November 29, 2007

装甲騎兵ボトムズ 「孤影再び」とゲームペールゼン・ファイルズ攻略アップ

装甲騎兵ボトムズのページで、ここ数日いくつか更新を行いました。

ひとつは、日経エンタテインメント誌に連載されたいた高橋監督の小説「孤影再び」の論評・感想みたいなものをアップしたことです。

ただし、これは、ネタばれの内容が含まれますので、未読の方は注意してください。

装甲騎兵 ボトムズ 孤影再びのページへのリンク

もうひとつには、ボトムズのゲームのペールゼン・ファイルズのシナリオをとうとうクリアしたことです。

これは、非常に難しかったので、攻略メモを書きました。

あくまでも個人的な攻略法ですが、何かしら参考になれば幸いです。

装甲騎兵ボトムズ ペールゼン・ファイルズ 攻略

OVAの面はどれも難しいのですが、ペールゼン・ファイルズほどではないような気がしているので、この後は比較的順調にクリアできるかな(?)と思っています。

(かくやくたる異端はクリアし、今はラスト・レッドショルダーはじめました)

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November 18, 2007

装甲騎兵ボトムズ PS2版ゲームについて

おととい、装甲騎兵ボトムズの、PS2版のゲームが発売されました。
私としては、初めて予約して買ったゲームということもあり、さっそく遊んでいます。

ようやくTV版のエンディングまでたどりつき、今現在、エクストラシナリオのペールゼン・ファイルズを始めたところです。

さっそくホームページの方も作りました。

装甲騎兵ボトムズのページのなかの、装甲騎兵ボトムズ PS2版ゲームです。

今後もゲームの進捗にあわせて更新していきます。

もし、皆様も、こういう情報がある、とか、こういうの知りたいとかあれば、ボトムズの掲示板にでも書いていただければと思います。(メールでも結構です)

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November 11, 2007

装甲騎兵ボトムズ ペールゼン・ファイルズのホームページ作成

ようやく、装甲騎兵ボトムズの新作OVA、ペールゼン・ファイルズを見ることが出来ました。

さっそくホームページを作成しました。装甲騎兵ボトムズのページの中の、装甲騎兵ボトムズ  

 ペールゼン・ファイルズのページです。

私のボトムズのページは、もともと、新作開始のための応援という位置づけで始めたものでした。

個人的には、異能生存体というテーマとは別な作品を作って欲しいという願いもあって、それを主張したいという気持ちで作っていたページでしたが・・

結局、今回も異能生存体のシリーズでしたが、とにもかくにも、新作が発売されたことを素直に喜び、応援したいと思います。

今後も、シリーズの展開を見守っていきたいと思います。

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December 29, 2006

ボトムズのキリコのコーヒー缶について

私のボトムズのページは更新が滞っておりますが、最近、ずいぶんとボトムズ関連のグッズを見ることが増えました。

先日、ひさしぶりにポストホビーに行ったところ、ボトムズのキリコのコーヒー缶がありました。

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ちょっと見にくいかもしれませんが、銀文字で、「キリコの飲む、ウドのコーヒーは苦い」と書いてあります。

これは、もちろん、ボトムズのウド編における「ウドのコーヒーは苦い」という名文句(?)からそのままとったものです。

しかし、ウドの街ならともかく、現代の日本においては「苦いコーヒー」では売れないだろうとお店が判断したようで、わざわざ「物語のようにドロ苦くはありません。普通の味です。」みたいな説明書きが一緒にはってありました(^^)

UCCのエヴァ缶はとくに買わなかった私ですが、ここまで言われると、さすがに買って試してみたくなります。

ちょっと恐れ多かったので、とりあえず一つ買って飲んでみたのですが、透き通った感じの味で、結構おいしかったです。(缶コーヒーというより本当のコーヒーを思い起こさせるような・・ちなみに微糖で、甘すぎず、無糖ほど苦くはなく・・)

これなら、お店も、「おいしいです」と言い切っても良かったのでは、と思いました。

そして、この味なら、ボトムズの本編でも、「ウドのコーヒーはうまい」と表現してもよかったのに、なんで「ウドのコーヒーは苦い」なんて、いかにもまずそうに言っていたのだろうと思いました。

ここで思い出されるのが、キリコが宇宙船でフィアナと酒を飲むシーンです。

キリコが酒を飲んで「なんでこんなにまずいもの、皆よろこんで飲むんだ」(セリフはうろおぼえ)とむせて、キリコが実は酒も飲んだことがない少年兵(?)であることがわかるシーンがあります。

これから推測するに、実はキリコはコーヒーもあまりのんだことはなかったのかもしれません。

だから、酒同様、味に関わらずコーヒーは苦いと思っただけで、実はウドのコーヒーは案外おいしかったのかもしれません・・・

いや、それ以前に、そもそも、あれはウドの街での苦い体験をコーヒーになぞらえて表現していただけで、ウドのコーヒーの味についてどうこう言っていたわけではなかったのかもしれません・・・

などなど、くだらないこと考えながら、とりあえずこれは1ダース買っておくか、と思いながら、先週再度お店に行ったところ、もう売り切れていました。

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March 21, 2006

ボトムズのページの拡充

昨日、装甲騎兵ボトムズのページを更新しました。

ボトムズのページを更新するのは久しぶりだったのですが、ようやく、ページの方向性というか、構成案というか、見えてきた気がします。

今後は、比較的容易にコンテンツを追加していけると思います。

さて、いろいろページを作成していると、昔は気づかなかったことに気づくことがあるものです。

最近、ボトムズのページを作ったり、ルパンのページを作ったりしているうちに、同じ人のインタビューに出会いました。吉川惣司氏です。

もともと、彼はルパンVS複製人間(マモー)の監督をやったり、ボトムズの脚本やったりで有名な人なのですが、インタビューを並行して読んでいるうちに、マモーの話とボトムズの話が、かなり共通していることに気づきました。

どっちも、圧倒的に巨大な力の前に立つ人間をテーマにしているんですねぇ・・

どっちも、時間を越えた敵ですし・・

どっちも、一人の美女が鍵を握るし・・

マモーの話なんかは、もともとは山手線あたりを舞台にした話が、どんどん広がって、最後は時空を越えた敵との戦いになるイメージがあったようです。

これは、ボトムズで、最初はウドの街でチンピラと戦っていたのが、最後はワイズマンとの戦いにまで広がるイメージと近いような気がします。

ルパン三世と、キリコ。

両極端な気がしていたキャラですが、どんな巨大な敵だろうが、全くひるまないという点では、案外似た特性のキャラだったのかもしれません。

ルパン三世のページとの共通コンテンツで、マモーの分析(というかワイズマンの分析というか・・)も近々やってみようと思います。

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March 19, 2006

GUNBOYの無料配布CDについて

今月から、GUNBOYというサンライズの音楽レーベルのホームページができたようです。

ホームページはこちらです。

何か操作しづらいのですが、丸いボールみたいのをクリックすると、メニューがでます。そこで、SPECIALというのをクリックすると、このレーベルのサンプルCDの無料配布のお知らせと、配布店舗が書いてあります。

私は、気づくのに遅れ、今日このCDをようやく入手したのですが、結構苦労しました。

配布店を4店まわって(直接訪問及び電話)、このサンプルCDのことを知っていたのはある店のスタッフ1名のみ。

CD屋スタッフにおける情報共有はどうなっているんだろう?弱小レーベルに無料配布CDを置くことを頼まれたって、気にもとめてもらえてないのかな?などと考えさせられました。

配布開始から1週間以上たっているので、ただ単に無くなっているだけなのかもしれませんが・・それならそうと言ってくれればいいのに、そもそもこの配布CDのこと自体を知らないような感じなんですよね・・

配布店に行くさいは、まず電話をかけて、物があるのかどうかを確かめることをお薦めします。

さて、CDの中身ですが、80年代のサンライズの代表作をアレンジしたアルバム4枚からの抜粋です。

扱われている作品名は、「ボトムズ」、「ザブングル」、「バイファム」、「イデオン」の4作品です。どれもそれぞれ味のあるアレンジですが、私としては特にボトムズの「炎のさだめ」のアレンジが素晴らしいと思いました。

私は、大野雄二さんの、ルパン三世のJAZZアレンジバージョンが大好きなのですが、今回のCDに収録されているような、サンライズのロボットアニメ曲の現代的なアレンジも、同等の品質の良さを感じました。

アニメ曲といえば、一昔前はレベルが一段低かったものですが、最近の演奏を聞いていると、本当に素晴らしいものが多くてうれしいです。

先ほどのサンライズの4タイトルが好きな方は、お近くの無料サンプルCD配布店に早めに問い合わせることをお薦めします。そろそろ無くなる時期ですから、興味ある方は急いでください。せっかくタダなのですから。

(参考)今回の無償配布CDのベースとなったアルバム

DEEP PARADISEはボトムズのアレンジです。その次のはザブングルとかいろいろ。イデの伝説は文字通りイデオン。

最後は、今回のサンライズのCDとは無関係ですが、上の文章でとりあげたルパンのJAZZのCDです。10枚以上出ている大人気シリーズですが、とりあえず1枚目を載せときます。

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January 13, 2006

装甲騎兵ボトムズ ウド・クメン編について

日経キャラクターズでボトムズが再開したことでもあり(とりあえず小説1ページですが)、かなりほったらかしだった私のボトムズのページも、今後は拡充しようと考え、とりあえず装甲騎兵ボトムズ「ウド・クメン編」というプレイステーションのゲーム(今となっては古いゲームですが・・)についての熱い思いをアップしました。ボトムズ「ウド・クメン編」について

さて、日経キャラクターズについても、ボトムズの再開についてもいろいろ思うものはあるのですが、それらの話はまた今度にします。

とりあえず、今回、このゲーム「ウド・クメン編」について熱い思いを書いた後に、amazonへのリンクを貼ったところ、価格が94円でずらっと並び、評価も2つ星なのをみてガクッときてしまいました・・

この感覚は最近ほかでも味わったような・・と思い出してみるに、買ったばかりのハウルの動く城の特典フィルムが100円で売られているのを見たときと似たガックリ感でした。

まあ、「ウド・クメン編」については、確かに万人向きのゲームではありませんが・・

恐らく、製作過程で何らかのミスがあったのではないかというのが私の解釈です。私はゲームをクリアした後に、わざわざ攻略本を買って、マニュアルの記載とどう異なっているのか確認したほどでした。

amazonで、いまだに新品も数百円で売っているようなので、おそらく、よほど売れ残ったのではないでしょうか?

それはともかく、ボトムズの再開に伴い、今後はボトムズページも拡充させていきたいと思いますので、よろしくお願いします。

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September 25, 2005

ボトムズゲーム バトリングロードの紹介のアップ

アップしようしようとしているVガンダム論が、Zガンダム論につづいて行き詰りつつあり、気分を変えて(?)ゲームページを更新しました。

ボトムズのスーパーファミコン用ソフト『バトリングロード』についてです。(ゲームページボトムズページからリンクしてます)

昔「ムーンウォーカー」などのゲームについていろいろ書いたときは、画像を使うことには抵抗あったのですが(法的な位置づけがよくわからなかったので)、今回は、十年以上前のゲームですし、とっくに発売も終了しているから、問題ないだろうということで、画像をいろいろ貼り付けてみました。(他のサイトでもめた様子もないので・・タカラやサンライズから直接抗議されたら画像は消します)

意識して作ってみたのは、ゲームをやったことがない方が、ゲームをやっているかのような気分で楽しめるようにというところです。

昔、パソコンゲーム黎明期に、山下章さんという方がいて、いくつもの攻略本を書いており、人気を博していました。

山下さんの印象的な言葉の中に、「究極の一冊」というものがありました。

「僕は単なる攻略本を書く気は全くありません。その本を読むことによって、読者の方が、各々の作品の持つ独自の世界を味わってくれるような、言い換えれば、たとえその作品を全く知らない人が読んでも、おもしろいと思ってもらえるような本-それが、僕のめざすところの「究極の一冊」なのです。」(チャレンジ!パソコンアドベンチャーゲーム&ロールプレイングゲームⅢより)

そんなイメージを意識して、今回は作ってみましたが、どうでしょうか?

そこで、今後、

・サターンで出ていたガンダムの外伝『戦慄のブルー』シリーズ

・スーファミで出ていたF91

など、すでに発売は終了してしまっているが、わざわざ中古ハード買ってまでやるほどではないし、かといって、知らないのももったいない・・みたいな作品については、今回と同様の感じでコンテンツ化していこうかと思っています。

今回は、その第一弾ということで、今後は、月に一回ぐらいの程度でアップしていきたいと思います。

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July 10, 2005

ロボットアニメの意義1

このホームページも、エヴァンゲリオン、イデオン、ガンダム、ボトムズ、宮崎アニメのページと作成しており、質量ともにばらつきは大きいものの、どれもとりあえず最低限のレベルにはなってきたと思っています。

そこで、こういう作品名を並べて考えてみると・・なんか、どれも、おおまかに言うと似ている話ですねー。

1.人類の進化(もしくは変質)に関係がある。
・進化レベルも形態も様々ですが、どれも、人類史的な作品ですね。(宮崎作品はマンガの風の谷のナウシカだけですが・・)。
(a)変化の契機
イデとの出会い、人類補完計画(ゼーレ)、ワイズマン(?)、宇宙への進出(?)、墓の番人(?)などなど・・

(B)変化の度合い
遺伝子操作、生命体としてのやり直し、ニュータイプ、神の後継者、などなど・・

(C)変化の意義
環境破壊の中で生き抜く、環境変化に合わせて生き抜く、エゴを消滅させる、生まれる前に還る(?)、みんなでひとつになる(?)などなど・・

2.戦いに大きな役割がある。
(A)防衛戦争
異星人との戦い、謎の生物との戦いなどなど・・

(B)権力闘争
独立戦争、理由もわからない戦争などなど・・

3.巨大ロボット(?)みたいなものがでてくる。
(A)意識の集合体として
イデオン、エヴァ

(B)神として
巨神兵、エヴァ

(C)単なる兵器として
(最初の)ガンダム、ボトムズ

さて、他にも、登場人物レベルで比較したり、パイロットの精神に注目したりすると、いろいろ一致したり、分類できたりする点もありそうですが、とりあえず今回はここでやめておきます。

さて逆に、テーマとして異なる点をいくつかあげてみます。

富野作品(とくにガンダム)・・個人と組織の問題、少年から大人への成長

宮崎作品(とくにマンガ版ナウシカ)・・生態系含めた生命への関心、見た人も登場人物も変化していくような浄化作用のある物語へのこだわり

庵野作品(とくにエヴァンゲリオン)・・先行アニメや特撮へのこだわり、自己不安(といっては失礼か?)内面へのこだわり

高橋作品(とくにボトムズ)・・純愛、特殊な環境設定の人間への関心(?これは違うか。考え直します)

こうしてみると、どの作品も、人類進化や神の問題を扱っているという共通項があります。
それでいながら、他方では、個別テーマとして、製作者自らが深い関心を持っている、アニメではない現実(現代社会)のテーマが組合わさっています・

共通項である人類進化や神の問題というのは、昔であれば、宗教が説明していたジャンルだと思うのですが、すごく人間にとって基本的なテーマで、どんな民族にも神話はありますし、本当は誰でも最も関心ある領域です。
そもそも人間とは何なのだろう・・どうなっていくんだろう・・という。

しかし、考えて解決を見るものでもありませんので、物語の背景程度の扱いとなります。ただ、どの作品もなんらかの形で遺伝子の問題を組み込んでいるのは、現代的なアプローチだと思います。

個別テーマは、製作者自身が現代社会の中で問題としている点なのですが、それらは、一般人から見てもやはり共通の問題ですので、深く描かれていれば、感銘を受けることになります。

さて、このように見てみると、ロボットアニメというのは、世界観を提示したり、考えたりする題材を与え、現実の問題への疑問も含み、かつ、エンターテイメント作品であるということで、古い意味での「文学」や「神話」、「伝説」、「昔話」などが担っていた役割を、そのまま引き継いでいるような気がします。

中世のキリスト教で言う、「黄金伝説」をはじめとする伝承や伝説、昔話。
日本で言うと、柳田國男の分類でいえば、「伝説」と「昔話」。

数千年以上に渡って人間にはそのようなものが常に必要でした。
エンターテイメントでありながら、世界と人間の意義と、自分の現実の悩みを映し出すような作品群。

ロボットアニメというのは、産業構造と組合わされた一時的な姿だと思いますが、似たような役割の物語は数千年以上前から必要であったし、今後も、ロボットアニメがなくなったとしても、同じ役割の物語は存在し続けるでしょう。

一方、それに比較すると、いわゆる「現代文学」が、どれほど根が浅い存在であるかわかろうというものです。
日本における歴史はたかだか100年ちょっと。

私は、文学というものは、おそらく産業レベルでは、いつまでも続かないと考えています。一部の愛好家の世界では残るでしょうが・・
実際、文学というものはすでになくなっているといった方がいい気がします。芥川賞作家は毎年生まれますが・・

少なくとも、社会的に何か影響があったかもしれないのは、三島由紀夫ぐらいが最後ではないでしょうか?(「作家」という言葉が、特殊な畏敬の念を含んでいたのは・・)

大江健三郎はノーベル文学賞もとったし、私もとても好きな時もありましたが、社会に何か影響があったことは、ないのではないでしょうか?(60年代~70年代などはあったのかも知れませんが)

文学が世間に何のインパクトも持ち得なくなったのは、いろいろな理由があると思います。

しかし、あまり誰も指摘していないけど本質的な話のひとつとして、単純に、能力のあるヒトが文学を目指さなくなったという事態もあると思います。

明治時代は、頭のよいヒトは、官僚か文学者にでもなるしかなかったため、国民のうち文科系で最も創造的で優秀なヒトが作家になっていたと思います。また、官僚も現実面で優秀なヒトが集まっていたでしょう。

しかし、20世紀後半の高度経済成長期には、優秀なヒトの頭脳は、基本的に企業に流れたと思います。
そして、ここ最近は、創作系のヒトはゲームやアニメにも流れているでしょう。
まあ、乱暴な議論ですが、選択肢が増えた結論として、文学に頭脳が集中していた時代はかなり遠くなってしまったとはいえると思います。

なお、同じことは官僚にも言えると思います。

かりに、いつの時代にも頭が良いヒトが同じ割合で存在するとすると、その人たちがどのジャンルに分布するかというのは、時代によって異なるはずです。

明治時代は、官僚系と文学系に集中していたのだと思います。

ロボットアニメを論じるつもりが、いつの間にか話がずれて文学批判になってしまいました。

何で自分は、ロボットアニメの評論・分析というマイナーな趣味ばかりやって、文学評論という、もっと世間体がよく(?)、賞もあるような方向を目指さないのだろうという個人的な問題意識が出てしまいました。

実際、小説読んで、評論書いたり、分析したり、他のヒトの評論や分析を読んだりしたくなったことがあるヒトは、ほとんどいないのではないでしょうか?
(個人的には、三島由紀夫の最後の4部作および、ウンベルト・エーコの作品については、真面目に評論もしくは分析をしたいという気が今でも時々起きますが)

問題産業とはいえ、アニメ作っているヒトの方が、「子供向けにこういうの作ってていいのか」とか、「こういうメッセージを伝えたい」とか「自分達の仕事の意義は?」とか考えている分、まだ何か考えている雰囲気を感じるというか・・

それに比べると、小説は自己満足と売名の度合いが高いというか・・まあ、個人仕事だから当たり前ですね。

キャラクター商品で売れるものでもないし・・

個人で作って、個人名で売るしかないのだから、苦しみの度合いも大きいでしょうね。売れなければ自己満足しかないし・・

アニメやゲーム製作のように会社単位で収益ベースで作るものと、個人ベースで知名度で作るものとでは、同じヒトが作ったとしても、全く別な作品が生まれるのかもしれません。

なんだか芥川賞批判(文学批判)する気もなくなってきて、意味不明な結論になってしまいましたが、今後、ロボットアニメの意義や問題点などを、不定期に書こうと思っています。

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July 08, 2005

ボトムズページ更新(ボトムズにおける神について)

ここ数日、仕事が忙しかったこともあり、ブログも書けず、少ない時間を使ってボトムズホームページの更新準備をしておりました。
ようやく本日アップしました。
内容としては、ボトムズについての自分の思い出話と、真面目な論考「ボトムズにおける神について」の序論です。
ボトムズページは、開設したものの、悪口しか書いていないのではないかという自責の念もあり、今回は、OVA版、小説版、テレビ版含めた論考としております。

序論だけなので短いものですが、ドストエフスキーとボトムズを並べてみたところが、若干面白みのあるところかなーと自分では思っております。

とりあえず、ボトムズページも、何となく、それらしくカッコがついてきたところでしょうか?
いままでは、20年前のOVAの悪口のみ(?)で、アクセスも少なく、寒いページでしたので・・

もっとも、ボトムズにおける神の問題について真面目に論じたところで、アクセスアップが期待できるとも思えませんが・・
しかし、いくらなんでもイデオンページと同じくらいのヒットまでは頑張ろうと思っています。

それにしても、ボトムズの新作は本当に作られるのでしょうか??

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June 28, 2005

ニーチェとナチズム、ガンダム、ボトムズ

さて、ブログには面白い機能があり、どんな言葉で検索してたどりついたのかが、ある程度わかります。それで見ていると、予想外な言葉があったりして、「この人ははずしたなー。悪かったなー」とか、「この人にはこのページはぴったりだ」とか思ったりします。
それで見ていると、予想外に多いのが、「レコア」「辱め」というフレーズで、なんでそんなテーマにみんな関心が高いのだろう?何で私のブログに来るんだろう?と思ってgoogle検索したら、5位にこのブログが出てきました(^^)

これじゃこのブログも変態ページの仲間入りだな、と思い、「この問題がどれほど奥が深いものか、誰も気づいていないだろうから、真面目に論じるか」と書こうかと思ったのですが、昨日、日中・日韓問題を書いた後に(って半分はZガンダムの話か)いきなりレコアの辱めを続けるのもどうかと思ったので、今日は国際問題とアニメのかかわりを書きます。もっとも、レコアの辱めの話は相当頭使う話なので、今日は書けないという事情もあります。

さて、今日のテーマはニーチェなのですが、ニーチェは19世紀の哲学者です。
普通、哲学者の考えと言うのは、有名な人であっても、時代に対して、非常に遠回りな影響しか持たないものです。古代ギリシアは別でしょうが・・あとマルクスも別か・・
いきなり脱線しますが、以前アテネに行ったとき、ソクラテスが毒を飲んだ洞窟を探したのですが、わかりませんでした。山はわかるんですが、洞窟がどこだか・・どなたか知ってたらおしえてください。

さて、ニーチェの思想は、ものすごく、いろいろ現世に影響を与えています。
世界的に見て、とくに大きな影響があったのは、ドイツで、彼の思想がいろいろ歪曲され、ナチスの精神的な支柱となります。

では、次に影響が大きかった国はどこかな?と考えると、実は日本ではないかと思います。
なんといっても、ガンダムとボトムズというビックタイトルのロボットアニメに結びついているからです。
経済効果は数百億円という単位ではないでしょう。(一瞬だったエヴァブームが3百億円だったことを考えると・・?)

この2つのアニメは、核心的な部分でニーチェの言葉を使っているところが直接的ですが、それ以上にテーマが同じなのです。

つまり、ヒトがヒトを超えた存在になれるか?というところです。

ニーチェはこの問題を「超人」といいましたが、これがテーマとして、そのまま、ガンダムでいう「ニュータイプ」、ボトムズでいう、「ワイズマン」もしくは「異能者」「生まれながらのパーフェクトソルジャー」であることは一目瞭然でしょう。ニーチェの言葉は、作中にもいろいろ引用されます。

さて、こう考えると、次に考える必要があるのは、ナチズムと、ニュータイプ、ワイズマンの比較を行う必要があるのですが、面白いのは、この「ヒトがヒトを超える」もしくは「人間の革新」という理想主義は、常に、選民思想と結びつくところです。

ナチスにしても、ザビ家にしても同じなのですが、そもそもジオン・ダイクンの思想もそういう面がある気がします。

そもそも、「ヒトがヒトを超える」瞬間、新しいヒト、上位のヒトと、古いヒト、下位のヒトという区別が生まれるわけで、どうしても、差別的なシチュエーションが生まれます。
どうしても、選民思想と結びつきやすいのです。

これを打開するにはどうしたらいいか?
ひとつは、あくまでも、個にこだわるという視点があります。ひとりひとりが、それぞれ、独自の力強さを目指すことにより、集団vs集団という構造を崩すこと。これは、ニーチェの言っていることに近いと思いますし、TV版のボトムズにはこういう雰囲気が濃厚にありました。
昨日書いた日中問題のブログのコメントの会話にあったような、周囲に流されずに自分の価値観を持つとはこういう路線だと思います。

もうひとつのやり方としては、「ヒトがヒトを超える」こと自体が、政治権力の抗争の繰り返しをやめらることにつながらないか模索したり、いっそ全員一気に新たなるステージにあがろうとすること。
これは、どうもシャアの考えの特徴のような気がします。

ということで、ニーチェの思想を受け継ぐものとして、シャアvsキリコという思想的対立が設定できます。

2人の特徴は、いずれも、「ヒトがヒトを超える」ことを目指しながらも、政治権力とは結びつかないことにこだわったことにあるでしょう。

これは、もちろん、ナチズムなど第二次大戦への反省からきていると思います。

ちょっとブログで書くには、話が大きくなってきたので、シャア専用ページとボトムズページの共通コンテンツとして、この問題は再度細かく書きたいと思います。

なお、そのようにロボットアニメを語ることで、通常の評論以上に、歴史や組織、哲学の問題に、深く踏み入ることができるかどうか?というのが裏テーマとなります。

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May 26, 2005

ボトムズページ作成・・新連載にだまされて(涙)

以前ここでも取り上げましたが、ボトムズウェブに「ボトムズ新連載!?」という記事があり、それを真に受けて、ボトムズ論を気合入れて書き、ボトムズページをなんとか間に合わせて夜中に立ち上げました・・ボトムズの新連載を応援しようという一心で・・
しかし、よく見てみれば、「『小説 VOTOMS いちぶんのー』 」であって、ボトムズの新作小説ではありませんでした・・(近況の舞台裏話で、まあ、それはそれで興味ありますが・・あくまで新作アニメ作成とかにつながるオチなら・・)

ボトムズウェブの「ボトムズ新連載!?」という表記の「?」に気付くべきでした。(かなり意図的な引っ掛けである。まさか、連動しているわけではないでしょうが、今月の日経キャラクターズは紐でしばられていて中身を確認できませんでした。表紙を見る限り、やけにちっちゃく「ボトムズ新連載」と書いてあっただけなので、やけに、扱いが低いなー、これは、一生懸命応援しなくては・・と思いながら、楽しみに買って帰ったのですが・・)

この日を目指してボトムズ論を書き、ボトムズページをアップした私の立場は・・

「砕かれた夢を拾い集めて(by主題歌2番)」

とりあえず、どうさまよおうかという感じですが、きっと、これは、小説ではなくてアニメの新作につなげるため、盛り上げるための一環として舞台裏小説(?)が始まったに違いないと信じることにします。

そうでなくては、ボトムズページまで立ち上げた

「私のプライドが・・(byイプシロン)」

という感じです。

さて、ホームページの内容ですが、とりあえずボトムズ論のみ作成完了。
意図したわけではなかったのですが、結論としてOVAは全批判的な内容になってしまいました。
エヴァンゲリオンであれば、どうにかしてツジツマをあわせる方に面白みを見出した私ですが、ボトムズの場合は、逆に、言うべきことは言わなくてはいけない!という気持ちで書きました。
まあ、OVAも気合入っているし、独自の良さも認めますし、そっちの方が好きな人がいることもわかりますが、それでも、やはり、言っておきたかったということです。
TV版に比べると決定的な設定変更がいくつもあり・・私があれほど愛した(?)作品ではなくなっていると思います。
まあ、新作やってもその路線をつき進むのなら、もうそれはそれで、TV版以降はあたかも存在しなかったように振舞ってしまうかもしれません。
その場合は

、「砕かれた夢を拾い集めて」「さだめとあれば、心を決める。そっとしておいてくれ。明日に、ああ、つながる今日ぐらい。(by主題歌)」

という感じです。

それはともかく、あれほど美しく完結していた物語をOVAでいろいろ改変し、「触れえざるもの(キリコ)」まで回帰させた以上、そのままほったらしではほとんど犯罪だと思いますので、新作をしっかりやって責任を果たしてもらいたいものです。
そうでなくては、新連載開始日にぴったりあわせてまでホームページを作って盛り上げようとした

「私のプライドが・・(byイプシロン)」

→ちょっとしつこいですかね。

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May 24, 2005

哲学とアニメ1(エヴァとボトムズ)

アニメを見ていると、製作者が、ある哲学者の言葉を使う例が結構あります。
例えば、新世紀エヴァンゲリオンにおける題名「死に至る病」が、キルケゴールからきていたり、
装甲騎兵ボトムズにおけるいくつかの言葉がニーチェからきていたりというように。

ぱっと見、あまり意味はなさそうに考えられますが、つきつめてみると結構リンクしているように見えるところが面白い点です。
「死に至る病」の例で言うと、言葉の意味だけ言えば、熱心なキリスト教徒における絶望を意味していますが、アニメがらみで言うと、エヴァンゲリオンもキリスト教がらみの概念が多数でてくる話でした(使途、エヴァ、ロンギヌスの槍、その他多数)。
さらに、キルケゴールの思想には「反復」という概念があり、これは、シンジが、何度もエヴァをおりてはまた乗ることや、ラスト近くにおける、「何度も裏切られるんだ・・でも・・」という言葉にもシンクロしています。
このへんを整理だてて考えるのは、一苦労ですが、近いうちにまとめたいと思います。

同様に、装甲騎兵ボトムズにおいては、ニーチェの言葉が出てきます。
最も印象深く使われているのは、「神は死んだ!」なのですが、そもそも、ボトムズの物語自体、ニーチェの哲学のいい例示になるような気がしています。
ボトムズ論を作成しおわり、新連載開始とともにホームページを立ち上げようと思っていますので、そちらのページにこのへんはまとめたいと思います。(ボトムズで学ぶニーチェ、とかも面白いかもしれません)

哲学的概念がアニメ分析にどこまで貢献するかは、アニメ作品にもより、解釈力にも(こじつけになってしまうこともあるでしょう)、製作者がその言葉を使った思いの強さにもより、様々ですが、面白い例は、今後も紹介したいと思います。

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May 13, 2005

日中問題について2(世界を革命するために!)

前回の続きです。本来なら、戦争責任の話に移ろうかと思っていたのですが、前回長々と書いた結果、あることに気づいたので、そっちの話を優先します。
それは、世間に流されないといっても、実際は、凡人には難しいということです。
今回書くのは、どのようにして、世間に流されないような価値観を創造し、世界を変えていくかということの実践的方法です(→ウーム、われながら、飛ばしすぎか)。

何に気づいたかというと、ポイントはまずは「飽きること」のようだということです。

(アニメの例)
例1:少女革命ウテナ「世界を革命するために」
「あなたは、何も変わっていないと思って、ずっと居心地いいこの世界につかっているけど、あの娘(ウテナ)は、もうここから出て行ってしまいましたよ」(セリフはうろ覚え)
→刺されることから、世界の革命へ

例2:装甲騎兵ボトムズの主題歌
「地獄をみれば、心が乾く。戦いは飽きたのさ。」
→数千年の戦争の後、キリコは神の後継者へ。同時に、冷凍保存により世界の拒否へ。

例3:エヴァンゲリオン
シンジ「もう、いやだ!!」
→シンジは全ての拒否のあと、神と等しくなる。
レイとカヲル「見失った自分は、自分の力で取り戻すのよ」「たとえ、他人の言葉にとりこまれても」(セリフはうろ覚え)

(哲学の例)
例1:ニーチェ
「私は、人間に飽きた。私は、人に、人間を超えることを、超人になることを教えよう。だが、その前に、人間はもっと滅びなくてはいけない。」

例2:キルケゴール「反復」
「永いあいだには、一般者についての果てしない饒舌に、退屈で味も香りもなくなるまでに反復される一般者そのものに、人は飽いてしまいます。そこに例外が生まれるのです。」
「(例外者は)いわば自分自身を破滅させようとしたその瞬間に人世から赦免されて、辛くも正当な権利を与えられます」
「彼はそれまでとは全く違った一貫した態度と不動心をもって行動したでしょう。」
「いわゆる現実は、いっそう深い意味で、彼にとってなんら重要な意味をもたぬものになるでしょう」

以上、アニメも哲学も、みんな言っていることは同じです。
周囲に流されずに、自分で価値観を創造するには、流されることに飽きることが必要なのかもしれません。

その意味では、今回の反日デモの成果を最大限に生かすには、映画の「芙蓉鎮」の5時間バージョン、
あの主人公夫婦がその後日本料理店を開くが、今度は反日デモでつぶされるというストーリーを描くのがよいのではないでしょうか?
さすがに、見ている人は皆あきるでしょう。
そして、新たなる関係の創造を模索するのではないでしょうか?

本当は、それこそ、歴史の「新しい」教科書の役割だと思います。
戦いの歴史、無知の歴史、復讐の歴史は、もう数千年続いているわけで、それを読んだ読者が、それ以上読むことに飽きること。自分もそれに加わることに飽きさせることこそ、歴史学の使命でしょう。
(→大学での専攻は歴史だったもので・・)

実践方法として、私がまず作ってみても良いのですが、読んでて飽きてしまう本を作り、しかもそれを世界に普及させることが可能なのか?ウーム。みんな、飽きてしまって誰も読まないでしょう。
このへんは、今後の検討の課題としましょう。

このへんに対し、ロボットアニメの戦争の繰り返しはどういう貢献ができるでしょうか。
(ザンボット3は飽きてしまい、厭戦感十分でしたが、ガンダムは飽きさせなかったなー)

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日中問題を考える1(ロボットアニメを使って)

GWは、3度目の香港旅行を計画していました。しかしながら、例の中国の反日デモが相次ぎ、あまり楽しめない気分になってきたので、キャンセルしました。
さて、国家間の歴史的な問題が浮き彫りになった今回のデモですが、どのように考えるべきでしょうか?

私の個人的な意見としては、いろいろあるのですが、とても一回では書ききれないので、テーマごとに分けて書きたいと思います。
そのさい、あえて、ロボットアニメを活用して考えたいと思います。なぜなら、ロボットアニメというのは、年がら年中戦争ばかりやっているので、こういう議論をするさいにモデルとして利用できるはず(?)だからです。
もし、議論のモデルケースとして利用できるのであれば、ロボットアニメにも、多少はいい面もあるといえるでしょう。逆に、あれほど毎回戦争を描きながら、こういう現実の問題を考えるさいに全く役にたたなければ・・まあ、エンターテイメントとしては許されますが、ちょっと残念です。
どこまで、日中間の問題を議論するモデルケースとして使えるかという実験です。
まず、第一回のテーマは、占領する側とされる側についてです。
とくに、占領する側が起こした虐殺などの問題と、それに対する占領された側の怒りの問題を考えます。
さて、モデルとなるアニメは・・ウーン、いいのが思い浮かびません。

ということで、残念ながら、第一回の議論のモデルは「スタートレックDS9]19話です。
この話は、カーデシア人に長年占領されていたベイジョー人の物語です。
カーデシアが出て行った後のベイジョー星で、強制収容所の長官だった、カーデシア人の戦犯がつかまります。
ベイジョーのキラ少佐は、彼が戦犯であることを立証し、処刑しようとします。

キラの言葉(以下、セリフはstar-treck uss-kyusyuさんのページのをベースにしています。)

「私たちが 12年前にガリテップ・キャンプを解放した時…惨状は目を覆うほどでした。至る所に死体が転がり、ある者は餓死、ある者は拷問死。カーデシアの扱いはひどかった! ベイジョー人をただ殺すだけならともかく、その前に散々いたぶってから殺すんです。…母親を、子供たちの前で犯したり、夫を妻にも顔がわからなくなるほど殴りつけたり、老人にいたっては生き埋めにされて殺されたんですよ!」

「(カーデシア人の取調べを)どうか私に担当させて下さい。死んだ同胞のために。」
「あのキャンプで死んでいった、大勢の仲間のために。」

そして、取調べ担当となったキラ少佐は、カーデシア人を尋問します。

キラ少佐「ガリテップが解放された時、至る所に死体が転がってるのを見たわ?」
カーデシア人「そりゃこちらの演出ですよ。ガリテップが悲惨だって噂を広めたのは元々、ガル・ダーヒールだったんです。指導者として、彼は実に非凡な男でした。恐怖による支配こそ究極の支配。実際に虐殺なんかしなくてもそういう噂を流しておけばそれだけで…効果は同じなんです。」

カーデシア人のいい加減な逃げ口上にキラ少佐は怒りを覚えます。

キラ少佐 「私に言わせれば、ガリテップにいたカーデシア人は全員戦犯よ。マリッツァを処刑すれば、ベイジョー人の心の傷も…少しは癒えるわ。」

しかし、カーデシア人も反撃します。

カーデシア人「さあ、そんなことより早く本題に入ろう。何人のカーデシア人を殺した。君が手にかけたのは。」キラ少佐「…いちいち数えてないわ。」カーデシア人「いいや、数えてたはずだ。それに軍人以外のカーデシア人も殺してるだろう。とにかく、テロリストの最大の武器は無差別殺人だからな。」 「カーデシアの民間人を何人殺したんだ!」キラ少佐「うるさいわね! 私だって好きで殺したんじゃないわ!」カーデシア人「よく聞く言い訳だな…」キラ少佐「それしかなかったのよ! 生き延びるためにはね!」カーデシア人「カーデシアもベイジョーの資源が必要だったんだ! 生き延びるためにはな。私がしたことは全て母国カーデシアのためなんだ! …それでお前たちが苦しむことになっても、どうでもよかった。我がカーデシアさえ栄えれば、それでいいのだ。カーデシアのためだと思えば、何でもできた。」

しかし、調査をすすめるなかで、カーデシア人の収容所の長官はすでに死んでいることがわかります。謎のカーデシア人は、単なる文書管理官マリッツァにすぎなかったことがわかります。彼は、良心の呵責に耐えかね、戦犯のふりをしてあえて捕まったのです。

カーデシア人「(本物の長官は死んでいると言われて)いいや、私は死んではいない。私は永遠に生き続けるのだ! 死んだのはマリッツァの方だ! マリッツァは、臆病な男でな。枕に顔をうずめてはよくメソメソ泣いてたよ! フフ…夜になると、手で耳を押さえて…救いを求めるベイジョー人の…哀れな…悲鳴が…聞こえないようにと…聞こえないようにと……」

キラ少佐は、カーデシア人と一言でくくった自分の認識が間違っていたことに気づきます。
しかし、移送中、見物していたベイジョー人のひとりが、突如ナイフで襲い掛かり、カーデシア人を殺します。

ベイジョー人「カーデシアの野郎なんて! 誰だって同じだろうが!」キラ少佐「違うわ! …違うのに……。」

この話の見所は、「カーデシア人」と一言でくくっていたキラ少佐が、その認識の間違いに気づくところです。

さて、スタートレックシリーズでは、もうひとつ、映画6「未知の大陸」が思い出されます。
ここでは、長年交戦状態にあった地球人とクリンゴン人の和平交渉が行われます。

エンタープライズ号の艦長カークは、息子をクリンゴン人に殺されており、素直に和平を喜ぶ気になれません。
しかし、その気持ちの油断をつかれ、好戦派の陰謀によって、再度戦争が始まりそうになった時、過去にこだわっていた自分の過ちに気づきます。

地球人にも、クリンゴン人にも、戦争を望む人々と、望まない人々がいることがわかります。
大事なのは、過去の復讐を繰り返すことではなく、未来です。
彼は、息子の死へのこだわりを捨て、和平のために全力を尽くすことにします。

「未来は、未知の大陸である」というシェークスピアの言葉が印象的な作品でした。

さて、この2作品に共通なのは、「**人」と一言で考えることの間違いです。
それが敵であれ、自分たちであれ。

そのことを、今回の中国のデモで見ていて強く感じたのは、一言で「中国人がデモ」といっても、よく見てみれば、
日本車に乗った中国人が車を壊されて泣いていたりしました。
また、中国人がやっている日本料理店も破壊されていました。
たぶん、そういう部分に注目することが、集団を考えるうえでは大事なのではないかと思います。

(戦争時の日本も同じでしょう。多くの日本人にとっては、戦争はのぞまないものでした。
しかし、何で戦争になったか、というテーマはまたいろいろ話が長くなるので次回以降にします。)

さて、中国のデモを見ていて思ったのは、同じ中国人の中でも、一方は、群集と化して、暴徒となる人々がおり、
他方には、同国人の暴動を見て、被害にあわされるまま、手の打ちようもない人々がいることでした。

これは、どっかで見たような・・そう、中国映画「芙蓉鎮」そのものでした。
今回のデモで車や店を破壊された中国人も、壊した中国人も、あの映画そのものです。
おそらく、被害にあった方は、たぶん、群集心理の恐ろしさを知るとともに、今後、何かで世相が一変しても、世論にどっぷりのまれることはないでしょう。
漫画家のちばてつや先生が子供の頃、日本が負け、中国からひきあげようにも、日本人狩りがはじまり、身動きとれなかったとき、ある中国人がかくまってくれたといいます。しかし、その中国人は、後に、日本人を助けたということで、いろいろ見せしめの刑にあったようです。

世論、集団の論理、人の言葉に流されないことの難しさ。
私が、エヴァンゲリオンのシンジについて解釈した文章は、まさにこの観点でした。
(「使徒の血はなぜ青いのか、そして、シンジは何故戦わなかったのか」)
よくわからないけど身を守るために戦うよりも、泣いて何もしない方が、正しいのかもしれない。
実際、戦争というものは、常に、ごく一部の者の都合のために、大多数が扇動される現象だと思います。
太平洋戦争など、まさに、身を守るためには戦うしかないという言葉の嘘を感じさせます。

そういえば、装甲騎兵ボトムズの主人公キリコは、戦争中の惑星サンサでの虐殺の件で、遺族から付狙われたものでした。
彼は、謝りもしなければ、言い訳もせず、その場その場で自分にできること、正しいと思われることだけを行いました。

そして、再度戦争が始まったとき、彼は、国家や現状の世界そのものを拒否する決意をしました。

私はあまり倫理的な人間ではありませんが、尊敬するタイプとしては、集団論理で正論を言う人よりも、自分視点で、時流や人々の言動とは無関係に、人間的に正しいと思う行動をとれる人です。ちばてつや先生を助けた中国人や、ユダヤ人を助けた外交官杉原千畝氏。

その意味で、教科書問題について思うのは、正しい歴史認識を育てるには、戦争の記述がどうというより、むしろ、歴史書「想像の共同体」に見られるような国家認識を記載してほしいものです。

先ほど言った、エヴァで泣きじゃくるシンジもその意味では悪くないと思いますし、ボトムズで世界を拒否して冷凍睡眠に入るキリコもそうです。
しかし、キリコについて言えば、復活も果たしたわけですし、今度は、周囲に一切流されない生き方はそのままに、現実に関わってほしいものです。
ボトムズ世界で唯一不変の魅力が、決して周囲に流されることのない、キリコの人格だと思うからです。
戦争が起きようと、なくなろうと、どこかの政治権力に虐待されようと、それが滅びようと、自分が軍人であろうと、捕虜であろうと、神の後継者になろうと、何も変わらないこと。

長くなりましたが、最後はボトムズネタで終わったので、ボトムズウェブにトラックバックしておきます。

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May 09, 2005

富野監督×高橋監督対談3(ガンダムの惨敗)

前回にさらに続き、富野監督と高橋監督の対談についてです。
今回は、富野語録の難しさの一例として、有名な(?)「ガンダムは惨敗だった」発言をとりあげます。

対談中で、高橋監督は、富野監督がTV版Zガンダム放映時に「惨敗」という言葉を使ったことについて、真意を聞く部分があります。
しかしながら、富野監督は、いたるところで惨敗発言を繰り返しているので、なかなか主旨をつかむのが難しい面があります。

例えば、「機動戦士ガンダム」関連の惨敗発言をみていくと、毎回「惨敗」の理由が違うのです。
①「宇宙戦艦ヤマト」を超えるのが目標であったが、映画の興行成績という面では、結局勝てなかった。ガンダムは惨敗であった。
②「宇宙戦艦ヤマト」を超えるのが目標であり、作品としては超えた。しかしながら、宮崎監督の「未来少年コナン」には、作品としてもかなわなかった。惨敗である。
③TV版で、視聴率がとれずに、打ち切りになった。惨敗である。
④(ガンダム放映終了後)いろいろやったが、結局また「Zガンダム」でガンダムに戻ることになった。惨敗である。
(これが今回の対談の話)

おそらく、どれも、本当の気持ちだとは思うのですが、あれだけ成功した作品を(おそらく謙遜の気持ちもあって)惨敗と表現し、しかも、毎回、なぜ惨敗なのかと理由が異なるところが、真意をつかみづらくしている理由だと思います。
よくもまあ、毎回きちんと違う理由が表現できるものです。

富野監督の発言は、ほかにも、言葉の用法などで独特の用語が多々あり(例「認識力が~」)、かつ、実際にインタビューすると、話の前後の脈絡を理解するのも大変だそうです。
最近、アメリカ人の有名な作家が富野監督にインタビューして、意味不明に終わったそうですが、よほど精通した通訳でないと、話の真意を伝えるのは難しいのではないでしょうか?

ともかく、同じサンライズの高橋監督からみても、富野監督の発言は、本人に問いたださなくては理解不能なのだなーと、妙なところで感心しました。
ヒマがあったら、富野語録の理解のためのメモでもまとめようかと思ってしまいました。

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May 08, 2005

富野監督×高橋監督対談2:映画Zガンダムのポイントについて

前回に続き、富野監督と高橋監督の対談についての感想です。
もうひとつ興味深かったのが、映画「Zガンダム・・星を継ぐ者」を語るときに比較されていたのが、方法論としてはイデオンであり、内容としてはTV版Zガンダムだった点です。
一方、他のガンダムシリーズとの比較については、「ターンエーでその点は終えている」という感じで、ガンダムシリーズとしての視点は関心なさそうでした。

さて、内容的にTV版と比較するのは当たり前ですが、TV版が、自閉へと向かう時代の予兆を捉えたものの、実際にその時代となった今、これからどうするのかが問題ということでした。これは、たぶん、癒しの要素も入れながら、(方向は不明ですが)もっと前向きな話になるということかと思います。

問題は、イデオンとの方法論の違いです。
40代くらいの人から、「ガンダムよりイデオンはすごい」みたいなことを言われたりすることを踏まえ、意識で(頭だけで?)作ってしまったイデオンに対し、もっと身体の重要性を踏まえた作品にしたいということでした。そのために週3回プール通いもしているそうです。

この発言がどういう意味かはまだ私も良く咀嚼できていないのですが(言葉の理屈はわかりますが)、映画を見て、「こういう意味か」と実感できればなと思っています。(富野語録の難しさについては、このインタビューでもいろいろ思うものがあったので、次回書きます)。

私は、ホームページでも書いているいるように、イデオンは、ある点では他のガンダムシリーズよりもファースト・ガンダムとの親近性が近いと考えています。
それに対して、映画のZガンダムはイデオンとは対極に立つ方法論で作るといわれ、かつ、他のガンダムシリーズのことはあまり考えないと言われると、とても興味湧きます。

いずれにせよ、イデオンとは正反対の方法論で作られる映画Zガンダムの存在は、イデオンという作品の本質を裏側から照らし出す作品になるでしょうし、逆に、映画のZガンダムの本質を捉える上で、イデオンという作品が欠かせないとも言えます。

そして、そのような作品になることを期待してもいます。TV版のZガンダムは、ファースト・ガンダムやイデオンに比較すると、密度は高いものの、いろいろ弱い面がありました。それが、明確にイデオンと異なる方法論で再作成され、かつ、ガンダムシリーズという呪縛から解き放たれることで、ファースト・ガンダムを頂点とする二等辺三角形の一角をにない、イデオンと対抗するような、独自の存在感を放つ作品になってくれればと思います。

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富野監督×高橋良輔監督対談

ガンダムやイデオンの富野監督と、ボトムズやダグラムの高橋監督の対談が、今月いっぱい無料で公開されています。(なんと45分!!)。高橋監督はホスト役なので、話題はほとんど富野監督作品です。印象深い会話はいろいろあるのですが、ひとつは、富野監督が、「司馬遼太郎みたくなりたかった」といい「あと黒澤明みたく」と続ける点。司馬遼太郎、黒澤明と言えば、宮崎駿監督がやはり崇拝し、2人と対談をしていた点を思い出します。
富野監督と宮崎監督は同年齢。2人が、作品を作るときに考えていた事はかなり共通していて、①先達としての手塚治虫を超えること、②司馬遼太郎のように社会を描くこと、③黒澤明のように映画をとること、と続くわけです。
富野作品と宮崎作品が、社会の全体像を描くことに固執する原動力のひとつとして、司馬作品の重要性に改めて気づきました。もっと世代が下がって、例えば庵野監督作品になると、司馬作品への憧れは全く(100%)無いでしょう。
それにしても、富野作品と宮崎作品は実は似ています。どちらも、とにかくヨーロッパ貴族の生活に憧れを持ち、舞踏会のシーンや、お金持ちの生活、お姫様というイメージ群と、貧乏でふらふらした立場の主人公という対比が軸となります。そして、2人の源流をたどっていくと、とりあえず「アルプスの少女ハイジ」で一緒に仕事をしていて、やはりこの構図に出会います。もっとも、この構図は単に日本の敗戦後の欧米へのあこがれを示すだけかもしれませんが。
もうひとつ上の世代の手塚作品になると、この構図はまた変わってきて、日本人の主人公というのが、もっと素直にでてきます。つくづく、作品というものは、作者の育った環境や、発表した時期に合わせて、変化するものなので、作品分析をする場合には、その辺の視点も必要だと思います。

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April 24, 2005

ボトムズ新連載

リンク: ボトムズweb.

5月25日発売の『日経キャラクターズ!』から良輔監督のボトムズ新連載がスタートします。

ボトムズの新連載がスタートするようです。5月28日からのZガンダムの映画とあわせ、うれしい気持ちと、日本のロボットアニメも老齢期かな、という複雑な気持ちも若干ありますが・・

それはともかく、ボトムズは今まで何度、ホームページを作成しようと思ったことか・・

しかし、作りきれなかったのは、解釈しようにも、物語の整合性をとるのが難しいのです(実はエヴァよりも)。TV冒頭の、単なる一兵士としてのキリコと、一連のOVAにおける、不死の神としてのキリコ。物語としての魅力の性質が相反しているんですよね。どちらも魅力的なのですが、両立はしないというか・・不死の主人公で戦争ものは無理があるというか・・

「日本ロボットアニメ最高の恋愛もの」という位置づけでホームページを考えたこともありましたが、OVAの最後がああだし・・

近々、ボトムズホームページを作ろうと思っているのですが、3つにわけ、

①純愛物語としてのボトムズ

②ロボットインフラとしてのボトムズ(戦争ものの舞台としての魅力)

③神の後継者としてのボトムズ(もしくは人類進化論としてのボトムズ)

の3部構成として考え、それぞれ、お互いの関係はあまり気を使わないところから、論をすすめたいと思います。どの点をとっても、最高に魅力的な話なのですから・・

上記の難点を解消するには、フィアナ復活と、神の後継者でも死にうる(ワイズマンのように)という点の明確化が必要で、TVの原点に戻り、極度の戦争状態の中で現れた新たなる種(神の後継者だが不死ではない)と、人工的に作られた戦争機械の美女との純愛という路線を、うまく復活させてほしいものです。

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