November 25, 2007

宮崎駿監督発言集 ルパン三世への愛と決別アップ

宮崎アニメのページのなかの、宮崎駿監督発言集をひさびさに更新しました。

今回のテーマは、ルパン三世への愛と決別です。

宮崎駿監督のルパン三世への発言をこれだけまとめたものは、あまり例がないのではないでしょうか?

もっとも、内容は、全文抜粋から一言抜粋、引用元も載せたり載せなかったりと、レベルもまちまちです。

また、いくつかまだ未掲載の文章もあるので、修正が必要ですが、まあ、とりあえずの第一弾ということで。

もし、宮崎駿監督の、ルパンへの熱く、複雑な思いが読んでいる人に伝われば、このコンテンツの役割は果たせたことになります。

また、これを読んでもそれが伝わらないようであれば、私の編集の問題ですので、再度、他の発言も含め、追加・修正を急がなくてはいけないと考えております。

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November 04, 2007

天空の城ラピュタのホームページ開設

以前から作る作るといっていた天空の城ラピュタのホームページですが、ようやく開設しました。

宮崎アニメのページの中の、天空の城 ラピュタのページです。

今回はとりあえず天空の城ラピュタ論という考察のみです。

今後、いろいろ他のコンテンツも増やしていきたいと思います。

天空の城 ラピュタ論では、ひとつのラピュタについての解釈を示しています。

純粋な娯楽作として作られた作品に対し、こういう視点で考えるというのは、製作側からすると不本意だろうと思いますし、悪い気もするのですが・・

まあ、ひとつの解釈ということで。

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October 26, 2007

山田康雄再生計画の顛末

ここ数ヶ月、仕事が大変忙しかったのですが、その中の1エピソードの紹介です。

私のところに、ある会社から連絡が入り、相談を受けました。

その会社は、音声をいろいろ合成したりする技術をもっていて、その技術を活用する用途についての相談でした。

ジャンルもある程度決まっていたのですが、私はその技術を見たとたん、「これは、ルパン三世の声を、もう一度山田康雄さんの声で再現するのに使えるのではないか・・?」と思いました。

既存の音声を集めて合成すれば、どんな声の再生も可能になりそうでした。

私は、早速、TV局もしくは番組制作会社にコネがありそうな人に相談し、アクセスルートを築きました。

そして内心、「今度のルパン三世スペシャルは、山田ルパン復活!という宣伝文句が踊るな・・視聴率も上がるだろう」とか、「いっそ、監督は宮崎駿監督が引退作品(?)としてやってくれたら面白いな。以前構想していたラムダ百体と戦うやつ。」「カリオストロの城の完結編もいいな」などなど妄想がふくらんだのでした。

そして、いよいよ、その技術を持つ会社に提案してみました。

すると、あまり反応がよくありません。

聞いてみると、以前にも別なアニメの声で実験したけどうまくいかなかったそうです。

何でも、言葉を自由に再現するには、ある種の発話パターンを一定数登録しておく必要があり、過去のセリフだけだと、うまくいかないそうです。

以前失敗したアニメは、どうも、私が推測するに、ドラえもんの声のようでした。(はっきりとは言っていませんでしたが・・)

こうして、私の山田ルパン復活計画は、2週間ほどで挫折したのでした。

でも、山田ルパンにしろ、ドラえもんにしろ、あれだけ多くのセリフが残っているのだから、丹念に調べれば、必要な発話パターンは全てとれるのではないかと思います。

ドラえもんはともかく、たまには、若い頃の山田ルパンの声で、新作ルパンを見たいのは、私だけではないでしょう(私だけか?)。

音声技術もまだまだ進化するでしょうし、私の計画は、密かに、まだまだ続くのでした。

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July 14, 2007

宮崎駿監督デザインのからくり時計について

6月は、ひさしぶりに仕事に専念しました。職を変えて数年、初めて自分が中心のプロジェクト。

ここで失敗したら後がありません。

かつては数百人に発注をしながらプロジェクトを推進していた自分が、今は部下ゼロ、外注ゼロでやらなくてはいけない状況になっているため、「赤い彗星も地に落ちたものだな・・」と一人で落ちぶれたシャアにひたりながら、休みもなく昼夜もなく働いた感じでした。

そのため、ホームページもブログも更新できませんでしたが、ようやくひと段落したため、今後はまた更新が再開できると思います。

働いた場所は、ほとんど汐留でした。

ある日、たまたまいつもと違うルートを歩いていると、そこは日テレ前。以前ハウルの動く城展をやっていたところに、巨大な時計が設置されていました。

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おおっ!ずいぶん前にジブリのホームページで宣伝していた宮崎駿監督製作の世界最大のからくり時計!いつの間に設置されていたのだろうと思いながら、見てみると、数時間ごとにからくりが動くようです。

会社に戻り、次の作動時間である18時5分前に備えるため、10分前には会社を出て日テレに向かいました。帰宅時間のためか、大勢のサラリーマンが同方向に歩いています。

これは、皆からくり時計の動きを見に行くのかな?と思っていると、いつの間にか人は少なくなり、からくり時計に着いた頃は、日本人は誰もいませんでした。

周りは外国人の観光客ばかり。すぐ側で働いている私が何も知らない間に、いつの間にか観光スポットになっていたようです。「ハウルの動く城展」の時のように、おそらく、土日は親子連れでいっぱいなのかもしれません。

からくり時計は、まさに宮崎駿ワールド全開といったものでした。

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わずか数分ですが、仕事疲れの合間に心がなごみます。

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職場のこんな近くにあるのなら、朝から晩まで見にこようかと考えて、時間を見ると、平日の最終回は夜の10時。

まさに、仕事疲れのサラリーマンのための時間です。

いつも、これを見て帰ることを目標に、さっさと仕事を切り上げようと思いました。

結局、プロジェクトも終盤だったこともあり、夜の10時にからくり時計を見に行くというシチュエーションはその後作れず、一方、プロジェクト終了後はもっと早く帰れるようになったため、夜10時に見に行くことはありませんでした。

でも、一度は朝から晩まで毎回からくり時計を見に行くような、忙しいなかにもゆとりがある(?)ワーキングスタイルを実践したいものだと、今でも思っています。

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(参考)日テレの説明読むと、構想5~6年で、2006年12月から開始したようです。どうりで、ずいぶん前から話聞いていたわりには、以前見に行ったときはなかったわけです。

公式本も出ているようですし、公式ページも面白いです。

          http://www.ntv.co.jp/tokei/

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February 11, 2007

宮崎アニメ論(天空の城ラピュタ論?)2

前回の続きで、まずは少年についてです。

コナンを筆頭とし、パズーを最後とする、あの、常に明るく前向きな少年のモデルは誰であったのか?

実は、これは意外に簡単で、宮崎駿監督自身の少年時代の、「影」です(ゲド戦記ふうの言い方をすれば)。

これについては、本人が、そう言っているインタビュー記事がありましたので、ホームページに書き直すさいは、ちゃんと出典含めて引用します。

もう少し具体的に書きますと、宮崎駿監督は、少年時代、非常に暗く、元気がなかったそうです。(ちなみにこれは、本人の認識。兄弟の認識では、結構元気だったようですが)

だからこそ、自分が少年像を描くさいに、「少年はこうあってほしい(自分もこうありたかった?)」というような、理想的な少年像になってしまうということでした。

明るくて、純粋で、前向きで、元気で、パワーがあって・・

さて、この話は、これで終わることもできるのですが、若干寄り道してみます。

宮崎駿監督が、自分の作品の主人公を、現実の自分自身の反動、理想像として、描いたということ。

これは、先ほどもちょっと書きましたが、ゲド戦記でいう「影」みたいなものだと言えるでしょう。

もしかすると、宮崎駿監督が、ゲド戦記にあれほど入れ込んでいた一因は、この「影」という設定に魅かれたのかもしれません。

さて、宮崎駿監督は、自分の息子の悟郎少年が、思春期に入る頃から、(誰でもあるように?)闇の部分を抱え始めたことに気づきました。

こうなると、自分の少年時代をベースに、反動としての理想的な少年像ばかり描いてもいられなくなります。

自分の子供が闇の部分を持ち始めた以上、むしろ、闇を抱えた少年を主人公としなくては、息子の指針にもならないだろうということです。

こうして、理想的な少年よりも、むしろ闇を抱え、それと対峙する少年像を作ることを考え始めました。

そこから、「呪われた運命の少年 アシタカ」という主人公のイメージが生まれます。

ところが、企画が「もののけ姫」として実現するまでに15年ほどかかってしまったために、悟郎少年もとっくに成人し、「呪われた少年」の理由についても、なんだか意味が不明となり、結果として、

宮崎駿監督コメント「不条理に呪われないと意味がないですよ。だって、アトピーになった少年とか、小児喘息になった子供とか、エイズになったとか、そういうことはこれからますます増えるでしょう。不条理なものですよ」

とインタビューで一般論として答えることになりました。

その後、今度は逆に悟郎監督が映画を作るさいには、「ゲド戦記」を選びます。

ここで注目すべきは、いきなり父親を刺し殺すという、「心の闇」全開の主人公を造形したところです。

これでは、駿監督が悟郎少年の闇に気づいた20年前から、思いのほか変化していなかったと言えるかもしれません。

この点は、父親が偉大すぎたためか、それとも、鈴木プロデューサーが自分で言っているように、最初にイベント持ってきたくて指示(アドバイス?)した要素が大きいのか、よくわかりませんが。

宮崎吾郎監督コメント「主人公の心の闇を強調するため、影を主人公としてみました。」

以上、宮崎駿監督と悟郎監督の「心の影」を軸に、なぜ駿監督作品の主人公はあんなに純真で理想的に明るく前向きなのに、悟郎監督の主人公がああいう「闇」だらけの人物になってしまったかという読解でもありました。

後で、ホームページでまとめなおすときには、もうちょっと論旨を明快にし、引用元も含めて書き直そうと思います。

とりあえず、上記の経緯について、もう少し知りたい方がいたら、私のホームページでは以下の2点を参照ください。

もののけ姫のページの、もののけ姫QA2「なぜアシタカは呪われなくてはならなかったのか」

ゲド戦記のページの、映画ゲド戦記FAQ1「2人のアレンはどういう関係なのか」

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February 02, 2007

近況、ブログの今後の方針、および宮崎アニメ論(ラピュタ論?)1

最近、体調を崩していたのと、仕事が忙しかったのがかさなり、ホームページの更新活動もブログも何もできませんでした。

とくに、年末年始に作ろうと思っていたエヴァ本が全く書けなかったことは、個人的にもがっかりでした。

これで私のエヴァ本出版計画もほぼ絶望的だなーと思いつつ、ともかく、何かしらホームページやブログを更新したいと考えています。

そこで、これまでのように、論文はホームページにアップ、ブログでは別のネタというやり方を変え、とりあえず書きたい内容をブログに書き溜め、完成したらホームページに反映するというやり方をとってみたいと思います。

そうすれば、比較的頻繁にブログはアップできるし、自分のモチベーション維持にいいのではないかという考えです。

というわけで、今回から、思いつくままに、論文の書き溜めを行ってみます。

とりあえず書籍等確認せずに記憶に基づいて殴り書きし、後でちゃんと調べてから、推敲し、ホームページに載せようという趣旨ですので、細かいミスは気にせず読み飛ばしておいていただければと思います(本当の勘違いもあるかもしれないので、ご指摘も歓迎です)

今回は、宮崎アニメ論、もしくは天空の城ラピュタのページを開設したら、そこのメインコンテンツになるであろう天空の城ラピュタ論です。(どっちにするかは、書きながら考えます)

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あの少女と少年のモデルは誰だったのか・・

かつての宮崎アニメには、純真で天真爛漫な少年と、可愛くて、でもどこか大人びた少女が常にセットであった。

ごく初期の「どうぶつ宝島」から始まり、「未来少年コナン」におけるコナンとラナ、「天空の城ラピュタ」におけるパズーとシータが代表的である。

彼らは、常にセットだった。

そして、理想的な少年・少女だった・・

しかし、ラピュタにおけるパズーとシータを最後に、その姿を消すことになる。

この論文では、以下の2点の探求をテーマとする。

1.あの少年と少女のモデルは誰であったのか

2.なぜ、ラピュタを最後に、彼らは消えたのか

・・以下、続く・・

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November 24, 2006

新ルパン三世の幻の宮崎作品「空飛ぶ銭湯」についての考察アップ

最近、いろいろあり、ホームページ、ブログとも更新が滞っていました。

何もしていなかったわけではなく、エヴァンゲリオンについては、出版社に送るためのエヴァ本を書いていたのですが、遅々として進まず・・・

ガンダムについては、いよいよ数日中に(?)、ターンエーガンダムのページが開設できそうです。

今後は、ホームページの進捗に限らず、ブログはブログでいろいろまた出来るだけ書いていこうと思います。

さて、今回アップしたのは、宮崎アニメのページのルパン三世についての部分です。

新ルパンにおける宮崎駿作品というのは、

・死の翼アルバトロス

・さらば愛しきルパンよ

の2作品しかないのですが、今回紹介および考察しているのは、幻の(?)、「空飛ぶ銭湯」です。

もっとも、わずかな情報に基づいて書いているだけなので、たいした内容はありません(いきなり言い訳モードです)・・

あまり期待せずに見てもらえればと思います。

ルパン三世のページの新ルパン三世における宮崎ルパン幻の作品「空飛ぶ銭湯」についての考察というコーナーです。

宮崎ルパンが好きな方が、想像をたくましくするための参考になればと思います。

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October 13, 2006

ヤマト、ガンダム、宮崎アニメ、エヴァンゲリオン、ゲド戦記における人種問題2

さて、前回に引き続き、アニメの人種問題の話です。

しかし、その前に、前回頂いたご指摘をもとに、宇宙戦艦ヤマトについて、若干話を整理しなおします。

まず、私が書いた前回の趣旨は、

大和を復活させてヤマトとし、日本人だけでデスラーと戦うというストーリーは、太平洋戦争の敗戦コンプレックスからきているように読みとれる。

ただし、西崎氏も松本氏も、そういう話を最初から作ろうとしていたわけではない。

ということでした。

それに対し、ご指摘いただいたのは、

1.デスラーなどは、白人は白人でも、アメリカというより、ナチスからきている。

2.ヤマト以前、おもちゃにおいては「大和」が人気アイテムであった。

ということでした。

これらのご指摘を踏まえて考え直してみるに、大和を復活させてヤマトとするというアイデアは、反米というよりは、単におもちゃを「大和」にかこつけて売ろうという、スポンサーサイドの意向だったのかもしれません。

また、全員日本人というアイデアも、思想的なものよりは、当時のウルトラマンや戦隊物のイメージに近い(基本的に日本人のみで地球を守る)のかもしれません。(つまり、おもちゃ屋さん的には、いつもと同じ自然な流れ。)

また、白人vs日本人という構図も、反米というよりは、むしろ、アメリカではなく日本こそが打倒ナチスという、正義の味方の役割をやれたら、かっこよかったんだけどなー・・という、当時の少年達の気持ちが反映されているのかもしれません。

また、ヤマトの「特攻」についても、もともとヤマトは初期の企画書でもほぼ全滅設定だったため、大和の特攻とはあまり関係ないのかもしれません。

ついでに言うと、テレサやスターシャのキャラも、松本氏のいつもの作品と通じるものがあり(メーテルやら千年女王やら)、モデルは奥さんとの説もあることから、それほど白人コンプレックスというわけではないのかもしれませんが・・

このへんは、まだ実態はわからないところもありますが、以上のような可能性もあるという前提で、次に進みたいと思います。(つまり、私が前回書いたのとは逆に、ヤマトに敗戦コンプレックスや欧米コンプレックスをあまり見ない解釈もありうるということです)

さて、次はガンダムです。

宇宙戦艦ヤマトに少しだけ関わり、西崎氏と喧嘩別れした富野氏は、「ヤマトをつぶせ!」という一念で、「機動戦士ガンダム」を作ります。

(注:このへんの詳細は、ガンダムのホワイトベースはなぜヤマトより強いと言い切れるのか?を参照ください。)

ここで、富野氏は、あたかも、日本人だらけであるヤマトに対するアンチテーゼであるかのように(?)、主要キャラから日本人を外しました。

ハヤト・コバヤシは日系ですが、柔道やったり背が低かったりと、ステレオタイプのかっこわるい(?)日本人となっていました。

また、主人公のアムロも、人種的に曖昧にみせていました(初期資料には漢字ネーミング版もありましたが・・)

そして、主要人物には黒人(リュウ)もいれようとしました。

つまり、白人、黒人、東洋人など混成チームでホワイトベースのクルーを構成することで、宇宙世紀の未来を表現しようとしたわけです。

この辺の意識はヤマトとは大きく異なり、スタートレック並みです。

推測ですが、スタートレック並に人種問題に配慮することで、ヤマトの設定の古さを、明確にしようという意志があったのではないでしょうか?

ところが、アニメにおける黒人というものは、当時、表現上もめる面がありました。(具体的には、サイボーグ009における黒人表現が抗議を受けたりした)

そこで、スポンサーが黒人をクルーにすることを嫌がり、結局、彼(リュウ・ホセイ)は、黒人ではなくなりました。

もっとも、それまでの日本の作品で、人種問題をそこまで意識している作品はあまりないため、普通の人は誰も気にとめませんでした。

ところが、一人だけ、ホワイトベースに黒人がいないことに疑問を呈し、突っ込みを入れた人がいました。

現スタジオジブリの高畑勲氏です。

彼は、いくら009の問題があるとはいえ、スペース・コロニーの時代に黒人が不在なのはおかしいと、ガンダムの設定の不備を指摘しました。

打倒西崎氏、打倒スタジオジブリを目指す富野監督としては、おそらく、これは、気にしないわけにはいかない指摘だったのでしょう。

ガンダムというのは、基本的に、高畑氏や宮崎氏、富野氏などが製作した「アルプスの少女ハイジ」と同じで、白人の金髪のお姫様(お嬢様)ものなのですが(セイラにしろ、F91のヒロイン(名まえ度忘れ)にしろ、カテジナにしろ、ディアナ様にしろ)、富野監督は、とにかく黒人も出さなくてはと思い続けたようです。

ついに、Vガンダムでは念願かなって、とうとう主要メンバー複数人の色を黒くし、そのことを誇らしげに語っていました。その中には、ヒロイン(?)のシャクティも含まれていました(インド系のイメージかな・・)。

そして、ターンエーガンダムにいたり、主人公の色までも黒系にすることになりました。

こうして、ガンダムの人種問題は、20年もかけて、いちおう、一区切りついたのでした。

以下、続く・・

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October 07, 2006

ヤマト、ガンダム、宮崎アニメ、エヴァンゲリオン、ゲド戦記における人種問題1

以前から考えていたテーマとして、日本のアニメの人種問題があります。

とりあえず、宇宙戦艦ヤマト、機動戦士ガンダム、宮崎アニメ、エヴァンゲリオン、ゲド戦記といったところを辿っていきます。

なぜ、この諸作品を選ぶかというと、世に与えた影響も大きいし、また、その人種問題への関わりもそれぞれ特徴的だからです。

また、製作者が様々なに絡み合っている点も興味のひとつです。

以下、いつもなら各監督の発言やその出所を明示しながら書くところですが、苦労して書いた挙句に最近のように著作権問題でつつかれるのも面倒なだけなので、発言は特に明示せず、主旨だけ書きます。

まず、宇宙戦艦ヤマトです。

私は、以前、このブログで、宇宙戦艦ヤマトの人員構成(全員日本人・・)を例に引きながら、アメリカ産のスタートレックと比較して書いたことがあります。(参考:宇宙戦艦ヤマト復活について

敗戦コンプレックスをそのまま出したヤマト(日本人vs白人。大和の復活など)と、第二次大戦の勝者も敗者も、冷戦時代の敵対者も含めて皆で一致団結する未来を描いたスタートレック(白人のほか、日系人、黒人女性、ロシア系など敢えて意図的に主要メンバーとした)を比較したものでした。

また、このような作品をあの時代に生み出したロデンベリー(彼は、何と結婚式はわざわざ日本にやってきて神式で行なった!!)の卓見と、アメリカへの恨みつらみをアニメで表現した西崎氏(たしか親が海軍士官)とを比較したものでした。

要するに、いつまでも敗戦コンプレックスを持ち、日本人で固めて大和を復活させ、敵と破壊戦争を行なうという完全懲悪の物語しか作れなかった日本のアニメと、世界一致で(宇宙人も一人、強烈なバルカン人がいたか・・)問題解決に当たらせ、人種問題、思想問題など様々な社会問題を比喩的に描いたスタートレックを比較し、日本のアニメのレベルについて嘆いたものでした。

しかし、しばらく後で、どうも自分のこの認識は間違っていたことに気づきました。

西崎氏がヤマトを軍国調にもっていったという非難は、実は松本零士氏の発言をそのまま信用したものだったのですが、西崎氏の作った初期プロットを見る限り、実は、宇宙船の乗組員は世界各国の当番制であり、たまたまこの年が日本人当番だったのでした。

また、スターシャやテレサに該当する女性はいません。(企画書は、宇宙戦艦ヤマトとさらば宇宙戦艦ヤマトをあわせたような内容です)

また、船も、旧日本海軍の戦艦大和とは無関係です。ただ単に日本人が当番のときの船だったからヤマトと名づけたように読みとれます。

設定的には、世界各国から乗り組み員を集めるプランを持っていた西崎氏と、軍国ものにするのに反対だった松本氏のアイデアが組み合わさる過程で、どうして全員日本人の乗組員で、旧日本軍海軍の大和に乗るという設定になったのでしょうか?

ちょっとわかりませんが、テレビ局の意向なのか、他の誰かの意向なのか、議論の結果なのか・・

ともかく、

・西崎氏の持っていたアイデア:世界各国の乗組員の中で、たまたま日本が当番だった。船も旧海軍の大和とは無関係。ただし、音楽やデザインは旧日本海軍調にしたい。

・松本氏の持っていたアイデア:一人、核になる女性で金髪白人系(??)の美女をおきたい。軍国調はイヤだ。

の2つが変な風に合わさり、結果として、

★日本人ばかりのメンバーで旧日本海軍の大和を復活させて侵略者と戦い、悪いのは白人男性(色は青だったり緑だったり)、でも白人美人女性が女神役。

という、なんか日本の敗戦コンプレックスをそのまま出したかのように読みとれる話となったのでした。

ともかく、いろいろな要素が加わった結果として、地球規模の話であっても日本人しか出てこず、美女役だけ白人という、人種問題という観点からするとかなりである話になってしまいました。

以下、次回に続く・・・

(参考)西崎氏の企画および現状については、西崎義展の手記を参照ください。

西崎氏はまだ獄中かもしれません。しかし、西崎氏の果たした役割の大きさを考えると、もっと光が当たるべきではないでしょうか?

富野監督の言葉を見ても、宮崎監督の言葉を見ても、宇宙戦艦ヤマト=西崎氏です。

ヤマト=松本氏になってしまった現状ですが、ちょっと不公平な感じもするので、西崎作品に焦点をあてたページを作ろうかという気もしています。(ヤマトのみならず、YAMATO2520にも焦点をあてたような)

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September 01, 2006

ゲド戦記のページ作成開始

先日、ゲド戦記の映画をようやく見てきました。

そこで、少し前から、ゲド戦記のホームページを作ってみました。

映画は、いい面もいろいろあるのですが、やはり、原作知らない人には理解できない(楽しめない)内容だと思います。製作者の想いは十分に表現されているのですが、観客がおいていかれているというか・・

やはり、まだ見ていない方は、もし時間があれば、原作を先に読むことをおすすめします。(もっとも、全巻のエピソードがひとつにまとまっているため、なかなか読むのも大変かもしれません・・)

ホームページの方では、とりあえず宮崎駿版の構想の復元(かなり無理ある)から始めてみました。

もっとも、別に映画版を批判するのが目的では全くなく、原作者からの批判をベースに、宮崎吾郎監督作品と、宮崎駿監督作品(と私が勝手に想像している話)の、どちらがどこまで原作者の批判に耐えられるかを考えることで、両者のいい点悪い点、さらにはいわゆる宮崎アニメの本質を考えるきっかけにできればなーというところです。

まあ、勝手に宮崎駿版の構想をイメージするのも、いろいろ問題あるでしょうから、今後は映画を見て話がわからなかった人向けの解説中心にしていくと思います。

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August 12, 2006

カリオストロの城論:「カリオストロの城の真実」完成!

ようやく、カリオストロの城論「カリオストロの城の真実」が完成しました。

宮崎アニメやスタジオジブリのページの、ルパン三世のページのなかの「カリオストロの城」のページ内です。

思えば、もともとカリオストロの城のページを作成したのは、この論文を書くためでした。

しかし、こんな短くて下手な論文とはいえ、結構書くのは手間と気合が必要なため、とりあえず序章だけ書いてほったらかしていました。(以前書いた序論と、完成した論文を見ると、若干整合性が悪いため、少し修正するかもしれません)

その後、アクセスも少ないため、やる気もうせていたのですが、とりあえず、完成までたどりつけて良かったです。

まだ、多少いろいろなコンテンツを追加する予定ですが、カリオストロの城のページのメインは完成です。

あとは、ルパン三世のコンテンツでいうと、宮崎駿監督とルパン三世の関係を包括的に扱った論文を追加すれば、ルパン三世のページのメインは完成です。

その後は、宮崎監督以外のルパン三世の話を追加していくかもしれません。

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August 10, 2006

ルパン三世「カリオストロの城」論 カリオストロの城の真実アップ開始

先月、ハウルの動く城がテレビ放映した影響で、ハウルの動く城のページを中心とした宮崎アニメやスタジオジブリのページのアクセス数が一時的に上昇しました。

ハウルの動く城の影響だけではなく、同じ、スタジオジブリのゲド戦記の影響もあるかもしれません。

そこで、宮崎アニメかジブリ系のコンテンツを作ろうという気がわきおこり、今回、ルパン三世のページのなかの「カリオストロの城」のページを更新しました。

「カリオストロの城」論:「カリオストロの城の真実」です。

ややおおげさな題名の論文ですが、まあ、ちょっと気をひきたかったということで・・・

まだ第二章までしか書いていませんので、そのうち第三章を書く予定です。

また、第一章は、アルセーヌ・ルパンのネタが多いので、つまらなければ、読み飛ばしてもらっても結構です。

急いで書いたため、文章がいろいろおかしいところがあるのですが、ヒマを見つけて直していきますので、ご容赦ください。

ちなみに、ゲド戦記は、まだ見にいけていません。

今週末行けるかなぁ・・来週末ぐらいかなぁ・・残念。

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June 17, 2006

正しい解釈について

これまで様々なアニメの解釈を行なってきました。
解釈にもいろいろあって、物語を理解するのに必要と思われる解釈もあれば、理論(フロイトやユングなどの精神分析系、構造分析などの文化人類学系など)を試す実験として行なった解釈もあり、なかには、遊び心だけで作った冗談のような解釈もあります。(例:作品批評の理論について)

解釈のポイントは、とにかく、ある視点でみれば、こういう理屈付けも可能なのではないか?という論理的一貫性です。

なかには、作者ですら絶対に考えてないことが明らかなケースでも、無理やりどこまで解釈可能か試した例もあります。

また、「エヴァンゲリオン」のように、監督自ら、「正解」や「真実」の存在を否定しているケースもあります。

「正解」がないと言われていても、なぜ人は(今回のケースでは私個人ですが)、解釈により論理的整合性を持った「真実」を探ろうとするのでしょうか?

現在公開中の映画「ダ・ヴィンチ・コード」は、典型的な、ひとつの謎の解釈です。(参照:ダ・ヴィンチ・コードのページ

キリストとマグダラのマリアは結婚していたのか?子供はいたのか?秘密結社は存在するのか?レオナルド・ダ・ヴィンチは作品にどういう意図を込めていたのか?そして、ルーヴルで起きた殺人事件の意味は?
これらの謎をすべて結びつけるとどういう解釈が生まれるのかが、作品のポイントとなっています。

それに対し、同じテンプル騎士団を扱ったミステリーである「フーコーの振り子」の著者であるウンベルト・エーコ(もともと記号論の学者です)は、人間の解釈の力そのものに疑問を呈しています。

テンプル騎士団の謎を扱った「フーコーの振り子」といい、黙示録のとおりに連続殺人事件が起こる「薔薇の名前」といい、その真のテーマは、ある事象に対して、無理やり論理的に「正しい」解釈を行なおうとする、人間の思考そのものを批判することを目指しているような気がします。

その意味で、数千年の謎を統一的に解釈しようとするダ・ヴィンチ・コードと、同じようなテーマの解釈を行なう「フーコーの振り子 」とは、同じく「謎」に対する「正しい解釈」をテーマとしながらも、正反対の視点にあるといえるでしょう。

数千年間に起きたAという事件(例:キリストの処刑)、その千年後に起きたBという事件(例:テンプル騎士団の処刑)、現代に起きたCという殺人事件に、論理的整合性を持った解釈を生むことは可能であるが、それが「真実」といえるのかどうか?

推理小説ふうに別な言い方をすると、同じ場所で黙示録に沿っておきたAという殺人事件とBという殺人事件と、Cという殺人事件。この3つは、関係するのかしないのか?(薔薇の名前はこっちの路線)

エーコの著書は、推理小説というジャンルそのものの否定を行ないながら、人間の論理的思考の限界を示しているような気がします。

私は、現実社会の解釈としては、ダ・ヴィンチ・コードのように、謎の一貫性を求めたり、私自身のアニメ解釈のように、作者が否定していてもとにかく一貫した論理性を作ろうとするものよりも、エーコのように、人間の解釈の限界性・・・つまり、いくら正しい解釈を作ろうと、所詮それは事実とは無関係なものでしかない、という認識の方が正しいと思います。

さて、数年前、ニューヨークのテロで、ビルが爆破されました。
あの事件は、どう解釈するのが正しいのでしょうか?

エーコは、ひとつの意見を発表しました。
それは、(よく覚えていないのですが)イスラム社会とキリスト社会の対決という解釈だったと思います。

私はがっかりしました。
あれほど、人間の「解釈」の限界を示し続けていたエーコが、いざ、現実の社会の解釈を行なったとたん、「イスラムVSキリスト教」もしくは「アラブ社会vs西洋文明社会」みたいな、とても多くくりな「解釈」しかできなかったことに、驚かされたのです。

イスラム教徒にしたって、アラブ世界にしたって、様々な人や立場があるだろうに、なぜ、ごく一部の組織の行為を、そこまで広げてひとくくりに解釈してしまえるのだろうか?と思いました。

日本の歴史でいうと、「なぜ日本は戦争したのか」という問いが同じような意味を持っていると思います。

そもそも、開戦当時における、「日本」とは誰なのか?
「日本」が戦争を開始したのか?その時の「日本」とは誰で、どのような「ロジック」で、戦争を開始したのか?

私自身が調べた範囲では、当時、誰ひとり、個人レベルでは、「ロジック」で戦争をやろうとした日本人はいませんでした。やっても負けることは誰でもわかっていました。それが、組織としての動きになった途端に、誰の意思でもない方向に動くことになりました。(戦争の発端参照)

このへんの解釈は、エーコよりも、むしろ、富野アニメの方が優れていると思います。
富野アニメでは、敵との戦いよりも、むしろ、仲間との内輪もめや、ライバル心が多く描かれます。
また、ひとつの国や民族が起こす戦いが、集団的なロジックではなく、個々人の様々な意識(嫉妬や、個人的な欲望や、利害など)の積み重ねにより、結果として、誰も意図していない方向に組織として展開していく様子がよくわかります。

これは、企業などで働いていると、誰でも実感できるのではないでしょうか?
ライバル会社打倒!などと考えている人はわずかで、ほとんどの場合、そこで人々の意思決定の原動力になっているのは、愛社精神などではなく、従業員ひとりひとりの、個人的な利害・損得・出世欲などです。

立派な企業が、時として意味不明な失敗を平気で行なうことの一因も、もしくはひとつの国家が失敗するときの一因も、同じことでしょう。

このように、組織が絡むと、「正しい解釈」は大変難しくなってきます。

「それはね・・でも、お父様のおっしゃりようは理想すぎます。組織そのもののもつ悪癖を知らなすぎます。」(小説版「ガンダムF91」より抜粋)

組織の意思決定をどのように解釈するか?

「組織と個人の軋轢を見上げる少年を通して人の意識の膠着性を見る」・・Zガンダムの企画書より

話かわって、富野アニメでは、常に、組織と個人のせめぎあいがテーマとなるのに、宮崎アニメでは、なぜ、組織はテーマとはならないのでしょうか?

宮崎アニメでは、主人公は、つねに、組織から外れています。
おそらく、宮崎駿監督のお父さんが、日本軍時代、上官に泣かれながらも戦争を拒否し、日本国内で工場長をやり、のうのうと、女遊びをしながら(?)暮らしていったことと関係があるような気がします。

日本国全体が、多数の死者を出しながら戦争の泥沼にはまり込み、地獄のような状態におかれるなかで、さっさとそれを放り出して、やりたいことをやっていた父親。

おそらく、宮崎監督にとって、父親の存在は、「戦争により一丸となった組織」のリアリティのなさを明示するとともに、組織から外れる生き方を示すヒントにもなっていたのではないでしょうか?

さて、話を戻しますが、人間の思考能力には限界があり、個人の集合体としての組織をイメージすることは難しいし、逆に、結果的には、組織としてどういう行動を行なったのかという理解の方が個人に目を向けるより、はるかに意味を持つ面は確かです。(戦争のように)・・・思考の欠陥①

もうひとつの人間の思考能力の特性として、無理やりにでもいくつかの事象に論理的な整合性をつけようという傾向があります。(ダ・ヴィンチ・コードや私のアニメ解釈のように)・・思考の欠陥②

この2つの思考の陥穽を通り抜け、なおかつ、事実の羅列以上に、事象の理解に有意義な貢献をなす理解というものができれば、それが、現状ではもっとも「正しい解釈」に近いのかなーと思いますが・・なかなか難しいですね。

たぶん、人間の思考の根本的な特徴に逆らうことになるのでしょう。

アニメ分析でも企業分析でも、小説や政治の分析でも、なんでもいいから、そういう解釈を見てみたいし、自分でもやってみたいのですが・・

経済学における、個人の欲望を関数化して、その集合体として市場の動きを捉える考え方など、アイデアとしては面白いのですが、あれはあれで現実を捉えるのには難しい方向に突っ走っている気がしますし・・

たぶん、個人に焦点をあてて組織を考えるという点では正しいのですが、無理やりにでも事象をモデル化して考えている点がまずいのかもしれません。(つまり、思考の欠陥①は数式モデルで突破したが、そのぶん、数式モデルで一般化され、思考の欠陥②にずっぽりとはまっているというか)

ロジックで謎を解明する伝統的な「推理小説」というジャンルや、事件の動機を重視する犯罪の「捜査方法」が、エーコが様々な作品を出した80年代から揺らぎ始め、かわりに「FBI心理分析官」や「羊たちの沈黙」のような、動機無しの連続殺人に注目が集まり、「解釈」よりも事実の結びつきの発掘(データマイニング)に焦点が移ったことは、90年代以降、(パソコンの高性能化に伴って)企業のマーケティング手法でデータマイニングが取り入れられていったこととも関係があるようなないような・・
ともかく、「犯罪」や「マーケティング」など現実社会においては、「解釈」では限界がある事象に対し、事実データの結びつきの方が、重要な分析結果をもたらす例がいろいろと登場してきているということでしょう。

ここまで書いていて思ったのですが、これ以上、解釈の理論を「解釈」してみても、あまり進展なさそうなので、今後は時々、アニメなり企業なりの具体例を用いながら、ひとつひとつ丹念に分析しながら、考えてみたいと思います。

(参考)今回取り上げた作品

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May 18, 2006

「もののけ姫」ページ開設

ここ、2~3週間、仕事が忙しく、一方では香港旅行などにも行っていたため、ブログ、ホームページともほとんど更新できませんでした。

香港では、いくつかガンダムネタを仕入れたため、それは別途報告したいと思います。(たいした話ではありませんが)

それはともかく、作成中の部分的なコンテンツのみアップしていた状態だった「もののけ姫」のページですが、とりあえず本日より、本公開とすることにしました。

本当は、「もののけ姫」のテレビ公開にあわせて作成したかったのですが・・

なぜ、「もののけ姫」のページ作成に手間取ったかというと、ひとつには、仕事が忙しくてという事情はあるのですが、もうひとつには、思ったより研究書やインタビュー記事が多く、整理しきれなかったという事情があります。

数ある宮崎アニメのなかでも、「もののけ姫」は、もっとも関連書籍が出版され、宮崎監督のインタビューが出回った作品でしょう。

最初のイメージでは、宮崎監督の発言をベースに、それへの反対意見や賛成意見など、いろいろな評論家や学者、ファンの意見、私自身の意見なども整理して載せたら面白いかなーと考えていたのですが、宮崎駿監督の一部の発言の整理だけで、かなり時間をくってしまいました。

現在アップしている内容は、当初想定していた「もののけ姫」ページのコンテンツイメージからすると、ごく一部です。

もっとも、「もののけ姫」の研究ページを読みたい人がそれほど多くいるとも思えないので、この後、どこまで真面目に作るかは、アクセス数を見ながらですが・・(その意味でもTV放映前に作りたかったんですよね・・一時的にアクセスが増えるので)

まあ、とりあえず今回は宮崎監督発言のなかの一部をまとめただけですが、そのうち、いろいろ突っ込んだネタや、個人的な評論・分析なども書いていきたいと思っておりますので、興味ある方はよろしくお願いします。

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February 14, 2006

ルパン三世のページの拡充

ここ2~3日かけて、ルパン三世のページのコンテンツをいろいろ増やしました。

ルパン三世のページの方では、とくに最終回「さらば愛しきルパンよ」を中心にすえています。宮崎駿監督による、映画化構想(百匹のラムダと闘う真剣なルパン!)も見たかったですねー。当然、ルパンはワルサーを一発も使わずに、この圧倒的な敵に立ち向かうはずだったでしょう・・

それから、カリオストロの城のページの方は、ようやく、何をテーマとしているのかわかるページになってきたと思います。

ようするに、クラリスの後日談では、どれも、クラリス王女説(?)をとっているのですが、シナリオ共同執筆者の山崎氏の構想に見られるように、クラリスはカリオストロ公国を捨てる可能性すらあるのです。

あとは、いよいよ、宮崎駿監督本人のコメントを分析していくメイン論文を残すのみとなりましたが、結構長文となりそうで、若干時間かかるかもしれません・・

さて、これらの最後の宮崎ルパンのコンテンツをまとめていて思うのですが、この時期のルパン(宮崎ルパン)の設定は、30代なかばなんですよね・・

ようするに、私も今同じ歳なんですよね。

私も、(宮崎版)ルパン三世のように、30もなかばになれば、金にも飽き、スリルにも飽き・・となりたかったところですが、残念ながらお金がなくて苦労して働いております。

それはともかく、30なかばにして、自分の楽しみよりも、子供(少女)を助けることに楽しみを見出しているのは、ようするに宮崎駿監督本人なんだと思います。

宮崎駿監督本人の一連の新ルパン批判にしても、キャラ設定の変更にしても、あまりにシンクロした結果というか・・

ともかく、宮崎ルパンのファンには楽しめるページになってきたと思います。

宮崎ルパンが嫌いな人には楽しめないページですが、これからいろいろコンテンツを追加する予定なので、宮崎ルパンが嫌いな人も宮崎ルパンが好きになるか、もしくは宮崎ルパン以外のコンテンツで楽しめるかするようなページにしたいと思います。

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February 06, 2006

ナウシカを考える辞典「風の谷について」アップ

本日は、ナウシカを考える辞典のページに、「風の谷について」をアップしました。

今までのコンテンツが、ナウシカの胸の話だけだったので、早いところもう少し固いテーマをアップしようという気持ちがありました(前回も結構固いテーマですが・・)

辞典ページに作成したコンテンツはこれで2つ目ですが、今後は「腐海」とか「王蟲」とか「神聖皇帝」とかいろいろ追加していって、それなりにボリュームがある、役立つ(?)ページにしたいなーと思っています。

もっとも、主要概念を一通り網羅するには、1年ぐらいかかるかもしれませんが・・

とりあえず、次回のアップは、ルパン3世のページの「カリオストロ論」を進めることを考えております。

ただし、書くのに難航すれば、ナウシカページのコンテンツを増やすか、富野作品ページのコンテンツを増やすかするかもしれません。

それにしても、同じ宮崎作品ページであっても、ナウシカページやルパンページの数分の一しかアクセスのないハウルページを見るにつけ、ハウルはナウシカやルパンに比較すると、随分マイナー(というか人気ない)作品だったのかなと考えてしまいます。

映画単体での観客動員数は多かったはずですが、魅力という点では弱かったのかもしれません。

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February 05, 2006

新ルパン最終回における宮崎駿監督の真意

おとといは金曜ロードショーでナウシカの映画をやっていました。私は、長らくナウシカはコミック版だけ見ていればいいやという気持ちになっており、DVDも買わず、映画を見るのは久しぶりだったのですが、改めてみると、いろいろ衝撃をうけました。

映画版は映画版の良さがあるというか、宮崎監督がナウシカで表現しようとしたもののうち、マンガでしか表現できなかったものと、アニメでしか表現できなかったものがそれぞれあるなーと思いました。

今後はそのへんを含めてナウシカのページを拡充したいと思います。

映画のテレビ放映とともに、ナウシカのページのアクセスは、一時的に数十倍に伸びたのですが、もっと内容あるページにしとけば良かったなぁと思いました。

さて、ホームページの進捗ですが、ルパン三世のページをいろいろアップしました。

カリオストロの城のページでは、ルパン・トーク・ルパンに収録されていたルパンとクラリスの再会譚の書き起こし。

ルパン3世のトップページの方では、主に新ルパン最終回における宮崎駿監督の意図についてです。

新ルパンにおける宮崎監督の意図は、新ルパンシリーズを憎んでいた宮崎駿監督が、最終回の監督になったことを利用して、見事に(?)新ルパンシリーズそのものを全否定するまでの経緯をおったものです。

宮崎監督「どんなドタバタでも、何か思い入れのタネがどこかにかくされた核としてないと、やっちゃいけないことも平気でやりだしてしまう。」

ルパンは時代に取り残されたは、宮崎駿監督が、新ルパンで最終回を製作するにあたり、なぜ自分の名前を隠したのかという意図についての本人の説明です。短い文章ですが、宮崎監督が書いた文章の中で、私が最も好きなもののひとつです。

宮崎監督「ルパンがほんとうに好きならとうに描くのをやめるべきですね。」

結局、ひとことで言うと、宮崎駿監督は、本当に、ルパンを愛し、シンクロしていたのだと思います。だからこそ、単なる人気コンテンツとしてルパンを作成することに耐えられなかったのでしょう。

また、気付いてみれば、新ルパンにおける宮崎作品では、ルパンは、常に世界平和のために、無償で、一度もワルサーを撃つことなく、誰一人殺すことなく戦っています。

これは、いわゆる「ルパン三世」の世界ではないことは、宮崎監督自身がよくわかっていたでしょう。

新ルパンにおける宮崎ルパンから、世界を救う少女であるナウシカまでは、密接につながっていることに改めて気付きました。

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February 01, 2006

風の谷のナウシカの基礎知識アップ

もともとルパン三世のページを今週はいろいろ更新する予定だったのですが、風の谷のナウシカのページのアクセスが最近増加していることに気付き、読む人がいる以上は内容あるページにしようと、取り急ぎ「風の谷のナウシカの基礎知識①」として、映画版とマンガ版の違い(製作過程を簡単にまとめたもの)をアップしました。

今週の金曜に日本テレビ系の金曜ロードショーで映画「風の谷のナウシカ」をやるようなので、それを見てナウシカに興味持った人が、インターネットを調べたとき、多少なりとも参考になればという意図です。

もっとも、当時宮崎監督が仕事がなかった点や、庵野監督が冬でも裸足にビーチサンダルで歩いていた点など、ナウシカの基礎知識というよりは、何か力点が偏った話になってしまいましたが・・

ともあれ、宮崎監督が世界的なビッグネームになってから、ナウシカの映画を見直すのも、いいものではないでしょうか?

当時の宮崎監督は失業状態だっただけでなく、いろいろ鬱屈していたようです。

その頃のインタビューなどみていても、個人名で評価されないことに対するあきらめや、やりきれなさみたいなものが感じられます。

大塚康生氏は、それを見て(?)、「ファンの皆さんは、この人にもっと作品を作らせろってテレビ局に言ってくれないと困る」みたく援護していたりします。

人間、努力すれば報われるものだなぁーなどと考えてしまいました。

ともかく、次回のアップは宮崎ルパンについてです。

謎の多い新ルパン最終回関連と、カリオストロの城関係の予定です。

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January 22, 2006

ルパン三世のページ開設

本日、宮崎アニメのページ内に、ルパン三世のページを開設しました。

ルパン三世は話も膨大にあり、ホームページもおそらくいっぱいあるのではないかと思うので、私は、特に宮崎作品をメインにしたページを作ろうと思います。

とりあえず最大のテーマは、カリオストロの城のページにおける論文「ルパンは、何故クラリスと再会できなかったか?」です。

ようするに「カリオストロの城」のあと、なぜ宮崎駿監督は続編を作らず、また、新ルパンの最終回を最後にルパンシリーズそのものから足を洗ってしまったのかということです。

そもそも名作「カリオストロの城」の内容は、本当にあれで良かったのかという、宮崎駿監督自身の悩みも含め、できるだけ宮崎駿監督の心理を丹念に追っていけたらなーと思っています。

論文そのものは、結構長くなりそうなので、とりあえず序論だけしかまだできていませんが、代わりにいろいろ資料も入れたので、(知らない方には)楽しめる内容になるのではないかと思います。

(もっとも、まだ内容はあまり無いページですが・・今後増えていきますのでよろしくお願いします)

なお、宮崎アニメページには、宮崎駿監督発言集として、「クラリスのような美少女は実在するか」もアップしましたので、あわせてお読みください。

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January 20, 2006

ナウシカを考える辞典アップ開始「ナウシカの胸の大きさについて」

ナウシカのページにおいて、新たなコンテンツとして、「ナウシカを考えるための辞典」というものを作成しました。

もともとは用語辞典を作るつもりだったのですが、いわゆる定義集みたいなものを作ること自体が、ナウシカの物語の思想にそぐわないような気がしたために、私の意見を書くことよりも、関連資料を集めて、読んだ人が人それぞれに考えるためのデータみたいな位置づけを目指そうと思います。

(といいながらも、自分の意見をいろいろ書いている気もしますが・・)

第一回は、「ナウシカの胸の大きさについて」です。

豊かなナウシカの世界を語るにあたり、よりによってそのネタか、という気は我ながらしたのですが・・

まあ、今後は結構難解で地味な(?)テーマが続出することになるため、最初ぐらいは読みやすいものをということで。

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January 17, 2006

ホームページの進捗(各種資料アップ)

今回は各種資料をアップしました。

まずはエヴァンゲリオンのページ及びスーパーロボット大戦のページの共有コンテンツとして、士牙剣さん提供によるクスハ主人公でのエヴァイベントを掲載しました。

士牙剣さん、ありがとうございます!

次に、宮崎アニメのページでは、風の谷のナウシカのページにおいて、庵野監督のクシャナ戦記製作を宮崎駿監督が拒絶したインタビューをアップしました。ものすごい拒絶っぷりが面白いです。

そういえば、エヴァンゲリオンのアスカの母親ネタがナウシカにおけるクシャナの母親ネタから来ているという指摘は当時から多かったものですが、クシャナ戦記を却下されてからエヴァンゲリオン製作に入るまでは時期的にほぼ連続していますね・・

それから、富野作品ページにおいては、イデオンのページのなかで、映画パンフより全文抜粋した「最終回のために」をアップしました。

最後にボトムズのページでもいろいろ準備していたのですが・・今回は間に合わず、また今度です。

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December 28, 2005

実在のナウシカについて

本日、ひさびさに風の谷のナウシカのページをアップしました。

ひとつは、ナウシカのファンなら皆すでに持っているだろうマンガ版の第一巻の宮崎監督の解説(ナウシカのこと)なのですが、あえてこれをアップしたのは、今回のメインであるエヴスリンの「ナウシカ」の解説になると思ったからです。(もちろん、アニメ版ナウシカしか知らない人もいるでしょうし)

エヴスリンの「ナウシカ」のアップは、辞典の一項目を写してまるまるアップという、若干問題ありそうな行為ではあるのですが、まあ、すでに絶版になっている書物でもあるので、いいのかな・・と(よくないかもしれませんが。出版社から抗議されたらやめます)

さて、エヴスリンの描いた実在のナウシカ(伝説の・・というべきか・・?)の物語は、正統なオデュッセウスの物語からみると単なる脇役なのですが、エヴスリンは、彼女に非常に思い入れをして、後に宮崎監督が風の谷のナウシカを作るきっかけとなりました。

このへん、エヴスリンがナウシカに着目した理由はよくわからないところもあるのですが、自分で調べた範囲はまた「実在のナウシカについて」という文でまとめます。

それはともかく、エヴスリンの「ナウシカ」は、宮崎アニメ全般を考える上でも非常に有効だと思っていまして、とくに、「カリオストロの城」を考えるさいには、重要だと思います。(宮崎監督が読んだのは、カリオストロ作成後らしいが)

このへんは、近日公開予定の「ルパン三世」(宮崎アニメページの中)ページでけっこう詳細に分析したいと思います。

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