October 13, 2006

ヤマト、ガンダム、宮崎アニメ、エヴァンゲリオン、ゲド戦記における人種問題2

さて、前回に引き続き、アニメの人種問題の話です。

しかし、その前に、前回頂いたご指摘をもとに、宇宙戦艦ヤマトについて、若干話を整理しなおします。

まず、私が書いた前回の趣旨は、

大和を復活させてヤマトとし、日本人だけでデスラーと戦うというストーリーは、太平洋戦争の敗戦コンプレックスからきているように読みとれる。

ただし、西崎氏も松本氏も、そういう話を最初から作ろうとしていたわけではない。

ということでした。

それに対し、ご指摘いただいたのは、

1.デスラーなどは、白人は白人でも、アメリカというより、ナチスからきている。

2.ヤマト以前、おもちゃにおいては「大和」が人気アイテムであった。

ということでした。

これらのご指摘を踏まえて考え直してみるに、大和を復活させてヤマトとするというアイデアは、反米というよりは、単におもちゃを「大和」にかこつけて売ろうという、スポンサーサイドの意向だったのかもしれません。

また、全員日本人というアイデアも、思想的なものよりは、当時のウルトラマンや戦隊物のイメージに近い(基本的に日本人のみで地球を守る)のかもしれません。(つまり、おもちゃ屋さん的には、いつもと同じ自然な流れ。)

また、白人vs日本人という構図も、反米というよりは、むしろ、アメリカではなく日本こそが打倒ナチスという、正義の味方の役割をやれたら、かっこよかったんだけどなー・・という、当時の少年達の気持ちが反映されているのかもしれません。

また、ヤマトの「特攻」についても、もともとヤマトは初期の企画書でもほぼ全滅設定だったため、大和の特攻とはあまり関係ないのかもしれません。

ついでに言うと、テレサやスターシャのキャラも、松本氏のいつもの作品と通じるものがあり(メーテルやら千年女王やら)、モデルは奥さんとの説もあることから、それほど白人コンプレックスというわけではないのかもしれませんが・・

このへんは、まだ実態はわからないところもありますが、以上のような可能性もあるという前提で、次に進みたいと思います。(つまり、私が前回書いたのとは逆に、ヤマトに敗戦コンプレックスや欧米コンプレックスをあまり見ない解釈もありうるということです)

さて、次はガンダムです。

宇宙戦艦ヤマトに少しだけ関わり、西崎氏と喧嘩別れした富野氏は、「ヤマトをつぶせ!」という一念で、「機動戦士ガンダム」を作ります。

(注:このへんの詳細は、ガンダムのホワイトベースはなぜヤマトより強いと言い切れるのか?を参照ください。)

ここで、富野氏は、あたかも、日本人だらけであるヤマトに対するアンチテーゼであるかのように(?)、主要キャラから日本人を外しました。

ハヤト・コバヤシは日系ですが、柔道やったり背が低かったりと、ステレオタイプのかっこわるい(?)日本人となっていました。

また、主人公のアムロも、人種的に曖昧にみせていました(初期資料には漢字ネーミング版もありましたが・・)

そして、主要人物には黒人(リュウ)もいれようとしました。

つまり、白人、黒人、東洋人など混成チームでホワイトベースのクルーを構成することで、宇宙世紀の未来を表現しようとしたわけです。

この辺の意識はヤマトとは大きく異なり、スタートレック並みです。

推測ですが、スタートレック並に人種問題に配慮することで、ヤマトの設定の古さを、明確にしようという意志があったのではないでしょうか?

ところが、アニメにおける黒人というものは、当時、表現上もめる面がありました。(具体的には、サイボーグ009における黒人表現が抗議を受けたりした)

そこで、スポンサーが黒人をクルーにすることを嫌がり、結局、彼(リュウ・ホセイ)は、黒人ではなくなりました。

もっとも、それまでの日本の作品で、人種問題をそこまで意識している作品はあまりないため、普通の人は誰も気にとめませんでした。

ところが、一人だけ、ホワイトベースに黒人がいないことに疑問を呈し、突っ込みを入れた人がいました。

現スタジオジブリの高畑勲氏です。

彼は、いくら009の問題があるとはいえ、スペース・コロニーの時代に黒人が不在なのはおかしいと、ガンダムの設定の不備を指摘しました。

打倒西崎氏、打倒スタジオジブリを目指す富野監督としては、おそらく、これは、気にしないわけにはいかない指摘だったのでしょう。

ガンダムというのは、基本的に、高畑氏や宮崎氏、富野氏などが製作した「アルプスの少女ハイジ」と同じで、白人の金髪のお姫様(お嬢様)ものなのですが(セイラにしろ、F91のヒロイン(名まえ度忘れ)にしろ、カテジナにしろ、ディアナ様にしろ)、富野監督は、とにかく黒人も出さなくてはと思い続けたようです。

ついに、Vガンダムでは念願かなって、とうとう主要メンバー複数人の色を黒くし、そのことを誇らしげに語っていました。その中には、ヒロイン(?)のシャクティも含まれていました(インド系のイメージかな・・)。

そして、ターンエーガンダムにいたり、主人公の色までも黒系にすることになりました。

こうして、ガンダムの人種問題は、20年もかけて、いちおう、一区切りついたのでした。

以下、続く・・

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October 07, 2006

ヤマト、ガンダム、宮崎アニメ、エヴァンゲリオン、ゲド戦記における人種問題1

以前から考えていたテーマとして、日本のアニメの人種問題があります。

とりあえず、宇宙戦艦ヤマト、機動戦士ガンダム、宮崎アニメ、エヴァンゲリオン、ゲド戦記といったところを辿っていきます。

なぜ、この諸作品を選ぶかというと、世に与えた影響も大きいし、また、その人種問題への関わりもそれぞれ特徴的だからです。

また、製作者が様々なに絡み合っている点も興味のひとつです。

以下、いつもなら各監督の発言やその出所を明示しながら書くところですが、苦労して書いた挙句に最近のように著作権問題でつつかれるのも面倒なだけなので、発言は特に明示せず、主旨だけ書きます。

まず、宇宙戦艦ヤマトです。

私は、以前、このブログで、宇宙戦艦ヤマトの人員構成(全員日本人・・)を例に引きながら、アメリカ産のスタートレックと比較して書いたことがあります。(参考:宇宙戦艦ヤマト復活について

敗戦コンプレックスをそのまま出したヤマト(日本人vs白人。大和の復活など)と、第二次大戦の勝者も敗者も、冷戦時代の敵対者も含めて皆で一致団結する未来を描いたスタートレック(白人のほか、日系人、黒人女性、ロシア系など敢えて意図的に主要メンバーとした)を比較したものでした。

また、このような作品をあの時代に生み出したロデンベリー(彼は、何と結婚式はわざわざ日本にやってきて神式で行なった!!)の卓見と、アメリカへの恨みつらみをアニメで表現した西崎氏(たしか親が海軍士官)とを比較したものでした。

要するに、いつまでも敗戦コンプレックスを持ち、日本人で固めて大和を復活させ、敵と破壊戦争を行なうという完全懲悪の物語しか作れなかった日本のアニメと、世界一致で(宇宙人も一人、強烈なバルカン人がいたか・・)問題解決に当たらせ、人種問題、思想問題など様々な社会問題を比喩的に描いたスタートレックを比較し、日本のアニメのレベルについて嘆いたものでした。

しかし、しばらく後で、どうも自分のこの認識は間違っていたことに気づきました。

西崎氏がヤマトを軍国調にもっていったという非難は、実は松本零士氏の発言をそのまま信用したものだったのですが、西崎氏の作った初期プロットを見る限り、実は、宇宙船の乗組員は世界各国の当番制であり、たまたまこの年が日本人当番だったのでした。

また、スターシャやテレサに該当する女性はいません。(企画書は、宇宙戦艦ヤマトとさらば宇宙戦艦ヤマトをあわせたような内容です)

また、船も、旧日本海軍の戦艦大和とは無関係です。ただ単に日本人が当番のときの船だったからヤマトと名づけたように読みとれます。

設定的には、世界各国から乗り組み員を集めるプランを持っていた西崎氏と、軍国ものにするのに反対だった松本氏のアイデアが組み合わさる過程で、どうして全員日本人の乗組員で、旧日本軍海軍の大和に乗るという設定になったのでしょうか?

ちょっとわかりませんが、テレビ局の意向なのか、他の誰かの意向なのか、議論の結果なのか・・

ともかく、

・西崎氏の持っていたアイデア:世界各国の乗組員の中で、たまたま日本が当番だった。船も旧海軍の大和とは無関係。ただし、音楽やデザインは旧日本海軍調にしたい。

・松本氏の持っていたアイデア:一人、核になる女性で金髪白人系(??)の美女をおきたい。軍国調はイヤだ。

の2つが変な風に合わさり、結果として、

★日本人ばかりのメンバーで旧日本海軍の大和を復活させて侵略者と戦い、悪いのは白人男性(色は青だったり緑だったり)、でも白人美人女性が女神役。

という、なんか日本の敗戦コンプレックスをそのまま出したかのように読みとれる話となったのでした。

ともかく、いろいろな要素が加わった結果として、地球規模の話であっても日本人しか出てこず、美女役だけ白人という、人種問題という観点からするとかなりである話になってしまいました。

以下、次回に続く・・・

(参考)西崎氏の企画および現状については、西崎義展の手記を参照ください。

西崎氏はまだ獄中かもしれません。しかし、西崎氏の果たした役割の大きさを考えると、もっと光が当たるべきではないでしょうか?

富野監督の言葉を見ても、宮崎監督の言葉を見ても、宇宙戦艦ヤマト=西崎氏です。

ヤマト=松本氏になってしまった現状ですが、ちょっと不公平な感じもするので、西崎作品に焦点をあてたページを作ろうかという気もしています。(ヤマトのみならず、YAMATO2520にも焦点をあてたような)

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August 16, 2006

日本の戦争責任について(富野アニメに基づく国家の意思決定モデリングの試み)

靖国神社の参拝に関する議論を見ていて思うのですが、A級戦犯の問題にせよ、神社の参拝の問題にせよ、アジア各国からの批判にしろ、いろいろな議論が噛みあわないのは、そもそも「日本がなぜ戦争をおこしたのか」「誰が主導して戦争起こしたのか」という本質的な問題を、日本人自身が避けているからではないでしょうか?

私は、日本人は、戦後60年以上、この本質的な問題から逃げてきたと思います。

しかし、アジア各国やアメリカの被害者はもとより、いやいや戦地に行かざるを得なかった日本兵や、空爆などでなくなった多くの被害者のためにも、いよいよ、真面目に考える時期がきたと思います。そうでなくては、戦没者が浮かばれないでしょう。

まず、日本人が自分で考える以上、「日本」と一言で行ってはいけないと思います。

具体的には、誰が(もしくはどの勢力が)、日本を戦争に引きずり込んだ(主導したのか)?
個人名もしくは組織名で、その役割の大きさを明確にすべきだと思います。

組織の意思決定は、常に様々な思惑がからみます。
当時も、日本を戦争に導くことで、明らかに、自分が得をすると考えた人(もしくは組織)がいたはずです。
(日本人のなかにも、海外の国のなかにも)

もし、誰も戦争には積極的ではなかったとしたら、特定の個人の問題ではなく、組織の意思決定の問題となります。

その場合、日本の組織の意思決定のあり方に問題があったということになるでしょう。

それであれば、この問題は過去の問題だけではなく、現在も続いている問題かもしれません(現在の政治や、企業など)。

さて、この問題をこれからは追求していきたいと思うのですが、いろいろ微妙な問題をはらむので、以下の手順で検討しようと思います。

1.ガンダムを中心とする富野アニメをベースに、国家を戦争に導くにあたり、どのような勢力が登場するかを概観する。(関係ありませんが、私のガンダムのページはこちら

2.日本が戦争に至る過程を分析した本を、片っ端からできるだけ多数読み、そこでは、誰が(もしくはどの勢力が)問題とされているかを分析する。

3.1ででてきた勢力と、2ででてきた勢力を照らし合わせることで、見落としがないようにする。

なんでわざわざ富野アニメを使うかというと、私は、偏見かもしれませんが、学者や識者が、あまり立派な分析をこのジャンルで成し終えているとは思っていないので、見落としのないように考察するためのツールとして利用したいと考えています。

あとは、ガンダムのイメージを活用することで、当時の個人名に詳しくない人にもイメージがわくようにできたらという意味もあります。

富野アニメといってもいろいろあり、知名度を考えるとガンダムをベースにしたいのですが、どうもガンダムというのは、国家を分析するツールとしては、若干弱いところがあるので、とりあえず頭に浮かぶ富野アニメをいろいろ用いながら、最終的には知名度を考えてガンダムベースに統一できたらなと思います。

さて、国家の構成要素はどんな人がいるでしょうか?

順不同で考えると・・
・一般の人Aタイプ:
つまり、国家の意思決定に一般資格でしか関与できず、戦争などが起きると、なすすべもなく被害者になる人々。
この人たちは、戦争を憎み、いざという時には逃げることしかできない。
富野アニメでいうと、ザンボット3に出てくる一般人が印象的です。最悪の例では、人間爆弾の被害者となる人々アキなどがいます。
現実にはどの戦争でも多数派のひとつでしょう。

・一般の人Bタイプ:
国家の意思決定に一般資格でしか関与できない点はAタイプと同じだが、ナショナリズム意識が強く、戦争に賛成する人々。ジオン公国独立宣言を支えた人々はこのような人たちでしょう。おそらく、経済的事情から不公平意識を持っている。
アメリカ独立戦争を支えた人たちもこういう人たちかもしれない。これも結構多数派か。

・一般の人Cタイプ(=軍人):
一般人だが、いざとなると、戦争に借り出される人々。アムロをはじめ、富野アニメにおける多くの作品での主人公はこれに属します。脇役では、ガンダムにおけるアバオアクーの攻防の学徒出陣の兵士などが思い起こされます。

・一般の人Dタイプ:
一般人だが、生きるために戦争や軍人に協力しようとする人々。ガンダムのミハルなど。

・一般の人Eタイプ:
一般人だが、主義のために戦争や軍人に協力しようとする人々。イラクの自爆テロなどはこういう人かもしれない。

・軍人A:職業軍人:
戦いが好きなタイプ。富野アニメではどの作品にもいろいろ登場。

・軍人B:戦争が好きだが、それを利用して権力を目指すタイプ。Vガンダムのタシロみたいなものか。部下を戦わせるタイプ。自分は安全な場所にいて権力や名声が好き。ザンボット3のブッチャーみたいなものか。

軍人C:主義に生きる人。Zガンダムのエマ・シーンみたいなものか。

軍人D:エリート意識に基づく戦争好き。Zガンダムのティターンズみたいなものか。

軍人E:いやいや戦わせられているタイプ。本当は戦争などしたくない。

軍人F:遠大な将来ヴィジョンに基づいて戦争を考えている人。Zガンダムのシロッコみたいなイメージ。

政治家A:高潔な指導者。多少は個人的な欲望もあるが、基本的に全体のことを考えている人。ターンエーガンダムのディアなタイプ。イデオンのドバ総統なんかも一応そうか。

政治家B:欲のある指導者。プライド高く、自分がトップであることが大事。周囲は道具。ガンダムのギレン・ザビみたいなものか。

政治家c:国家のことより自分の保身が最優先の指導者。

政治家D:国家の拡張を優先している指導者。

政治家E:国家の問題といいながら、実は自分の個人的な感情のために戦争を利用している指導者。イデオンのハルルや、逆襲のシャアのシャア・アズナブルなど。

一番偉い人:イデオンでいうズオー大帝(だっけ?)。要するに昭和天皇のイメージなのです。実権はよくわかりませんが、一番偉い人のことです。

反政府活動家A:理想主義者であり、国家意識をこえ、社会改革を夢見て政府と敵対する人。これはガンダムのジオン・レム・ダイクンそのもの。

商業家A:戦争を積極的に利用して利益を得ようとする人々。ガンダムのアナハイム社みたいなものか。いや、F91の家の方が適当か。

商業家B:戦争のなかで中立的になんとか商売を続けようとする人々。ターンエーの・・名前をどわすれ。

技術屋A:技術研究好き。アムロの父みたいなタイプか。

官僚A:国家の意思決定を担いながら、国家の未来を考えている人。

官僚B:国家の意思決定を担いながら、自分のことを考えている人。

マスコミA:真実を追究しようとする人々。

マスコミB:思想統制の一翼を担う人々。

学者A:いろいろコメントする人。いろいろ出てくる。

うーん、いろいろ書いていて、なんか収拾つかなくなりそうな気がしてきました。書いていて、途中から富野アニメのキャラ名もかなり忘れていることにも気づきました・・

もうちょっと、よく考える必要があるかもしれませんね。とりあえず、この手法で何かしら意味がありそうかどうか、何か1冊サンプルに使って実験して考えてみます。

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June 17, 2006

正しい解釈について

これまで様々なアニメの解釈を行なってきました。
解釈にもいろいろあって、物語を理解するのに必要と思われる解釈もあれば、理論(フロイトやユングなどの精神分析系、構造分析などの文化人類学系など)を試す実験として行なった解釈もあり、なかには、遊び心だけで作った冗談のような解釈もあります。(例:作品批評の理論について)

解釈のポイントは、とにかく、ある視点でみれば、こういう理屈付けも可能なのではないか?という論理的一貫性です。

なかには、作者ですら絶対に考えてないことが明らかなケースでも、無理やりどこまで解釈可能か試した例もあります。

また、「エヴァンゲリオン」のように、監督自ら、「正解」や「真実」の存在を否定しているケースもあります。

「正解」がないと言われていても、なぜ人は(今回のケースでは私個人ですが)、解釈により論理的整合性を持った「真実」を探ろうとするのでしょうか?

現在公開中の映画「ダ・ヴィンチ・コード」は、典型的な、ひとつの謎の解釈です。(参照:ダ・ヴィンチ・コードのページ

キリストとマグダラのマリアは結婚していたのか?子供はいたのか?秘密結社は存在するのか?レオナルド・ダ・ヴィンチは作品にどういう意図を込めていたのか?そして、ルーヴルで起きた殺人事件の意味は?
これらの謎をすべて結びつけるとどういう解釈が生まれるのかが、作品のポイントとなっています。

それに対し、同じテンプル騎士団を扱ったミステリーである「フーコーの振り子」の著者であるウンベルト・エーコ(もともと記号論の学者です)は、人間の解釈の力そのものに疑問を呈しています。

テンプル騎士団の謎を扱った「フーコーの振り子」といい、黙示録のとおりに連続殺人事件が起こる「薔薇の名前」といい、その真のテーマは、ある事象に対して、無理やり論理的に「正しい」解釈を行なおうとする、人間の思考そのものを批判することを目指しているような気がします。

その意味で、数千年の謎を統一的に解釈しようとするダ・ヴィンチ・コードと、同じようなテーマの解釈を行なう「フーコーの振り子 」とは、同じく「謎」に対する「正しい解釈」をテーマとしながらも、正反対の視点にあるといえるでしょう。

数千年間に起きたAという事件(例:キリストの処刑)、その千年後に起きたBという事件(例:テンプル騎士団の処刑)、現代に起きたCという殺人事件に、論理的整合性を持った解釈を生むことは可能であるが、それが「真実」といえるのかどうか?

推理小説ふうに別な言い方をすると、同じ場所で黙示録に沿っておきたAという殺人事件とBという殺人事件と、Cという殺人事件。この3つは、関係するのかしないのか?(薔薇の名前はこっちの路線)

エーコの著書は、推理小説というジャンルそのものの否定を行ないながら、人間の論理的思考の限界を示しているような気がします。

私は、現実社会の解釈としては、ダ・ヴィンチ・コードのように、謎の一貫性を求めたり、私自身のアニメ解釈のように、作者が否定していてもとにかく一貫した論理性を作ろうとするものよりも、エーコのように、人間の解釈の限界性・・・つまり、いくら正しい解釈を作ろうと、所詮それは事実とは無関係なものでしかない、という認識の方が正しいと思います。

さて、数年前、ニューヨークのテロで、ビルが爆破されました。
あの事件は、どう解釈するのが正しいのでしょうか?

エーコは、ひとつの意見を発表しました。
それは、(よく覚えていないのですが)イスラム社会とキリスト社会の対決という解釈だったと思います。

私はがっかりしました。
あれほど、人間の「解釈」の限界を示し続けていたエーコが、いざ、現実の社会の解釈を行なったとたん、「イスラムVSキリスト教」もしくは「アラブ社会vs西洋文明社会」みたいな、とても多くくりな「解釈」しかできなかったことに、驚かされたのです。

イスラム教徒にしたって、アラブ世界にしたって、様々な人や立場があるだろうに、なぜ、ごく一部の組織の行為を、そこまで広げてひとくくりに解釈してしまえるのだろうか?と思いました。

日本の歴史でいうと、「なぜ日本は戦争したのか」という問いが同じような意味を持っていると思います。

そもそも、開戦当時における、「日本」とは誰なのか?
「日本」が戦争を開始したのか?その時の「日本」とは誰で、どのような「ロジック」で、戦争を開始したのか?

私自身が調べた範囲では、当時、誰ひとり、個人レベルでは、「ロジック」で戦争をやろうとした日本人はいませんでした。やっても負けることは誰でもわかっていました。それが、組織としての動きになった途端に、誰の意思でもない方向に動くことになりました。(戦争の発端参照)

このへんの解釈は、エーコよりも、むしろ、富野アニメの方が優れていると思います。
富野アニメでは、敵との戦いよりも、むしろ、仲間との内輪もめや、ライバル心が多く描かれます。
また、ひとつの国や民族が起こす戦いが、集団的なロジックではなく、個々人の様々な意識(嫉妬や、個人的な欲望や、利害など)の積み重ねにより、結果として、誰も意図していない方向に組織として展開していく様子がよくわかります。

これは、企業などで働いていると、誰でも実感できるのではないでしょうか?
ライバル会社打倒!などと考えている人はわずかで、ほとんどの場合、そこで人々の意思決定の原動力になっているのは、愛社精神などではなく、従業員ひとりひとりの、個人的な利害・損得・出世欲などです。

立派な企業が、時として意味不明な失敗を平気で行なうことの一因も、もしくはひとつの国家が失敗するときの一因も、同じことでしょう。

このように、組織が絡むと、「正しい解釈」は大変難しくなってきます。

「それはね・・でも、お父様のおっしゃりようは理想すぎます。組織そのもののもつ悪癖を知らなすぎます。」(小説版「ガンダムF91」より抜粋)

組織の意思決定をどのように解釈するか?

「組織と個人の軋轢を見上げる少年を通して人の意識の膠着性を見る」・・Zガンダムの企画書より

話かわって、富野アニメでは、常に、組織と個人のせめぎあいがテーマとなるのに、宮崎アニメでは、なぜ、組織はテーマとはならないのでしょうか?

宮崎アニメでは、主人公は、つねに、組織から外れています。
おそらく、宮崎駿監督のお父さんが、日本軍時代、上官に泣かれながらも戦争を拒否し、日本国内で工場長をやり、のうのうと、女遊びをしながら(?)暮らしていったことと関係があるような気がします。

日本国全体が、多数の死者を出しながら戦争の泥沼にはまり込み、地獄のような状態におかれるなかで、さっさとそれを放り出して、やりたいことをやっていた父親。

おそらく、宮崎監督にとって、父親の存在は、「戦争により一丸となった組織」のリアリティのなさを明示するとともに、組織から外れる生き方を示すヒントにもなっていたのではないでしょうか?

さて、話を戻しますが、人間の思考能力には限界があり、個人の集合体としての組織をイメージすることは難しいし、逆に、結果的には、組織としてどういう行動を行なったのかという理解の方が個人に目を向けるより、はるかに意味を持つ面は確かです。(戦争のように)・・・思考の欠陥①

もうひとつの人間の思考能力の特性として、無理やりにでもいくつかの事象に論理的な整合性をつけようという傾向があります。(ダ・ヴィンチ・コードや私のアニメ解釈のように)・・思考の欠陥②

この2つの思考の陥穽を通り抜け、なおかつ、事実の羅列以上に、事象の理解に有意義な貢献をなす理解というものができれば、それが、現状ではもっとも「正しい解釈」に近いのかなーと思いますが・・なかなか難しいですね。

たぶん、人間の思考の根本的な特徴に逆らうことになるのでしょう。

アニメ分析でも企業分析でも、小説や政治の分析でも、なんでもいいから、そういう解釈を見てみたいし、自分でもやってみたいのですが・・

経済学における、個人の欲望を関数化して、その集合体として市場の動きを捉える考え方など、アイデアとしては面白いのですが、あれはあれで現実を捉えるのには難しい方向に突っ走っている気がしますし・・

たぶん、個人に焦点をあてて組織を考えるという点では正しいのですが、無理やりにでも事象をモデル化して考えている点がまずいのかもしれません。(つまり、思考の欠陥①は数式モデルで突破したが、そのぶん、数式モデルで一般化され、思考の欠陥②にずっぽりとはまっているというか)

ロジックで謎を解明する伝統的な「推理小説」というジャンルや、事件の動機を重視する犯罪の「捜査方法」が、エーコが様々な作品を出した80年代から揺らぎ始め、かわりに「FBI心理分析官」や「羊たちの沈黙」のような、動機無しの連続殺人に注目が集まり、「解釈」よりも事実の結びつきの発掘(データマイニング)に焦点が移ったことは、90年代以降、(パソコンの高性能化に伴って)企業のマーケティング手法でデータマイニングが取り入れられていったこととも関係があるようなないような・・
ともかく、「犯罪」や「マーケティング」など現実社会においては、「解釈」では限界がある事象に対し、事実データの結びつきの方が、重要な分析結果をもたらす例がいろいろと登場してきているということでしょう。

ここまで書いていて思ったのですが、これ以上、解釈の理論を「解釈」してみても、あまり進展なさそうなので、今後は時々、アニメなり企業なりの具体例を用いながら、ひとつひとつ丹念に分析しながら、考えてみたいと思います。

(参考)今回取り上げた作品

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December 17, 2005

ガンダム美術展「来るべき未来のために」を見て

先日、ガンダム美術展「GUNDAM -来たるべき未来のために」に行ってきました。
もともとは大阪でやっていて、現在は上野の森美術館でやっているものです。(~12/25)詳細はこちら

見ていて、正直複雑な気持ちになりました。
美術展の趣旨はわからなくはないのですが、どうもガンダムとのリンクが中途半端というか、踏み込みが甘いというか・・

いろいろ考えさせられる展示会ではありました。

①テーマ設定について
現代美術でどうガンダムを表現するかというのがテーマなわけで、
・戦争
・進化
・生命
という3つの角度からガンダムを表現しています。
そして、戦争ということについては、「戦争の悲惨さ」という角度からガンダムを捉えた作品が目立ちました。
骸骨、戦場に人を送り込む鳥肌立てたセーラの巨像など・・

ガンダムというアニメ作品では描かれなかった戦争の実像、というコンセプトなのでしょうが、そうであれば他にももっと鋭い突っ込み方があったのではないでしょうか?

例えば、実際の戦争では、死ぬのも苦しむのも、兵士ではなく、一般市民の方がはるかに多いわけです。

そう考えれば、むしろそのことをテーマにした富野監督の「ザンボット3」という作品があるわけですから、それとリンクさせた角度もあったと思います。(私のザンボット3論はこちら

少なくとも、富野監督が「ザンボット3」で描いていた戦争ほどには、鋭さがかんじられませんでした。

作品の製作者達は、私とかなり近い世代なので、まあ、所詮は戦争を知らない人たちが、戦争アニメをきっかけに戦争を想像してみましたというところでしょうか・・

戦争の描写というのは、戦場に行った漫画家がかくよりも、一般人として戦争を経験した人の方が怖いものです(手塚治虫の空襲ものなど)。

その少し後の世代(宮崎駿監督、富野監督)などは、やはり戦争による一般人の被害という視点が(作品にもよりますが)時に強烈にあります。

しかし、ガンダムで戦争を想像してみた世代の作品となると、せいぜいが兵士の気持ちなのでしょう。
→冷たい言い方ですが、私とほぼ同世代だけに、自戒も込めて言っています。

②ニュータイプについて
面白い試みとして、ニュータイプのテストというのをやっていました。
一次試験 5枚の中から1枚のESPカードをあてる。
二次試験 2人一組になり、一人が思念を送り、もう一人(バイザーをつけて目が見えない)がそれに導かれて、障害物をさけて歩く。

残念ながら、私が行った時はこれらのテストはやっていませんでした。
その気になれば、自宅でもできるので、相手をつとめてくれる人がいる方は、ご自宅でやってみてもよいのではないでしょうか?

ただ、これも、いわゆる25年前のニュータイプ論から一歩も進んでいないというか・・

富野作品が(というかガンダムシリーズが)ニュータイプ論でぼろぼろになりながら苦闘していた歴史(私のVガンダム論第一章「宇宙世紀の終焉」参照)は全く無視され、昔の超能力ブーム(これは私より上の世代かな?)みたいな角度の切り込みでした。

なお、昔ファミコンゲームでエスパー清田少年(だっけ?最近の若い人は知らないでしょうが)が製作した超能力養成ソフトがありました。

私は、大人になってからラスベガスに行く前に、このソフトを特訓して全クリアしました。
内容は、「次に出てくるのは何色の車か?」「カードの中の一枚だけ絵が違うけどどれか?」みたいな感じで続くものです。

まさに、今回のニュータイプテストみたいなものですね。

もちろん、ラスベガスでは、(一時的なビギナーズラックはあったものの)全てを失いました・・

③現代美術について
今回、最も考えさせられたのはこの点でした。

たしかに、どれもいわゆる『現代美術』的作品でした。

しかし、現代美術とガンダムが結びつくことで、何が見えたでしょうか?

主催者は、「難解な現代美術を、ガンダムと結びつかせることで、普段美術などに関心がない若者にもとっつきやすくしてやろう」という

教育的配慮を考えていたようです。

しかし、私が今回はっきりと悟ったのは、「現代美術が何故駄目なのか」でした。

もともと美術というのは、一部の愛好家のものではなく、一般的な人々(民衆)や金持ち(貴族)、寺院や教会などが、自分達で何かの具体的なイメージを理解するために長らく存在しました。

ですから、芸術家の楽しみではなく、何よりもまず人々に支持を得られるかどうかが勝負だったはずです。

しかし、近代のヨーロッパ以降、やがて芸術の役割は独立し、20世紀になっていわゆる「現代美術」が生まれるのですが・・

正直言って、今回の展覧会に限らず、頭でコンセプトを考えた作品が多すぎると思います。

だから、理屈の面白みはわかるんだけど、感動はない作品が多いというか・・

結果として「芸術」は一部の人の世界のものになってしまったのだと思います。

そのことを、何よりも考えさせられたのが、外に飾ってあった富野監督自らの作品でした。(真ん中の赤いところにいる小さいのがガンダムで、巨大な敵(ザク)と戦っています!クリックすれば拡大するので少しよく見えるようになります)

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深読みかもしれませんが、富野監督自身、この展覧会が嫌だったのではないでしょうか?「好感を持った」発言も確かにありますが、それは、ガンダムを肯定的に再評価してくれる企画ならOKしようというレベルではないでしょうか。

なぜなら、美術展ではありませんが、映画祭についてこう言っているからです。

『映画好きのとってもいい空気で、なんか同好の士ばかりで、僕もその中に完全に溶け込めてね、うふふふ。お前らにはこういうのわかんないだろうねぇ。お前達はほんとアニメしか知らないバカだから』って言って、おしまいですよ、きっと」

「これだったら、バカなアニメの上映会-そのへんで2、30人ぽつぽつとコスプレやっているバカが混じっている、そういう上映会の方がずっといいなと思いました。」

「(ロボットアニメについても)『ミーハーごときがやっているものだから、こりゃクズだろ!』と言い切る姿勢でいいんじゃないでしょうか。」

だからこそ、自分の作品を美術館には入れず、あえて外に出し、かつ、写真もOKにした可能性はないでしょうか?本当はもっと巨大にして皆が手を触れられるようにしたかったのでは?ジブリミュージアムのように・・

(と、写真を撮ろうとした子供がラインに気づかず踏み越えたために親子ともども怒られた私は考えてしまいました)

富野監督が、古典的な手法の造形で表現しているのは、まさに

「まだ怒りにー燃ーえるー。闘志がーあるーならー。巨大なー敵をー撃てよー撃てよー撃てよー」

という言葉をそのまま表現した、巨大なザク達と戦うガンダムの姿でした。

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これこそが、まさにガンダムの真髄であり、あれだけの支持を得られた核心でしょう。

ガンダムとは、何よりもまず、見ていてわくわくする楽しい作品だったのです。

それを、頭でっかちになった「現代美術」が、さらに頭でっかちに戦争・ニュータイプなどのテーマを真面目に表現しようとしたとき、そこには、ガンダムが持っていたエンターテイメント性はすっぽり失われていました。

もし、戦争について真面目に考えたいのなら、他の方法はいくらでもあるでしょうし、上にも書いたように、少なくとも初代のガンダム以外の富野作品の方が適切だったでしょう。(これは今回のテーマ1の「戦争」について)

ニュータイプや進化について多少なりとも真面目に考えようとするなら、なぜ、Zガンダム以降ニュータイプが袋小路に入り、Vガンダムでは進化よりも人類の退化が焦点となり、エスパーが登場するようになったのか、考えてみてもよかったでしょう。(これは今回のテーマ2の「進化」について)

生命について考えたいのであれば、「機動戦士ガンダム」の直後に作られ、人類の生命の死滅と再生を描いた「伝説巨神イデオン」に一言触れてもよかったでしょう。(これは今回のテーマ3の「生命」について)

美術という観点でいえば、たとえば、ロボットや兵器が持つ機能美や、巨大な造形物が持つパワーそのものについては、今回の美術展の関係者は誰も何も感じなかったのでしょうか?それこそ、現代美術ならではの視点で何か語ってもよかったのでは?(そういえば1/1コアファイターがありましたね。あれはちょっと面白かったです。でもガンダムミュージアムのザクの頭の方がいいけど)

現代美術作品の多くは、どれも製作の理屈は面白いのですが(私は解説スピーカーを聞き、説明パネルも熟読しながら館内をまわりました)、素直にわくわくさせられる感動はありませんでした。(ガンダムミュージアムの方がわくわくしたなぁ・・)

おそらく、このような直接的な感動こそが、現代美術が失ってしまったものではないでしょうか?

その意味で、今回の美術展が、「無知な若者への現代美術の入門の場」ではなく、「大事なものを見失ってしまった現代美術が、若者向けエンターテイメントであるガンダムと向き合うことでハートを取り戻す場」になってくれる面があれば、開催した価値もとてもあったといえるでしょう。

そうでなければ、現代美術とガンダムの25年目の一瞬の邂逅は実ることなく終わってしまうでしょう。

ララァ「なぜこういう風にしか会えないのかしら・・あなたは私にとって遅すぎて・・」

アムロ「ぼくにとってあなたは突然すぎたんだ・・」

④ガンダムについて
もっとも、上であげたような現代美術への批判は、富野監督のガンダムシリーズそのものへも向けられるべきかもしれません。
最初のガンダムが持っていた「わかりやすさ」「わくわくさせる面白さ」みたいなものを、後のシリーズは明らかに失っていたので・・

しばらく前にスカパーでガンダムの再放送をやっているのをたまたま目にしたら、とにかくモビルスーツが大きくて迫力あるのに驚いてしまいました。似たような構図なのに、Zガンダム以降と比べると随分迫力が違うのです。

しかし、今回の富野監督の作品を見て、ガンダムが面白かったゆえんであるエンターテイメント性の真髄を失っていない!と思いました。

まだまだ面白い作品を作ってくれると期待しています。

⑤最後に
入館料は1000円くらいだったのですが、目録が2800円。ガンダムの特製クリアモデルが1500円。その他少々買った(実は、上の文章では批判しまくっているが、心の中ではいいなーと思った作品がいくつかあった(個人的には天命屋氏の作品などきれいだと思ったし、他にも気に入ったがのがあり、いろいろ買ったのでした)ので、全体では結構いい出費になりました。

(参考)天命屋氏の作品:館内撮影禁止のため、お土産品で売ってたものを撮影

05-12-18_13-43

お客も入っていたので、売上は相当なものでしょう。商売のために、テーマ的なリンクは無視し、あえて知名度の高い「機動戦士ガンダム」にしか目を向けず、その他の富野作品には触れなかったというのなら、それはそれで成功だったかもしれません。

東京現代美術館でやっていたハウルの大サーカス(「ハウルの動く城ページ参照」)は、今思うと商売っ気があまりないという点では、良心的な(?)展覧会だったのかもしれません。

どっちが面白かったかというと、悩むところですが・・

まあ、どっちも面白くなかったけど、どちらも、いろいろ考えさせられる場ではあったというのが、正直なところです。

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September 22, 2005

オタクの定義

先日、エウレカセブンの文章をこのブログに書いたとき、野村総研の発表で、オタク市場の分析という面白いものを見つけました。

この分析の主旨は、オタク業界の市場規模が2900億円と大きいという話なのですが、個人的に面白かったのは、そこで使われているオタクの定義です。

ちょっと長いけど引用します。皆さんも、自分が該当するかどうか考えながら読んでみると面白いのではないでしょうか?

(参考資料)各分野のマニア消費者層の定義と特徴

●アニメマニア
 TVアニメやOVA(オリジナル・ビデオ・アニメーション)、アニメ映画の視聴を日課とするアニメ好きな層。TVアニメ番組を週2桁以上録画する人が多く、PCやHDDレコーダーを積極的に活用するなど、ITリテラシーは相対的に高い。年齢層は15歳~40代までで、男性が中心。全体市場(アニメDVD市場を想定)の約13%が、アニメマニア層による市場となっている。コンテンツを共有していることが多いコミックマニア、ゲームマニアとの重なり度合いが高い。また、アニメ録画、PCゲームといった軸から、PCマニアとの相関も強い。

●アイドルマニア
 特定のアーティストやタレントに対して強いあこがれや共感を持ち、情報収集や応援活動を生活の中で高い優先度で積極的に行う層。マニア層は男女別に主に形成され、年齢は10~30代。基本的に「現場系」(アイドルと空間と時間を共有したい人、時間面の負担が重いため10~20代の若年層が多い)と「コレクター系」(資金面の負担が重いため20~30代に分布)の2タイプおよびその複合系からなる。

●コミックマニア
 同人誌即売会に参加する、あるいは同人誌を執筆する層。10~40代まで幅広く分布。少年系、少女系、アダルト系などジャンルが細分化。コミックでのキャラクターが活動の中心であり、その表現形態はさまざまな形を取る。派生系としてコスプレ、同人小説などがある。アニメマニアやゲームマニアとの重なりが大きい。
 同人誌で展開されるパロディーが、プロ漫画家を生む土壌として出版業界から半ば公認されているのが特徴。

●ゲームマニア
 生活時間のほとんどをゲームに費やしているヘビーユーザー層。13~24歳の若年層と30代に分布。
 家庭用ゲーム市場が最も大きいが、ビッグタイトルの寡占化が続き新しいジャンルの創造がなく、沈滞気味。コアユーザーは高齢化が進み、ネットゲームや、新機軸ゲームが登場するPCゲームに流れている。ゲームメーカーとの情報交換密度が非常に高く、ゲームの拡張や改造にも参画している。

●組立PCマニア
 文書作成などPC本来の使用目的を忘れ、組み立てる行為が目的化している層。余暇時間や可処分所得の多くをPC組立に投下。圧倒的に男性中心。「リッチマニア」と「ジャンクマニア」に大別される。
 リッチマニアは主に18歳~30代に分布。秋葉原電気街のPCパーツショップで新製品を初期価格で購入する。新製品へのリーチ力が求められるため、比較的都市部に多く在住。インストールしベンチマークが取れたら、翌週には中古ショップで売り抜け、次のパーツを物色する。リッチマニア市場で流行したものは、1~2年遅れでメーカー製PCに取り込まれる傾向があり、PCメーカーにとっては自発的に繰り返されるテストマーケティング市場と見ることができる。
 ジャンクマニアは、主に15~18歳(少数)、40代(メイン)に分布。秋葉原電気街の裏通りで、在庫処分の激安パーツや中古パーツを収集。こちらも都市部に在住。ロースペック機に最低限の機能追加を繰り返すため、不要パーツの資産価値は小さく、消費サイクルも長い。

私は、残念ながら(?)どれにも該当しませんでした。

なかなかオタクになるのも大変なものです。私はアニメやゲームには結構時間かけているのですが、ここでの定義には遠く及びません。

さて、思い起こせば、私がエヴァンゲリオンのページを立ち上げた当初、念頭においていたことのひとつは、数多いエヴァ解釈が、あまりにもオタク視点に偏ってないか?というものでした。もっとも、ここでいうオタク視点が何だったのか、随分前のことなので、今となっては自分でも覚えていません。

ともかく、私は私なりに、オタク視点ではないエヴァ解釈をと思いホームページを作成しました。

さて、ある日、何かのきっかけで、自分のエヴァページがある大学の研究室で紹介されていることを知りました。どういう紹介されているんだろうと思ってそのページを見ると、書いてあったのは「オタクの代表的見解」という表現でした。

ウーム。オタク視点ではないページをと思っていたのが、いつの間にか代表格にみなされるとは・・と苦笑いした覚えがあります。もっとも、あれから7~8年たち、膨大にあったエヴァページも随分減ったので、いまだに現役でコンテンツを増やしている以上、何をいわれても反論する気もありませんが。

そういえば、エヴァの庵野監督は、自分自身が、誰よりもオタクだったからこそ言うのだといって、オタクに対し、現実に帰れ宣言をしていました。エヴァの映画版の実写シーン(とくにそのCM版)などは、声優さんたちがアニメキャラを演じるもので、オタク批判のひとつの象徴でした。

さて、オタクの定義もいろいろ難しいものがあるのですが、野村総研の定義より面白かったのは、ガンダムなどの富野監督の定義です。

富野監督が、清水宏という戦前の監督の映画祭に行った時の感想です。

「主演は上原謙ですが、僕は今までこの役者の作品は戦後のものをちらちら見ている限り、なぜ彼がスターなのかよくわかりませんでした。それが今回見てみたら、これが実にかっこいい!おれもう、参っちゃった(笑)。でも、そんなふうに見ている気分が、会場のどこにもないんですよ。」

「だいたい、そのころの実写映画なんていうのは、写真の映像が動いていて、なおかつ音声がついているだけで、「うわーっ、すごい」と思って、バカどもが見るようなものなわけでしょう。ところがその映画祭では、そういう気分が全く無くて、じーっと文学書を読むような感じで、食い入って見ているわけです。」

「見ていて、ああ、本当のおたくっていうのは、これだと思いましたアニメのおたくなんて、あれはおたくじゃない。あれは普通の人間でしかない。おたくっていうのはこんなところにいた!こんなところに生息していた!と思って、本当にびっくりしました。」

「『映画好きのとってもいい空気で、なんか同好の士ばかりで、僕もその中に完全に溶け込めてね、うふふふ。お前らにはこういうのわかんないだろうねぇ。お前達はほんとアニメしか知らないバカだから』って言って、おしまいですよ、きっと」

「これだったら、バカなアニメの上映会-そのへんで2、30人ぽつぽつとコスプレやっているバカが混じっている、そういう上映会の方がずっといいなと思いました。」

「(ロボットアニメについても)『ミーハーごときがやっているものだから、こりゃクズだろ!』と言い切る姿勢でいいんじゃないでしょうか。」

富野監督が言っているのは、アニメおたくは、基本的に作品を娯楽として楽しんでいるに対し、ある種の映画祭の観客は、昔の娯楽作品を、文学書を眺めるようにみて、自分が優越感を抱くための道具としているということです。

本来は、無教養な人間の娯楽であったはずのものを、いつの間にか、高尚な文化のようにみなし、そこで優越感を感じる人々・・

私は、富野監督の批判に全面的に賛成です。

バカなアニメ見ている人間より、高尚な映画見ていると思っている人間の方が、よほどたちが悪いと、心から思います。

なぜなら、私自身もまた、そのような映画青年(?)であった時代があるからです。

私がそのような「本当のおたく」を自覚し、脱したときのエピソードを話します。

昔、銀座には並木座という有名な映画館があり、昔の映画ばかり上映していました。

学生時代、そこによく行っていた私は、黒澤明の白黒映画「素晴らしき日曜日」を見に行きました。

私は、この映画にはかなり引き込まれました。(私は黒澤映画は時代劇より現代劇の方が好きです。一番は「白痴」かな)→いや、こういう発言こそが、真のオタク的発言です)

物語も終盤に差し掛かる頃、ヒロインが、駄目な主人公を見かねて、突如、観客席の方を見て涙ながらに絶叫します。

「映画を見ている皆さん!この人は、本当にこのままでは駄目になってしまいます!是非、皆さんの拍手で、この人を応援してあげてください!お願いします!拍手をしてください!!」(セリフはうろおぼえ)

映画見ていていきなり登場人物に声かけられるのは初めての経験だったので、ドギマギしながら、あわてて、これは拍手しなくては!と思いました。

ところが、ふと気づくと、周囲では誰一人、拍手していないのです!

それに気づいた途端、私も、恥ずかしさを感じ、拍手できなくなりました。しかし、彼女は呼びかけ続けます。

「お願いです!拍手してください!」

しかし、私も、周囲も、誰一人拍手しませんでした。

「お願いです!!拍手を!」

永遠に続くかと思われた沈黙の後(実際は一瞬でしょう)、彼女は最後にこういいました。

「みなさん、拍手ありがとうございました!これで彼も立ち直れると思います!」

私は心底、そこにいた観客が皆、嫌になりました。なぜ、誰も拍手できなかったのだろう?古い映画だし、既に何度も見ているからだろうか?しかし、それは理由にならないだろう。

同様に、拍手を一人でもできなかった、自分が情けなく思えました。

そして、この映画館には、この映画を見る資格がある人間は一人もいなかったし、自分にもその資格はなかったと考えました。あれは、ヒロインの呼びかけに応じて拍手できる観客がいてこそ、成り立つ娯楽映画なのです。

そのような情熱なしで、冷たい感性で、批評家的に映画を見る人間には、あの映画を見る資格はありません。

それ以降、私は、二度と、並木座に行くことはありませんでした・・

ヒロインに頼まれても拍手ができない映画ファンよりは、富野監督がいうように、コスプレしているアニメファンの方がよっぽどましでしょう。娯楽作品を素直に楽しめているからです。

(もっとも、映画公開当時も、日本人は拍手できなかったそうです。誰か一人が拍手始めれば、結構のった人も出たかもしれません。逆に、海外ではお客さんが拍手をすることが多く、異様な盛り上がりを見せたそうです)

というわけで、オタクの定義は難しいものがありますが、娯楽作品を娯楽作品として楽しめている限りは、問題ないのではないでしょうか。面白い作品に素直に反応できなくなったり、逆に、つまらない作品を知っていることにプライドを感じるようになったら、ちょっと問題かもしれません。

皆さんはどうでしょうか?

えっ、私ですか?

私についていえば、大丈夫です。

なぜなら、先週キッズステーションでやっていた「伝説巨神イデオン 発動編」を見ていて、わずか1時間30分(ぐらい)の間に4回も涙を流しました。(小学生の頃見たときは泣くシーンなどなかったのに・・ただ単に、年取ると涙もろくなるということでしょうか・・)

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September 09, 2005

選挙について(ガンダムによる民主主義のモデリング)

もうすぐ選挙です。

個人的には、郵政民営化などより少子化や外交問題こそ、重要課題だと思うのですが・・限られた時間内での、課題の順序付けが間違っていると思います。今後国際社会は大きく変化していくでしょうし、老人大国でかつ、近隣諸国とも友好関係にない日本は、今から対策をしていかないと、明るい未来はないような気がします。

少子化の国はヨーロッパなどにもありますが、あちらは各国統合の方向に向かっているのに対し、日本はそういうわけにもいかないでしょう。もっとも、好むと好まざるとに関わらず、このまま少子化が進めば、吸収合併されてしまうか、移民を大胆に受け入れるしかないでしょう。

もっとも、それを狙っているというならまた別な話ですが、現状はむしろ、単に真面目に将来を考えていないのと、少子化問題より老人票の獲得を重視しているということだと思います。

「新しい時代を作るのは老人ではない!」(byシャア)

といいたいところですが・・

老人重視の対策では、国際社会の変動には対応できないでしょう。若い世代に活力があってこそ、高年齢層もやっていけるのだと思います。

なんといっても生命線である民間企業がかなりぼろぼろになりつつありますから・・年齢別の人員構成もむちゃくちゃな会社も増えていますし・・

選挙というのは、当然ながら、民主主義がベースとなっています。ここで、留意しておくことは、日本は(というか現代世界は)まだ民主主義の経験が短いということです。

さて、富野作品(とくにガンダムの宇宙世紀もの)を見慣れた方ならご存知なように、毎回、民主主義を否定するグループが登場します。

ザビ家による独裁(ガンダム)

ネオ・ジオンによる粛清(逆襲のシャア)

クロスボーン・バンガードのコスモ貴族主義(F91)

ザンスカール帝国におけるマリア崇拝(Vガンダム)

これは一体、何を意味しているのでしょうか?

単なる悪役でないことは確かです。実際、富野監督のインタビューでも、本人も同じ主旨のこと言っていますし・・

民主主義を否定して、どうする気なのでしょうか?

「じゃ、共産主義にもどるのですか?」

「まさか・・コスモ貴族主義だよ。適材適所の人の配置による、人類社会の全体を我慢の構造にかえなければならない。」

「統制社会ですか?」

「そうだ。自然にたいしての統制。人類はそれほど強大になってしまったということだな。その自覚をうながすためには、市民階級出の下衆な根性しかもちあわせていない連中に、政治を任せるわけにはいかんということだ」

「政治は、高貴な精神が要るということ?」

「そうだよ。自由、平等と博愛というが、それは、高貴な精神が背景にあってこそ実践できることであって、市民の欲望から発した平等論では、エゴの言い合いで、堕落の道でしかない。」

「おっしゃることはわかりますが、それを現在の人間が上手にできますか?ニュータイプでもない人間が・・」

「そのための適材適所だといっただろう?市民社会が持ち出した自由主義から出た欲望論は底なしだということは、承知してくれるな?」

「それはね・・でも、お父様のおっしゃりようは理想すぎます。組織そのもののもつ悪癖を知らなすぎます。」

以上、小説版「ガンダムF91 クロスボーン・バンガード」より抜粋

「政治には高貴な精神が要る。」

かっこいいですね。たしかにそんな気もします。

しかし、だからといって、市民のエゴを否定して適材適所の貴族主義をとりいれるといっても、具体的な説得力には欠けるのではないでしょうか?

富野作品は、人間のエゴや組織の悪弊を見事に描くことがひとつの特徴だと思うのですが、なぜ、民主主義が問題かということを論理的に説明しているわけではありません。

というか、現代の学者にもそのへんの理屈がわかっている人はいないと思います。

民主主義の本質についての見解で、私が感心したのは、まさに世界ではじめて民主主義を生み出した古代アテネのプラトンです。

彼は、民主主義の特徴は、平等と自由であること、しかしながら、その自由と平等がきわまったとき、民主主義は崩壊し、独裁制に移行することを説明しています。

そのロジックを簡単にいうと、

①国民には3種類いる

・権力志向の人

・金持ち階級の人

・その他、大多数の一般人(民衆)

②所得の格差が広まると、権力志向の人の中から、「金持ち階級から一般人へ所得の再分配を行う」という告知をして、民衆の支持をえる指導者がでてくる。

③指導者は、敵対者(金持ち階級)から身を護りたいというロジックで、護衛隊の合意をとり、独裁者へとなっていく。

④独裁者は、常に指導者が必要であるように、戦争を起こす。

⑤独裁者は、人々が反対したりできないように、絶えず働かざるを得ないよう、金銭的にしめつけ、貧困状態におこうとする。

⑥独裁者は、自分に敵対するものを、かたっぱしから殺害するなどにより取り除いていく。

⑦最初は民衆の味方だったはずの指導者は、いつのまにか独裁者となり、自由だったはずの人々は奴隷のように従うことになる。

この、2千年以上前に組み立てられたロジックが、20世紀になって各国が民主主義を取り入れた途端に、そのまま実現してしまったのがヒットラーのナチスです。

当時のドイツ人の貧困と、金持ち階級であるユダヤ人への怒りをもとに、完全に民主主義的な政治体制の中で、ナチスは政権を獲得し、ヒットラーは独裁者となったのでした。

なぜ、プラトンはこのようなことが見抜けていたのでしょうか?彼が天才なのはもちろんですが、当時はちょうど、古代アテネにおける民主主義が独裁者(僭主)のもとで崩壊していく直前だったので、リアルに観察できたのだと思います。

さて、このような民主主義の崩壊モデルのカギは、②のところです。貧富の差がどれだけ拡大するか?つまり、経済的なモデルがどうなるかに絡んでいるわけです。

もし、ドイツのように、資本主義的に貧富の差が拡大し、一部の富める者(ユダヤ人)と、大多数の貧しい者というイメージ(実際にそうかは別として)ができあがり、限界を超えたとき、民主主義下では、論理的に権利関係の取り壊しが行われるはずです(多数の論理により)。それがナチスの台頭からユダヤ人への虐殺となりました。

現代はどうでしょうか?

民主主義がうまくいっている国は、おおむね、経済的に安定しているような気がします。

民主主義でも、国が非常に貧乏で、民衆が、金持ち階級もしくは諸外国に対して怒りをもっているケースでは、指導者の登場により一気に独裁制までいく可能性があります。それは、貧乏な民衆のエゴの正当性でしょう。もっとも、独裁者の登場により、かえって苦しむことになるわけですが・・

つまり、民主主義がうまくいくかどうかは、経済状況にかかっているのかもしれません。

ちゃんと調べたわけではないのですが、そもそも、古代アテネで民主主義が機能していたのも、奴隷制に立脚していたからかもしれません。経済的な不満が少ない人の中でこそ、民主主義はうまく機能する可能性があります。

もっとも、民主主義やめたからといって、事態が改善するわけではなく、まさに支配者と奴隷状態になってしまいます。大事なのは、常に経済のバランスを踏まえて、民主主義を見ていくことでしょう。

さて、端的にいって、世界全体が民主主義で平和的にやっていける可能性はあるのでしょうか?

これも、同じことですが、経済モデルにかかっている気がします。

所得差が拡大し、どうしても我慢ができないものとなった場合、貧乏な多数者の声を反映し、権力志向の人間が独裁者として登場するのでしょう。

所得差がそれほど大きくなければ、皆で仲良くやっていけるかもしれません。

ところが、自由と平等の民主主義においては、やはり、プラトンの定義した金持ち階層の人々は必ず発生するでしょう。すると、その金持ち層の自由なエゴにより、経済格差はやはり一方的に広がるものかもしれません。

もしかすると、中東やアフリカの一部の国で独裁者や戦争が絶えないのは、日本や、その他のいわゆる先進国が、経済的にうるおっていることの裏返しなのかもしれません・・資本主義と民主主義の組み合わせでは、我々の幸せは、どこかに不幸を生むということでしょうか?

全員が金持ちにはなれませんし、資本主義においては、儲かる人がいるということは、損をする人もいるということでしょう・・民主主義でうまくいく国がある反面、独裁者も常にどこかにいるのかもしれません・・

さて、話をガンダム(宇宙世紀もの)に戻しますと、以上の民主主義崩壊のモデルを使うとよく理解できます。

ザビ家による独裁(ガンダム)

ネオ・ジオンによる粛清(逆襲のシャア)

クロスボーン・バンガードのコスモ貴族主義(F91)

ザンスカール帝国におけるマリア崇拝(Vガンダム)

生活水準が皆平等に高くなった(?)ガンダム世界では、本当に重要なものは一つしかありません。それは地球です。

皆平等なはずなのに、一部の者だけが「地球」を独占していると、権力志向の人間が民衆(宇宙移民)をたきつけ、独裁制へと移行していきます。

そして、地球圏への戦争を開始するわけです。

名目は、地球の環境を守るという言い方だったりしますが・・

結局、地球という財産が一部の特権階級の者である限り、何度でもどこかのコロニーに独裁者が誕生し、戦争が起きるという構造になっているのです。

シャアが、地球を寒冷化させることで、やめさせようとしたのはこの構造の繰り返しです。(以下、小説版逆襲のシャア ベルトーチカ・チルドレンより引用。)

「ここに至って、わたしは、戦争の歴史を繰り返さないために、地球圏の元凶である地球に居続ける人々を粛清する!!」(シャアの演説より)

「わかるわよ?わたし。シャアって、哲学やってるのよ。」(クェス)

また、次の会話も興味深いものです。

メスタ「かつてどんな独裁者もやったことがない悪行です」

シャア「人類が、宇宙に進出しても、覇権争いを続けたのは、なぜだな?」

メスタ「例外を認めて、地球に居住する人々を、残したからです」

民主主義化において、このような致命的な所得格差や特権は、今まで見たように、プラトンのモデルをたどって独裁と戦争を繰り返すことになるわけです。

シャア「もうひとつ理由がある。社会的動物である人は、もともとテリトリー争いをする習性がある。わたしはね、宇宙に出た人類の革新を信じたいのだが、人類全体をそうするためには、誰かが人類の業を背負わなければならんとわかったのだ」

人類の革新。

ニュータイプではありませんが、遺伝子のコントロールによる人間の変革は、やはりプラトンの考えていたことでした。(2000年以上前です!!いかに、古代アテネが思想においては現代より先まで洞察していたかがわかります!さすがに、民主主義を発明した人々は頭のよさが違います。それに比べると、日本の民主主義導入は欧米から近代国家として認められたいだけという、視野の狭さでした・・あと戦争の敗北による指導か・・)

さて、プラトンのもうひとつすぐれた洞察は、政治体制と指導者の精神構造の問題をリンクさせて考察している点です。

この点では、プラトンの考えた遺伝子コントロールの話や、現実世界における独裁者の精神構造の話、ガンダムにおける様々な政治体制やニュータイプの問題とリンクさせて論じたい気持ちもしますが、今回は長くなったので、また別途とします。

(参考)

欧米の哲学は、全てプラトンへの註釈にすぎないと言われています。私もそう思います。よく学校の課題図書になる「ソクラテスの弁明」はあんまり面白くありませんが(ソクラテスシリーズ読んで彼に愛着わいてから読みましょう)・・そのほかは皆面白いと思います(?)

ちなみに、ソクラテスはプラトンの師匠ですが、プラトンの著作の主人公でもあります。最初の方のシリーズでは、実際のソクラテスに近く描かれているようです(相手にいろいろ話させて、後から揚げ足とって(?)ロジックを粉砕するパターン)。後半の本では、むしろプラトンの思想を語る役回りとなり、自説をしゃべりまくります。「国家」もそうです。

以前アテネにいったとき、ソクラテスが毒を飲んだ洞穴にいきたかったのですが、わかりませんでした(山はあったけど・・)。また、プラトンが開いた学園の跡地も場所はわかったのですが、何もなさそうなのでいきませんでした。詳しいことを知っている方がいたら、教えてください。

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August 28, 2005

エウレカセブンのビジネスモデルと感想(アナハイムレポート2)

昨日、このブログで教わった、エウレカセブンの1~18話まで一挙放送がありました。

全話見るつもりだったのですが、仕事があり、残念ながら、6話までしか見れませんでした。まあ、とりあえず、6話まで見とけばアニマックスの放送(現在6話放送)には追いつけたということで、今後はそちらで見ようかと思います。

エウレカセブンは、今までのロボットアニメと何が違うのかというと、メディアミックス戦略が本腰で行われている点です。

普通、TVアニメは、本放送が終わってから、再放送したり、DVD売ったり、ゲームになったりするものです。

そういう過程の中で、少しづつ認知されていき、話題を呼んで、やがて爆発的なヒットを迎えるものでした。宇宙戦艦ヤマトであれ、機動戦士ガンダムであれ、新世紀エヴァンゲリオンであれ、日本の大ヒットアニメというものは、常にそういう流れをたどってきました。

そもそも、初放送のロボットアニメを毎週リアルタイムで見るなど、なかなか常人にできるものではないからです(人にもよるでしょうが・・)

ところが、エウレカセブンの場合は、TV放送と同時に、携帯、ブロードバンド、スカパーなどあらゆる媒体で放送を繰り返しています。宣伝も凄いものです。

これは、TV放送の後は、DVD売って、それをマニアやレンタル屋が買って・・とかいう路線を狙っているわけではいことを示しているのと同時に、ロボットアニメの王道であるおもちゃメーカー主体のビジネスでもないことを示してもいます。

とにかく、無料で手広く放送し、できるだけ周知させた上で、エウレカ・プロジェクトは何を目指しているのか?

(エウレカセブンの)発表会に出席したバンダイの鵜之沢伸常務取締役は「バンダイはグループで色々とやっているが、縦割りで横の繋がりがない。バンダイビジュアルは映像素材として売れることを考えているが、OVAの購入層がおもちゃの購入に結びつくことは少ない。そういった中、グループを横断してとりまとめるコンテンツプロジェクトを扱う部署ができた」と語り、「『.hack』がうまくいき、海外では桁違いの販売本数を上げている。 (『.hack』スタイルで) 何本か作っていきたいと思った。そのノウハウが活かされている」とコメントした。(GAME WATCHより引用

なるほど。

レンタル屋でOVAを借りたり、DVD買うユーザーと、おもちゃの購入層は別セグメントだったんですね。これは、確かにそんな感じがします。自分の周囲を見ても。

しかし、OVA狙いでもなく、おもちゃ狙いでもなく、エウレカセブンは何を狙っているのか?

企画のきっかけは、実はバンダイのゲーム制作からスタートしている。2003年の夏頃、バンダイの「機動戦士ガンダム」や「ジオニックフロント機動戦士ガンダム0079」などを制作してきた株式会社ベックの企画で、ロボット物のゲームとしてスタート。ちょうど当時、ボンズでも河森正治氏のメカニックデザインでアニメを制作する企画がスタートしており、ゲームのコンセプトをベースに世界観、ストーリーが組み上げられていったという。

「.hack」を凌ぐ規模のプロジェクトであることは間違いない。「.hack」ではゲームからスタートした初めてのケースということで、後になって派生商品が生まれる展開もあったが、今回は早い時期にコンテンツがリンクしながら発表されていく展開となっている。その中心となるのが4月から放映されるアニメであり、この夏の発売が予定されているゲームだ。

なるほど。最近盛んに宣伝されているエウレカセブンのゲーム。実はあちらが発端だったようです。OVAでもおもちゃでもなく、ゲームが実は真の狙いのようですね。

たしかに、最近、ロボットアニメの世界は大きく変わりつつあり、ゲーム産業とのリンクは大きそうです。なぜガンダムシリーズの中でも「Zガンダム」が映画化されたかといえば、ひとつの理由として、ゲームの「エゥーゴVSティターンズ」や、「ガンダム VS Zガンダム」の大ヒットが影響しているのは間違いないでしょう。

ゲーム産業というのは、OVA業界などよりどれ程大きかったんだっけ?と調べたところ、昨年の野村総研の比較によるとオタク(同社の定義による)ゲーム市場が450億であるのに対し、アニメ市場は200億円です。これは、バンダイの経営者視点で言えば、ゲーム重視になりますね。

ほかにも参考となるデータがないかと、2年ほど前の日経「大人のガンダム」をパラパラめくり、「ガンダム市場は全体で年間500億市場」などの文字を読んでいると・・ウン!なんだこれは!

「国内での成功と海外での挑戦 ガンダムゲームの現在と未来  バンダイ・鵜之沢伸常務インタビュー」

という記事がありました。鵜之沢伸常務って、そういえば、上の引用でエウレカセブンの発表していた人だよな・・バンダイのゲーム責任者だから、両方につながっていても当然か・・と思いながら発言を読むと、

ガンダムゲームは、モビルスーツ戦がメーンでしたから、女性はそうしたゲームよりも、映像作品(DVD)の方にお金を払うんでしょうね。

などという発言も見え、当時から、DVD販売とゲーム販売の関連、性別との関わりなどを問題としていたのがわかりました。(今回のエウレカは男女両方に受け入れられる作品を目指すようです)

しかし、・・なんかこの鵜之沢伸常務取締役は、どこかほかの記事でも見たような・・と思って引っ張り出してきたのが「ゲーム批評2004年1月号」の記事

「成功のカギを握る豪腕プロデューサー 『ガンダムネットワークオペレーション』が成功した理由」

この記事がこの取締役に焦点を絞った記事でした。

それによると、その昔、鵜之沢伸常務はマルチメディアブームに影響を受け、ピピン(というバンダイのゲーム機が昔ありましたねー)に莫大な投資を会社にさせ失敗。ピピンは特損270億の失敗。これによってバンダイは混乱し、セガとの合併話まで(セガバンダイ)登場。鵜之沢伸常務はピピンの後始末をしたあと、閑職で暇をかこったそうです。しかし・・

01年バンダイのゲーム部門の責任者に執行役員として就任する。クソゲーのバンダイが突然変わるのはそこからだ。氏の体制になって、数々のタイトルがヒットし始める。02年以降、日本のゲーム産業の中でバンダイが国内の少ない勝ち組と言われるようになる。新作『エヴァンゲリオン2』のような「2」をかぶせる枠組みは、氏がいなければ絶対に不可能であっただろう。(ゲーム批評より抜粋)

とうとう、エヴァ2まで結びつきました。

確かに、しばらく前まで、バンダイのゲームといえばキャラクター商法でしかなく、せっかくのコンテンツをドブに捨てるような内容ばかりでした。それがここ数年大きく変わり、とくにガンダムゲームをカプコンに作らせるという、ゲームファンなら誰もが夢見たような状況が現実に起きたのをみて、「バンダイも変わったなー」と思わせたものですが、鵜之沢伸常務の影響だっだということでしょうか?

また、もう一点興味深かったのが、どのインタビューでも、鵜之沢伸常務はコンテンツ作りの大切さを語っていた点です。納期をまもることよりも、品質を優先するという・・。

だからこそ、いままでのメディアミックスがどれもたいしたことなかったのに対し、最近のバンダイの作品はどれも力強いのでしょう。

<今回のビジネスの教訓>

・納期よりも品質を優先すること。

・力のない関連会社よりも、本当に実力のある他社に外注すること(カプコンなど)。

まさに、日本企業の多くがお手本とすべきような成功事例です。

このような事情があってこそ、最近のガンダムブーム(ゲームの大ヒットから映画化まで)やエヴァ2の登場もあったのでしょう。

また、最初に取り上げた常務の以下の言葉にも注意しましょう。

「バンダイはグループで色々とやっているが、縦割りで横の繋がりがない。そういった中、グループを横断してとりまとめるコンテンツプロジェクトを扱う部署ができた」

バンダイとしては、単なるメディアミックスのみならず、社内各部門に相乗効果を持たせるための業務改革でもあるわけです。これは、いわゆるカルロス・ゴーン的の言うクロス・ファンクショナル・チームと同じ意味です。部門バラバラではなく、会社としての全体最適を目指すための模索です。

同じような問題(業務の縦割りによる横連携のなさ)が起きたり、それに対する横断チームによる改革の試みなどは、成功不成功はともかく、大企業ならどこでもやっていることです。ただし、バンダイがやると、メディアミックスと同じことを意味するところが、この会社の面白いところです。

もっとも、会社全体としては、あまり成果が出ていないからこそ、5月から報道されているようにナムコとの合併という話になったわけですが・・キーはやはりゲーム業界の問題のようです。

さて、バンダイの視点はひとまず置いて、作品としてのエウレカセブンはどうでしょうか?私はせっかくの無料放送なのに、仕事が入って6話までしか見ていません。ですから、あまりどうこういうほどわかっていないのですが・・

作品自体はとても高品質だと思います。エヴァに似ている部分が多々ありますが・・「人類補完計画」ならぬ「アゲハ計画」に至っては、マネなのかパロディなのかオマージュなのか引用なのか、よくわかりませんが笑ってしまいました。

高品質な作品ですが、エヴァのような大ヒットにまでつながるかどうかは、6話まで見た段階では、正直なんとも言えません。たぶん、本当に大ヒットにつながるには、品質の高さとは異なる何かが必要で、それが6話までだと特に明確には意識できませんでした。もっとも、私が本当にエヴァにはまったのは16話以降ですから、今後の展開しだいです。

私のように解釈好きな人間としては、オープニングにいきなりフレイザーの「金枝篇」が登場する辺りは、とてもそそられます。エヴァでいう「死海文書」よりは、たぶん、まともに活用されるのではないでしょうか?私はフレイザー好きで、6千円だか8千円だか払ってフレイザーの「旧約聖書のフォークロア」なども買っているほどですので、今後の展開しだいでは、エヴァページみたいな感じでエウレカセブンのページも作るかもしれません。

ともかく、鵜之沢伸常務は、ガンダムゲームを救ったという功績のある人でもあり、一方で、今回のエウレカのように無料で放送して別なところで儲けようというやり方は、一般視聴者としてとてもありがたいものです。(いままで、多くの気になっているアニメを、数回見逃して、そのまま見るのやめてしまった経験があるので)

「納期より品質を優先する」というゲーム業界で成功した方法論をTVアニメ界にも持ち込み、素晴らしいアニメを作ったうえで、ゲームとのタイアップを成功させて欲しいものです。

エヴァ放映前に庵野監督がインタビューに答えて言っていた言葉が思い出されます。

「メディアミックスといっても「核」を持たなければ、ただ弱いものが寄り集まってるにすぎません。その核の部分に強力なアニメ作品がくればいいんですけど、現実にはそんな強力なエネルギーをもったオリジナルアニメが、なかなか出てきませんね。」(NEWTYPE 95年1月号クリエイター対談「庵野秀明×貞本義行」より抜粋)

エウレカセブンは、ビジネスモデルとして万端の準備を整え、莫大な広告費用を投じて実行に移し、ゲームも来月には発売になるようです。

後は、核となるアニメがどこまでエネルギーを持つ作品になるのか、期待して見守りたいと思います。

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August 08, 2005

ナレッジマネージメントを活用したエヴァの謎解き

エヴァンゲリオンとは、ある意味で知恵をどう扱うかという話です。人間に知恵がついてしまった結果として、自己存在に悩んだり、いっそ、人類の心を補完しようとしたり。

実際、「知」の扱いとは難しいものです。全然違う次元の話ですが、企業では、社員の知をうまく統合して成果をあげるために、「ナレッジマネージメント」ということをやっております。

このナレッジマネージメントというのも千差万別で、「こういうことは誰々に聞け」というレベルの知もあれば、「数万事例の中から最も的確な事例を探せ」というようや例まであります。

私がしばらく前にちょっと関わったのは、後者のシステムの仕事でした。

一般には、誰かが何かを探すときは、インターネットの検索ツールを使えば、結構見つかるものです。Googleとか、Yahooとか。

しかし、時間制限のある環境下でリアルタイムに正解を探そうとすれば、検索ツールのみならず、事前に回答事例を整備しておく必要もあります。そして、それは、ものすごい工数をくう作業なのです。とても人手ではできないので、データマイニングなどの技術を利用して、回答事例を整備しておく必要があります。そういう準備があってこそ、検索ツールと組み合わせることで、一瞬で的確な事例が発見できるのです。

ところが、これは、現在の技術では、まだまだ難しい面があります。一例として、皆さんが使っているパソコンについて何か技術的に知りたいことがあった場合、自分のパソコンのメーカーや、他のメーカーのWEBで検索してみてください。正答率や、回答の使いやすさに随分差があることに気づくはずです。

もっと小規模な事例整理でさえ、うまく機能させるのはとても難しいことです。情報管理する人の手間、情報を提供する人のモチベーション、情報を更新する速度など・・

このようなナレッジマネージメントについて調べていて面白かったのが、太平洋戦争時の日本とアメリカの例です。日本では、現状に関する様々な事例が全て無視され、唯一の権威は、日露戦争時のマニュアルでした。なんといっても、日本が勝利を得た方程式だから、これ以上のマニュアルはないというわけです。日本は、陸海とも、基本的には最後まで日露戦争のときのマニュアルに基づいて太平洋戦争を戦ったのでした。陸軍であれば銃剣を用いての夜襲。海軍であれば、戦艦による決戦。陸軍は、戦車にすら、歩兵の支援以上の価値を認めなかったそうで、速度もその範囲にとどめたそうです。結果として、いまだにハワイの陸軍博物館には、日本製の戦車と、アメリカ製の戦車を並べて誇らしげにおいてあります。

それに比べ、米国の特に海兵隊は、一度の上陸作戦ごとに戦いを分析し、マニュアルを作成していったといいます。結果として、一度戦うごとに、どんどん成功確立があがっていくわけです。

(参考)このへんの経緯について興味ある方は、以下の本などをどうぞ。

もっとも、日本側を一方的に否定はできないでしょう。たしかに、ロシアに勝った実績ある戦法なのですから。しかし、時代の変化、兵器の進歩などを考慮し、誰かが、優れた知見と権限を持って、本来なら書き換えねばならなかったものでした。

そういうわけで、企業においても、歴史においても、ナレッジ(知)の管理というのはとても難しいものです。どのタイミングで変更するか、誰が責任もつのか、どのように情報提供してもらうか、などなど・・

と、他人事のように(仕事ネタではあるが)書いてきましたが、ふと考えてみるに、企業へのシステム導入はともかく、自分のホームページはどうだろうと思いました。

特に、一番歴史が長く議論も多いエヴァンゲリオンのページでは、何度も何度も、同じテーマについて様々な議論が行われています。知の提供という意味では、とてもうまくまわっているのです。

それらの議論(知)をわかりやすくまとめ、初めて見る人が、今までの知の集積に触れられるようにすることこそが、管理人の役割ではないか?

そう反省することが多い昨今です。

しかし、エヴァ解釈の議論の分類といっても、なかなか難しいものです。掲示板では、分類にはならないし・・。最初考えたのは、掲示板でみていて、同一テーマの議論がでてきたら、その内容を専用カテゴリページに転記するという方法でした。しかし、こちらの手間が面倒なので、できれば直接書いてもらいたいなー・・しかし、自由にかいてもらうと、掲示板と変わらなくなりそうだしなー・・。テーマごとに掲示板作るのも手間が大変そうだし・・

と悩んだ結果、最近思いついたのが、ブログのシステムです。掲示板でよく議論される内容については、引用してブログにこちらで転記します。ブログなら、新ネタが勝手に乱立することもないので整備しやすいし、意見がある人は、掲示板に書くのみならず、ブログに直接意見を追記してもらってもいい。掲示板に書かれたものは、こちらで重複チェックをして、新しい見解だと思えば、ブログ側に転記する・・

どこまでうまくいくかわかりませんが、管理人としての手間を最小限にしながらも、多くの人から頂く意見をまとめてみやすく整理することができそうな気がします。

ということで、近々、エヴァの謎解き(私の解釈ではダメ、もしくはヌケていて、掲示板で何度も議論されているテーマ)に特化したページ(システムはブログ利用)を立ち上げようと思いはじめました。

題名は、加持の最後の名セリフ

「葛城、真実は君と共にある。迷わず進んでくれ。もう一度逢えることがあったら、8年前に云えなかった言葉を口にするよ。」

からとろうと思います。

ずばり、名前は 「真実は君と共にある」です。

読まれる方が、自分なりの真実を見つけられるように、という願いを込めた(?)コーナーとなるでしょう。

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August 04, 2005

羽田空港の停電とネルフ施設の保守について


 羽田空港の管制システムがダウンした停電トラブルで、国土交通省の対策本部は2日、非常用電源に切り替わったのに、警報音や警告表示で知らせる監視装置がブレーカー交換工事の影響で正常に機能しなかったため、空港職員も気付かず、約50分後にバッテリー切れで停電を招いたことを明らかにした。
 空港施設側の停電が管制に影響を与えたのは初めて。同省は、工事方法や職員らの連絡に不備がなかったか、当時の状況を詳しく調べている。
 ダイヤは終日乱れ、22便が目的地を変更し、50便が欠航。338便が遅れ、約8万3000人が影響を受けた。
 国交省によると、東京電力が供給する電気は、同省東京空港事務所内の受配電施設を通った後、停電を避けるための「無停電電源装置」(CVCF)を経て分電盤からレーダーなどに供給される。(河北新報社記事より)

結局は工事ミスだったようですが、私もおととい飛行機で戻ったところだったので、他人事とは思えない気持ちでした。(私は成田空港ですが)

私も以前の職場で、24時間365日運用のシステムや設備の管理をしていた時期もあり、なんとなく状況は想像できます。(運用規模は約20万人/月程度であり、人命に関わるようなものではありませんでしたが。)

このへんの問題は、エヴァンゲリオンのNERVの施設の電力停止事件などで大体カバーされています。

リツコ「(停電後)7分たっても復旧しないなんて」

通常は、重要業務というのは無停電電源装置などを利用して行うものです。

私が以前やっていたシステムでは、メインのサーバーなどはやはり無停電電源装置を備えた場所においておきました。

しかし!大規模な運用を行っていると、1箇所の施設でまかないきれるものではありません。数百人規模の人間が作業する場所は、複数箇所に分散することでリスクを回避していました。

ところが、通常のビルなどは、年に一回の法定点検などがあり、事故でなくても停電はさけられません。それに対し、サーバー向けに用意されている予備電源ユニットなどは、緊急用でわずかしかもちません。

冬月「生き残っている電源を全てマギとセントラルドグマの維持にまわせ」

という感じです。そういう場所では仕方なく電源車など用意したものです。

その場合、当然、冷房などに電力はまわせませんから、夏場などは悲惨なことになります。

冬月「(バケツに足を入れ)ぬるいな」

ゲンドウ「ああ・・」

という事態になります。

さて、法定点検以外では、どのようなタイミングで停電は起きるのでしょうか。

加持「赤木が実験でもミスったのかな?」

リツコ「あ、あたしじゃないわよ・・」

今回の羽田は単純な人的ミスだったようですが、なかなか保全作業も難しいものです。深夜にやればいいようなものですが、深夜や休日作業というのは、何かあったとき、対応できる人員も限られます。特に、24時間業務となるといろいろ制約が多く、本当に大規模メンテのときは、365日運用といいながらもシステムメンテ日を平日に作ることになります。平日の昼間なら、関係する人材や会社含めて万全の体制がとれるからです。

さて、システムはダウンを避けるために、可能な限り2重化を施します。

ミサト「正・副・予備の3系統。それが同時に落ちるなんて考えられないわ」

しかし、どうしても2重化できない部分や、いろいろ工夫してもダメな部分もあるものです。

最悪の場合、その一箇所のために、全てが止まります。

その場合、復旧作業となるわけですが、業務稼働中であれば、一刻を争う問題となります。

問題が単純ではなく、切り分け不可能な場合には、パニック状態になります。

「ダメです。反応ありません。」

ゲンドウ「続けろ。もう一度108からやり直せ。」

このように、もう一度、気合を入れて再起動からやり直すしかない状況というのもあるものです。

そのさい、システムで最後の頼みの綱は、「気合」です。

シンジ「動け!動け!動いてよ!お願いだから動いてよ!!」

アナウンス「エヴァ、再起動!!!」

マヤ「まさか・・そんな・・シンクロ率が400%を越えています!」

気合を入れて再起動をかける。20万円のパソコンから数千万円のサーバーまで、コンピューターを動かす最後の秘訣はこれにつきると、私は今でも本気で信じています。

時田「まさか、『科学』と『人の心』があの化け物を抑えるとでも・・本気ですか?」

リツコ「ええ、もちろんですわ」

時田「人の心などという、あいまいなものに頼っているから、ネルフは先のような暴走を許すのですよ。」

まったくその通りです。

私はリツコ派ですが、たぶん、システム管理/設備管理には向いていないのでしょう。今後、2度とシステム管理/設備管理の仕事はやらないと思います。

さて、話を羽田空港に戻します。

 監視装置が復旧し配電障害による非常用バッテリーへの切り替え警告が正常に表示されたのに、工事関係者が監視員への連絡を怠り、監視員は誤表示と思い込み対応しなかったことも分かった。
 国交省の岩崎貞二航空局長は記者会見し「工事のやり方や連絡体制に不備があった。空の安全を提供する使命を果たせなかったことをおわびしたい」と謝罪した。(河北新報社)

羽田空港のように、人命が関係する施設では、人の心などという曖昧なものに左右されない保全システムを組み立てるよう、今回を機に再度全面チェックしてほしいものです。

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