がありました。失業者数は一貫して増加しているのですが、犯罪傾向は年齢層によって動きが違うようです。

なかなか単純にはいきませんね。

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January 09, 2006

小学生に対する殺人事件について

昨年末は、残酷な事件が相次ぎました。
広島での小1女児殺害事件、栃木の小1女児殺害事件、大阪の姉妹殺人事件、学習塾での小六殺人事件など。
とくに、栃木の小1女児殺害事件については、残酷なやり方で驚きを与えましたが、いまだに犯人が見つかっておりません。このような事件がなぜ発生し、また、どのようにしたら予防できるのか?というのは、言うまでもなく重要な問題です。

まず、私の勘違いについて一言。
私は、長らく、ITを利用することで犯人の一般像の分析ができるのではないかと、考えていました。具体的には、私が以前関わったことがあるデータマイニングの仕組みなどを使って、過去の犯罪データをインプットすることにより、犯罪のパターン分析や犯罪者のモデリングができるのではないかと思ったのです。

とくに、動機が不可解な連続殺人や、いわゆる快楽殺人のようにみえる残酷な殺人などについては、かなりのパターン分析をしないと、共通性が見出せないのではないかと考えていたのです。

そして、そのような複雑なパターンを分析するには、コンピュータ上の処理が必要ではないか、と。

ところが、実際には、これらの分析は、すでにアメリカで、ほぼ完了していることに気づきました。有名な「プロファイリング」の技術です。
「FBI心理分析官」などを読んでみると、今回の栃木の事件のような残酷で意図が理解不能なケースでは、モデルとしての可能性はほぼ2パターンに限定されることがわかります。

著者は、それを犯行において、秩序が見られるかどうかによって「秩序型」「無秩序型」と呼んでいます。

1.無秩序型の特徴
(生い立ち)
無秩序型の犯罪者は、もともと育てられた環境が悪く、家族にも精神病やアル中の患者がおり、自分の感情を外部に表現できないままに成長。病院などに通院・入退院を繰り返しています。社会に対し、強い劣等感もあります。
(犯行の特徴)
場当たり的で、計画性がなく、凶器もその場にあったものを使い、遺体を隠すこともありません。本人は自分の制御ももともと難しいため、車を使うこともありません。

2.秩序型の特徴

(生い立ち)
親の仕事も安定しており、むしろ甘やかされていた。怒りも外にだし、ある意味社交的で口もうまい。自分は能力があるのに、なぜ社会や女性は認めないのかという怒りをもっており、警察や精神科医をばかにしています。

(犯行の特徴)
凶器は事前に選び、犯罪にも車を使うなど計画的で、特に、犯罪を繰り返すたびにやり方は巧妙になります。被害者をおびえさせ、支配することに価値を見出すため、被害者が身につけていたものを戦利品として持ち帰り、後で思い出すのに使いますし、また、捜索ボランティアに加わったりさえします。

つまり、一見、同じく動機不明な残酷殺人であっても、無秩序型と秩序型では、まったく違う犯罪者なわけです。
ただし、共通しているのは、本人においては、もう何年もの間、夢想し続けてきた犯行であること(おそらく、少年時の頃から)。もう一点は、どちらにしても矯正不可能で、何度でも繰り返すということです。
これらの点は、年末の他の事件とも共通しています。広島市の事件の犯人はかつて3度事件を起こしており、姉妹殺人事件の犯人は、以前母を殺したときの感触が忘れられなかったといいます。参考(逮捕しなければまたやった:読売新聞記事へのリンク

今回の栃木の事件は、間違いなく「秩序型」に属します。特殊な凶器の選定、車の利用、以前から声をかけていた可能性など・・。

さて、動機という点についてです。警察では動機をはかりかねているそうですが、アメリカの例でみていると、このタイプの殺人の場合、まさに、子供の頃からの妄想の実現です。詳細は「FBI心理分析官」など見て欲しいのですが、おそらく10年以上、空想してきたのでしょう。このタイプの犯人の場合、性的な興奮というものは、このような殺害でしか得られないものなのです。そして、その空想を長引かせるために、戦利品として衣類などを持ち去っているわけです。

でも、なぜ、子供の頃からそのような空想を人はもちうるのでしょうか?

単純に比較してはいけないのですが、私が連想したのは、ノーベル賞学者コンラート・ローレンツの動物行動学でした。彼の研究では、成長の過程で、適切な時期に適切な刺激を受けられなかったために、正常な性行動がとれなくなった動物(カラスなど)の例がいろいろのっています。

「訓練環の欠如が起こると、ほとんどの場合行動連鎖の切断が起こる」

「(主として飼育状態が原因と思われる獲得的な習慣が、つがい形成にはおそらく絶対的に必要な儀式的行動の解発を完全に阻止してしまった例を、一羽のワタリガラスの雌で観察するという、あまり好ましからぬ経験をした」

(動物行動学より抜粋)

また、そのバリエーションのひとつとして、攻撃衝動が異常に強まってしまった例もあります。

人間に限らず、動物とは、一般に、成長期にうまくいかないと、いろいろな異常行動につながってしまうようです。

一方、成長期にうまくいったらいったで、もっと普通の意味での暴力に手をそめるようになるのですが・・(今回の論点とは異なるので省略しますが、参考文献として、「男はなぜ暴力をふるうのか・・進化から見たレイプ・殺人・戦争」があります。)

さて、「FBI心理分析官」では、異常殺人の増加についてこう書いてあります。

「おそらく大昔から現代にいたるどの時代にも、無秩序型殺人犯はある決まった割合で社会に存在したのではないかと思う。こうした完全に正気を失った犯罪者は、何かの拍子にみさかいなく人を殺す。打つ手はあまりない。いつの世にもこうした殺人犯はいる。しかし、近年私が切実に感じるのは、秩序型殺人犯の数と割合が増えているということだ。社会が流動的になり、大勢の人を一度に殺せる武器が手に入れやすくなるにつれ、反社会的な人物が残忍な殺人の空想を現実のものにする機会が増えるのだ」

つまり、今回のような事件が増加しているのは、秩序型殺人犯の増加のためであり、それは社会の流動化の影響の可能性があるということです。先ほどの動物行動学の例でいうと、適切な時期に適切な刺激を受けられない人口が増加してきているのでしょう。もっとも、社会の流動化とは何を意味するのか、踏み込むと話が長くなるので今回は省きますが。

ともかく、アメリカで60年代~70年代以降にこのタイプの殺人事件が増加したように、日本も30年遅れでその傾向が強まっているのでしょう。

対策としては、犯罪の繰り返しに注目し、前歴者や不審者の目撃情報を共有したりといった、最近よく行われている方法が有効で、各地の警察ではそれらの情報をいろいろ提供しはじめています。また、小学生の通学の送迎も増えているようです。

ただし、送迎はともかく、小学生の行動全てを大人が監視するというのも、難しいのではないでしょうか。

この手の犯罪者の特徴は、早期(幼少期)から特徴が明確に出てくることと、成人では矯正も難しいことです。

本当は、犯罪者の成長期における特質が、現状程度にプロファイリングできているのであれば、むしろ家庭環境、親族、学校での状況、病気暦などに注目して、児童カウンセリングを利用した対策をたてるなどの必要があると思います。

個人情報保護の観点もあり、簡単にはいかないとは思いますが、抜本的には、幼児期の環境から中学時代くらいまでに焦点をあてて、情報の収集と治療を行える体制が必要ではないでしょうか。

一言でいうと、抜本的に、幼児や小学生を守るためには、単に外部(現在の大人)から守るだけではなく、その幼児や小学生の中から将来の殺人者も出現するということを踏まえる必要があるということです。単に保護の対象として幼少児を守るだけでなく、なぜ、それらの幼少児のなかから将来の犯罪者が発生するのか?その特質は、すでに小学校低学年の頃にはあらわれており(おそらく幼稚園児のころにも)、見る人がみればわかるはずのものなのです。

(参考)上で引用した本です。動物行動学は無いようなので、入門編の「ソロモンの指環」をのせました。FBI心理分析官は異常犯罪に関する、プロファイリングの本です。「男はなぜ暴力をふるうのか」は、ゴリラの殺人(殺ゴリラ)やチンパンジーの戦争など、人間とほぼ同じ遺伝子をもつ動物の攻撃衝動をみることで、人間の犯罪や戦争をとらえなおそうとするものです。

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September 15, 2005

スティーブ・ジョブスの講演

最近話題らしい(?)スティーブ・ジョブスの講演です。転載OKなものらしいので、このブログに全文載せてみました。とても感動的な内容です。

スティーブ・ジョブスが誰か知らない人もいると思うので簡単に紹介しますと、アップル社の創業者です。世界初のパソコンappleや、ファンの多いマッキントッシュを作ったことで有名です。その後、アップルを追い出されるのですが、ネクスト社を作ったり、ピクサー社のトップになったりして、今ではアップル社のトップに返り咲きました。アップル社はiPodで大人気になりましたし、ピクサー社は「トイ・ストーリー」などのディズニーの3Dアニメを作り続け、こちらも大成功を収めています。

私は、大学を出たとき、自分が就職することに求めていたのは、ジョブスがマッキントッシュを作ったときのような情熱的な創造でした。

それで、ある企業のある企画に携わりました(前の職場)。それは、ものすごい金額をかけて行われたプロジェクトでした(日本は当時バブル末期でした・・)。マッキントッシュの競合製品みたいなのができても良かったはずなのですが、結局、マッキントッシュのようなものは創れませんでした。

その時、私は痛感しました。日本人にはマッキントッシュは絶対に創れない製品なんだ・・どんなにお金をかけ、人材を集めても・・

当時は、日本はアメリカを抜く!ということが真面目に語られた時代でした。しかし、私は、日本はどんなにバブル景気がはなやかで、ロックフェラービルさえ買い取ったといえども、アメリカとの差は、むしろ70年代や60年代、下手すると戦前以上に離れているのではないか?とさえ思っていました。それほど、差があったのです。

もっとも、今になって考えれば、日本とアメリカの比較をするべきではなく、一時期のアップルという会社に、異常なまでの凄さがあったのだと思います。当時のアップルみたいな会社は、アメリカの全歴史を通じてもないでしょう。

それは、ひとつの会社がなしえたことではなく、60年代~70年代という、ひとつの時代が最後にたどりついたのが、アップル社であり、マッキントッシュという製品だったということだと思います。

ベトナム戦争、ビートルズ、公民権運動、フラワー・チルドレン、ティモシー・リアリーなどの影響を受けて創られた「人々に力を与え、社会を変革する道具としてのマシン」という思想・・日本では、せいぜい、ガンダムというアニメの中にかすかにニュータイプとして反響を見出せるのみですが・・

私は、ジョブスがアップルを追い出された後も、ジョブスを追いかけました。彼が新たに創ったネクストというマシンが欲しかったのですが、高価で買えず、ネクスト・ステップというOSのインターフェースに触れて満足するしかありませんでした。

そのジョブスがアップルに復帰することになった時、どれほど嬉しかったか!

しかし、ジョブスがアップルで最初にやったことは、私が大好きだった世界初のPDA、ニュートンを切り捨てることでした・・

ジョブスに対する批判は数多いのですが、半分は当たっていると思います。しかし、そのような個性の強さが、同時に、マッキントッシュやネクストのような製品を創ったり、ピクサーやiPodの大成功をもたらしたりするものであることも事実です。

製品とは、結局は、ある人の個性そのものの刻印なのです。いい点も悪い点も含めて。富野アニメや宮崎アニメと同じで、限界も含めて、本人の全てが刻印されるものなのです。

日本の会社にマッキントッシュが創れなかったのは、まさに、中心となる個性や思想の不在だったと、今は思います。それが、サラリーマン社会の限界です。

私は、当時のことを思い出すと苦い思い出しかないのですが、ほんのわずかでも、スティーブ・ジョブスのような人と競合する立場(というほどでもないが・・あっちは創設者。こっちは末端)にいられたことを、それはそれで幸福と考えなくてはいけないのかな、と思います。

なぜなら、彼の凄さは、他の誰よりも、身にしみて知っているはずですから(残念ながら、敗北者として・・)、そのうち、アナハイム・レポートとしてまとめたいと思います。

私の前書きが長くなりすぎました。以下、ジョブスのスピーチです。

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ジョブズの卒業祝賀スピーチ
2005年6月12日、スタンフォード大学
原文URL:
http://slashdot.org/comments.pl?sid=152625&cid=12810404

 PART  1   BIRTH

 ありがとう。世界有数の最高学府を卒業される皆さんと、本日こうして晴れの門出に同席でき大変光栄です。実を言うと私は大学を出たことがないので、これが今までで最も大学卒業に近い経験ということになります。

 本日は皆さんに私自身の人生から得たストーリーを3つ紹介します。
それだけです。どうってことないですよね、たった3つです。最初の話は、点と点を繋ぐというお話です。

 私はリード大学を半年で退学しました。が、本当にやめてしまうまで18ヶ月かそこらはまだ大学に居残って授業を聴講していました。じゃあ、なぜ辞めたんだ?ということになるんですけども、それは私が生まれる前の話に遡ります。

 私の生みの母親は若い未婚の院生で、私のことは生まれたらすぐ養子に出すと決めていました。育ての親は大卒でなくては、そう彼女は固く思い定めていたので、ある弁護士の夫婦が出産と同時に私を養子として引き取ることで手筈はすべて整っていたんですね。ところがいざ私がポンと出てしまうと最後のギリギリの土壇場になってやっぱり女の子が欲しいということになってしまった。で、養子縁組待ちのリストに名前が載っていた今の両親のところに夜も遅い時間に電話が行ったんです。「予定外の男の赤ちゃんが生まれてしまったんですけど、欲しいですか?」。彼らは「もちろん」と答えました。
 しかし、これは生みの母親も後で知ったことなんですが、二人のうち母親の方は大学なんか一度だって出ていないし父親に至っては高校もロクに出ていないわけです。そうと知った生みの母親は養子縁組の最終書類にサインを拒みました。そうして何ヶ月かが経って今の親が将来私を大学に行かせると約束したので、さすがの母親も態度を和らげた、といういきさつがありました。

               ◆◇◆

 PART  2   COLLEGE DROP-OUT

 こうして私の人生はスタートしました。やがて17年後、私は本当に大学に入るわけなんだけど、何も考えずにスタンフォード並みに学費の高いカレッジを選んでしまったもんだから労働者階級の親の稼ぎはすべて大学の学費に消えていくんですね。そうして6ヶ月も過ぎた頃には、私はもうそこに何の価値も見出せなくなっていた。自分が人生で何がやりたいのか私には全く分からなかったし、それを見つける手助けをどう大学がしてくれるのかも全く分からない。なのに自分はここにいて、親が生涯かけて貯めた金を残らず使い果たしている。だから退学を決めた。全てのことはうまく行くと信じてね。

 そりゃ当時はかなり怖かったですよ。ただ、今こうして振り返って
みると、あれは人生最良の決断だったと思えます。だって退学した瞬 間から興味のない必修科目はもう採る必要がないから、そういうのは止めてしまって、その分もっともっと面白そうなクラスを聴講しにいけるんですからね。


 夢物語とは無縁の暮らしでした。寮に自分の持ち部屋がないから夜は友達の部屋の床に寝泊りさせてもらってたし、コーラの瓶を店に返すと5セント玉がもらえるんだけど、あれを貯めて食費に充てたりね。
日曜の夜はいつも7マイル(11.2km)歩いて街を抜けると、ハーレクリシュナ寺院でやっとまともなメシにありつける、これが無茶苦茶旨くてね。

 しかし、こうして自分の興味と直感の赴くまま当時身につけたことの多くは、あとになって値札がつけられないぐらい価値のあるものだって分かってきたんだね。


 ひとつ具体的な話をしてみましょう。

               ◆◇◆

 PART  3   CONNECTING DOTS

 リード大学は、当時としてはおそらく国内最高水準のカリグラフィ教育を提供する大学でした。キャンパスのそれこそ至るところ、ポスター1枚から戸棚のひとつひとつに貼るラベルの1枚1枚まで美しい手書きのカリグラフィ(飾り文字)が施されていました。私は退学した身。
もう普通のクラスには出なくていい。そこでとりあえずカリグラフィ のクラスを採って、どうやったらそれができるのか勉強してみることに決めたんです。

 セリフをやってサンセリフの書体もやって、あとは活字の組み合わせに応じて字間を調整する手法を学んだり、素晴らしいフォントを実現するためには何が必要かを学んだり。それは美しく、歴史があり、科学では判別できない微妙なアートの要素を持つ世界で、いざ始めてみると私はすっかり夢中になってしまったんですね。


 こういったことは、どれも生きていく上で何ら実践の役に立ちそうのないものばかりです。だけど、それから10年経って最初のマッキントッシュ・コンピュータを設計する段になって、この時の経験が丸ごと私の中に蘇ってきたんですね。で、僕たちはその全てをマックの設
計に組み込んだ。そうして完成したのは、美しいフォント機能を備えた世界初のコンピュータでした。

 もし私が大学であのコースひとつ寄り道していなかったら、マックには複数書体も字間調整フォントも入っていなかっただろうし、ウィンドウズはマックの単なるパクりに過ぎないので、パソコン全体で見回してもそうした機能を備えたパソコンは地上に1台として存在しな
かったことになります。


 もし私がドロップアウト(退学)していなかったら、あのカリグラフィのクラスにはドロップイン(寄り道)していなかった。
 そして、パソコンには今あるような素晴らしいフォントが搭載されていなかった。


 もちろん大学にいた頃の私には、まだそんな先々のことまで読んで点と点を繋げてみることなんてできませんでしたよ。だけど10年後振り返ってみると、これほどまたハッキリクッキリ見えることもないわけで、そこなんだよね。もう一度言います。未来に先回りして点と点
を繋げて見ることはできない、君たちにできるのは過去を振り返って繋げることだけなんだ。だからこそバラバラの点であっても将来それが何らかのかたちで必ず繋がっていくと信じなくてはならない。自分の根性、運命、人生、カルマ…何でもいい、とにかく信じること。点
と点が自分の歩んでいく道の途上のどこかで必ずひとつに繋がっていく、そう信じることで君たちは確信を持って己の心の赴くまま生きていくことができる。結果、人と違う道を行くことになってもそれは同じ。信じることで全てのことは、間違いなく変わるんです。

               ◆◇◆

 PART  4   FIRED FROM APPLE

 2番目の話は、愛と敗北にまつわるお話です。

 私は幸運でした。自分が何をしたいのか、人生の早い段階で見つけることができた。実家のガレージでウォズとアップルを始めたのは、私が二十歳の時でした。がむしゃらに働いて10年後、アップルはガレージの我々たった二人の会社から従業員4千人以上の20億ドル企業になりました。そうして自分たちが出しうる最高の作品、マッキントッシュを発表してたった1年後、30回目の誕生日を迎えたその矢先に私は会社を、クビになったんです。


 自分が始めた会社だろ?どうしたらクビになるんだ?と思われるかもしれませんが、要するにこういうことです。アップルが大きくなったので私の右腕として会社を動かせる非常に有能な人間を雇った。そして最初の1年かそこらはうまく行った。けど互いの将来ビジョンにやがて亀裂が生じ始め、最後は物別れに終わってしまった。いざ決裂する段階になって取締役会議が彼に味方したので、齢30にして会社を追い出されたと、そういうことです。しかも私が会社を放逐されたことは当時大分騒がれたので、世の中の誰もが知っていた。

 自分が社会人生命の全てをかけて打ち込んできたものが消えたんですから、私はもうズタズタでした。数ヶ月はどうしたらいいのか本当に分からなかった。自分のせいで前の世代から受け継いだ起業家たちの業績が地に落ちた、自分は自分に渡されたバトンを落としてしまったんだ、そう感じました。このように最悪のかたちで全てを台無しにしてしまったことを詫びようと、デイヴィッド・パッカードとボブ・ノイスにも会いました。知る人ぞ知る著名な落伍者となったことで一時はシリコンヴァレーを離れることも考えたほどです。

 ところが、そうこうしているうちに少しずつ私の中で何かが見え始めてきたんです。私はまだ自分のやった仕事が好きでした。アップルでのイザコザはその気持ちをいささかも変えなかった。振られても、まだ好きなんですね。だからもう一度、一から出直してみることに決
めたんです。


 その時は分からなかったのですが、やがてアップルをクビになったことは自分の人生最良の出来事だったのだ、ということが分かってきました。成功者であることの重み、それがビギナーであることの軽さに代わった。そして、あらゆる物事に対して前ほど自信も持てなくなった代わりに、自由になれたことで私はまた一つ、自分の人生で最もクリエイティブな時代の絶頂期に足を踏み出すことができたんですね。

 それに続く5年のうちに私はNeXTという会社を始め、ピクサーという会社を作り、素晴らしい女性と恋に落ち、彼女は私の妻になりました。

 ピクサーはやがてコンピュータ・アニメーションによる世界初の映画「トイ・ストーリー」を創り、今では世界で最も成功しているアニメーション・スタジオです。


 思いがけない方向に物事が運び、NeXTはアップルが買収し、私はアップルに復帰。NeXTで開発した技術は現在アップルが進める企業再生努力の中心にあります。ロレーヌと私は一緒に素晴らしい家庭を築いてきました。


 アップルをクビになっていなかったらこうした事は何ひとつ起こらなかった、私にはそう断言できます。そりゃひどい味の薬でしたよ。
 でも患者にはそれが必要なんだろうね。人生には時としてレンガで頭をぶん殴られるようなひどいことも起こるものなのです。だけど、信念を放り投げちゃいけない。私が挫けずにやってこれたのはただ一つ、自分のやっている仕事が好きだという、その気持ちがあったからです。
皆さんも自分がやって好きなことを見つけなきゃいけない。それは仕事も恋愛も根本は同じで、君たちもこれから仕事が人生の大きなパートを占めていくだろうけど自分が本当に心の底から満足を得たいなら進む道はただ一つ、自分が素晴しいと信じる仕事をやる、それしかない。そして素晴らしい仕事をしたいと思うなら進むべき道はただ一つ、好きなことを仕事にすることなんですね。まだ見つかってないなら探し続ければいい。落ち着いてしまっちゃ駄目です。心の問題と一緒でそういうのは見つかるとすぐピンとくるものだし、素晴らしい恋愛と同じで年を重ねるごとにどんどんどんどん良くなっていく。だから探し続けること。落ち着いてしまってはいけない。

               ◆◇◆

 PART  5   ABOUT DEATH

 3つ目は、死に関するお話です。

 私は17の時、こんなような言葉をどこかで読みました。確かこうです。「来る日も来る日もこれが人生最後の日と思って生きるとしよう。そうすればいずれ必ず、間違いなくその通りになる日がくるだろう」。
それは私にとって強烈な印象を与える言葉でした。そしてそれから現在に至るまで33年間、私は毎朝鏡を見て自分にこう問い掛けるのを日課としてきました。「もし今日が自分の人生最後の日だとしたら、今日やる予定のことを私は本当にやりたいだろうか?」。それに対する答えが“NO”の日が幾日も続くと、そろそろ何かを変える必要があるなと、そう悟るわけです。

 自分が死と隣り合わせにあることを忘れずに思うこと。これは私がこれまで人生を左右する重大な選択を迫られた時には常に、決断を下す最も大きな手掛かりとなってくれました。何故なら、ありとあらゆる物事はほとんど全て…外部からの期待の全て、己のプライドの全て、屈辱や挫折に対する恐怖の全て…こういったものは我々が死んだ瞬間に全て、きれいサッパリ消え去っていく以外ないものだからです。そして後に残されるのは本当に大事なことだけ。自分もいつかは死ぬ。
そのことを思い起こせば自分が何か失ってしまうんじゃないかという思考の落とし穴は回避できるし、これは私の知る限り最善の防御策です。

 君たちはもう素っ裸なんです。自分の心の赴くまま生きてならない理由など、何一つない。

               ◆◇◆

PART  6   DIAGNOSED WITH CANCER

 今から1年ほど前、私は癌と診断されました。 朝の7時半にスキャンを受けたところ、私のすい臓にクッキリと腫瘍が映っていたんですね。
私はその時まで、すい臓が何かも知らなかった。

 医師たちは私に言いました。これは治療不能な癌の種別である、ほぼ断定していいと。生きて3ヶ月から6ヶ月、それ以上の寿命は望めないだろう、と。主治医は家に帰って仕事を片付けるよう、私に助言しました。これは医師の世界では「死に支度をしろ」という意味のコード(符牒)です。

 それはつまり、子どもたちに今後10年の間に言っておきたいことがあるのなら思いつく限り全て、なんとか今のうちに伝えておけ、ということです。たった数ヶ月でね。それはつまり自分の家族がなるべく楽な気持ちで対処できるよう万事しっかりケリをつけろ、ということ
です。それはつまり、さよならを告げる、ということです。


 私はその診断結果を丸1日抱えて過ごしました。そしてその日の夕方遅く、バイオプシー(生検)を受け、喉から内視鏡を突っ込んで中を診てもらったんですね。内視鏡は胃を通って腸内に入り、そこから医師たちはすい臓に針で穴を開け腫瘍の細胞を幾つか採取しました。私は鎮静剤を服用していたのでよく分からなかったんですが、その場に立ち会った妻から後で聞いた話によると、顕微鏡を覗いた医師が私の細胞を見た途端、急に泣き出したんだそうです。何故ならそれは、すい臓癌としては極めて稀な形状の腫瘍で、手術で直せる、そう分かったからなんです。こうして私は手術を受け、ありがたいことに今も元気です。


 これは私がこれまで生きてきた中で最も、死に際に近づいた経験ということになります。この先何十年かは、これ以上近い経験はないものと願いたいですけどね。


 以前の私にとって死は、意識すると役に立つことは立つんだけど純粋に頭の中の概念に過ぎませんでした。でも、あれを経験した今だから前より多少は確信を持って君たちに言えることなんだが、誰も死にたい人なんていないんだよね。天国に行きたいと願う人ですら、まさかそこに行くために死にたいとは思わない。にも関わらず死は我々みんなが共有する終着点なんだ。かつてそこから逃れられた人は誰一人としていない。そしてそれは、そうあるべきことだから、そういうことになっているんですよ。何故と言うなら、死はおそらく生が生んだ唯一無比の、最高の発明品だからです。それは生のチェンジエージェント、要するに古きものを一掃して新しきものに道筋を作っていく働きのあるものなんです。今この瞬間、新しきものと言ったらそれは他ならぬ君たちのことだ。しかしいつか遠くない将来、その君たちもだんだん古きものになっていって一掃される日が来る。とてもドラマチックな言い草で済まんけど、でもそれが紛れもない真実なんです。

 君たちの時間は限られている。だから自分以外の他の誰かの人生を生きて無駄にする暇なんかない。ドグマという罠に、絡め取られてはいけない。それは他の人たちの考え方が生んだ結果とともに生きていくということだからね。その他大勢の意見の雑音に自分の内なる声、心、直感を掻き消されないことです。自分の内なる声、心、直感というのは、どうしたわけか君が本当になりたいことが何か、もうとっくの昔に知っているんだ。だからそれ以外のことは全て、二の次でいい。

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 PART  7   STAY HUNGRY, STAY FOOLISH

 私が若い頃、"The Whole Earth Catalogue(全地球カタログ)"というとんでもない出版物があって、同世代の間ではバイブルの一つになっていました。

 それはスチュアート・ブランドという男がここからそう遠くないメンローパークで製作したもので、彼の詩的なタッチが誌面を実に生き生きしたものに仕上げていました。時代は60年代後半。パソコンやデスクトップ印刷がまだ普及する前の話ですから、媒体は全てタイプラ
イターとはさみ、ポラロイドカメラで作っていた。だけど、それはまるでグーグルが出る35年前の時代に遡って出されたグーグルのペーパーバック版とも言うべきもので、理想に輝き、使えるツールと偉大な概念がそれこそページの端から溢れ返っている、そんな印刷物でした。

 スチュアートと彼のチームはこの”The Whole Earth Catalogue”の発行を何度か重ね、コースを一通り走り切ってしまうと最終号を出した。それが70年代半ば。私はちょうど今の君たちと同じ年頃でした。

 最終号の背表紙には、まだ朝早い田舎道の写真が1枚ありました。君が冒険の好きなタイプならヒッチハイクの途上で一度は出会う、そんな田舎道の写真です。写真の下にはこんな言葉が書かれていました。
「Stay hungry, stay foolish.(ハングリーであれ。馬鹿であれ)」。それが断筆する彼らが最後に残した、お別れのメッセージでした。
「Stay hungry, stay foolish.」 それからというもの私は常に自分自身そうありたいと願い続けてきた。そして今、卒業して新たな人生に踏み出す君たちに、それを願って止みません。

Stay hungry, stay foolish.

ご清聴ありがとうございました。


The Stanford University Commencement address by Steve Jobs CEO, Apple Computer CEO, Pixar Animation Studios

スタンフォード公式URL&録画映像
http://news-service.stanford.edu/news/2005/june15/videos/51.html
http://news-service.stanford.edu/news/2005/june15/jobs-061505.html

translated texts here are copyrighted to the translator, **satomi ichimura
初出 メルマガ「とむさとうからのメール」
http://blog.livedoor.jp/tomsatotechnology/

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バックグラウンド

6月12日、スティーブ・ジョブス氏はスタンフォード大学の卒業式で祝賀スピーチをした。翌々日、trudyscousin(匿名)はIT情報サイトslashdot.orgにテープ起こしをした全文を掲載した。この文章は、大反響を呼びブログや電子メールで世界中に転送された。

日本では、市村佐登美が翻訳し、とむさとうが7月20日にメルマガで配信した。多くの人がこの文章に感銘を受け、日本中にブログや電子メールで広がった。

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