December 20, 2007

ヱヴァンゲリヲン 新劇場版に補論1をアップ

数日前ですが、エヴァンゲリオンのページを更新しました。

ヱヴァンゲリヲン 新劇場版のページの、補論1です。

内容としては、エヴァンゲリオンに、エウレカセブンの京田監督がスタッフとして参加していることについてです。

スタッフ発表時から、興味ある組み合わせだったのですが、新劇場版のガイドブックを読むと、ほとんど画コンテは採用されなかったそうで、そのへんについて、いろいろ勝手な思いを書いてみました。

本来なら、京田監督の他の作品も見た上で書くべきなのですが、とりあえずエウレカセブン1本の感想をベースに書いているので、いろいろ間違いもあるかもしれません。

それはともかく、エヴァの新劇場版については、今後も、謎解きより評論・論考ベースでのコンテンツを中心に追加していこうかと思います。(映画完結後はまた分かりませんが)

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October 21, 2007

エヴァンゲリオンの新劇場版を見てきました!

エヴァンゲリオンの新劇場版を見てきました!って1ヶ月前の話題ですよね・・

私も、映画公開直後に見に行ったのですが、上期末ということもあり、仕事に忙殺され、ホームページやブログで感想のせる気持ちの余裕さえありませんでした・・

一ヶ月遅れの感想レポートです。

まず、率直に言って、面白かったです。

前半は予想以上にTVと近い展開でしたが、後半はかなり新しい味わいもあり、最後には、続編への期待でいっぱいになりました。

印象深かったのが、周囲の観客の動向。

終わった直後に、どよめくように、あちらこちらで皆感想を言い合っていました。映画直後にこれほど会話が盛り上がっている映画というのは見たことありません。近くにいたグループの一員は、「おもしれー!」など言って感銘うけておりました。

思い起こせば、前回の劇場版(10年前)は、終わった直後、皆「・・・・・」(無言)で疲れたように席を立っていたのと比較すると、すごい違いです。

1作ごとに盛り上がっていき、完結する頃には、前回のエヴァのように、というか、ガンダムの劇場版のように、社会的にブームになるといいなぁと思います。

今回の客層は、やはりまだコア層という感じでした。(年齢が20代~30代)

詳しい分析(というほどでもありませんが)は、ホームページに方にのせました。

新劇場版のページを参照ください。

なお、今後は私もブログ、ホームページの更新等、コンスタントに行えると思いますので、よろしくお願いします。(年度末はまた仕事で忙殺かもしれませんが・・)

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May 21, 2007

エヴァンゲリオンのページに、エヴァ本イメージアップ開始

エヴァンゲリオンのページを更新しました。

以前、出版目指して書いていた、エヴァ本の序論のアップです(エヴァンゲリオンの本の書籍化イメージ)。

本当は本の形でまとめたかったのですが、なかなかうまくまとまらず、

かつ、下手な文章を直すのにも疲れ、とりあえず断念しました。

なんといっても仕事疲れが・・・

一人で書いて読んでいてもしょうがないので、少しずつ、ホームページに

アップしていこうかと思います。

不思議なもので、ホームページ用文章だとものすごく早く書けるのですが、

これは書籍用だから文を上手く書かなくては・・と思った途端に筆がとまるんですよね・・

やはり、普段からいい加減に文章を書きなぐるのに慣れてしまうと、そういう書き方しかできなくなってしまうということかもしれません。

うまくまとまれば、それこそ、出版社に持ってくのですが・・(間をとって、同人誌という手もあるか)

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April 14, 2007

皆様のエヴァンゲリオンに裕さんの「気持ち悪い」の解釈を追加

エヴァンゲリオンのページの、みなさまのエヴァンゲリオンのコーナーに、裕さんから頂いた考察をアップしました。

THE END OF EVANGELION 「気持ち悪い」の真意について、です。

途中までの解釈は、スキゾかパラノに掲載されていた考えに近いのですが、それを映画版の最後まで適用させたのが、面白いところです。ありがとうございました!

もともと、2月なかばに頂いていた論考だったのですが、アップまでに2ヶ月近くかかってしまいました。

前回アップした、セルピムさんの論考を12月から手違いにより寝かせてしまっていた件ともあわせ、今後は、どうしたら迅速にホームページの更新をできるか、考えなくてはいけないと思います。

また、エヴァページの管理という面では、掲示板の様々な書き込みなども、きちんと整備しようとすると時間がかかり、結局挫折してしまうので、今後はとりあえず過去ログが読めるようにしたいと思います。

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April 08, 2007

エヴァンゲリオンのページにセルピムさんの論考アップ

エヴァンゲリオンのページにおいて、先週、セルピムさんから頂いた論考アスカ、心の不安をアップしました。セルピムさんには、これまでもエヴァ2の情報をはじめ、様々に協力いただいていますが、今回の論考もPSP版のエヴァ2ベースのアスカの心理についてです。

一見して気合の入り方がわかる力作ですが、私はまだPSP版エヴァ2のアスカシナリオをプレイしていないため、ちゃんと読んではいません。プレイするか、もしくはプレイしないことを決めてから、是非読ませていただこうと思っています。
(もっとも、PS2版のエヴァ2でさえ、十分やっていないのですが・・名探偵エヴァンゲリオンも遊びたいのですが、遊べていません・・。仕事後に気軽に遊べ、かつ子供にも邪魔されない(一緒に遊べる)アクションゲームばかりやっています・・)

セルピムさんからは、この論考のほかにも、エヴァの小説も送っていただきました。こちらは読ませていただいたのですが、アスカの記憶喪失の話で、とても面白く続きが楽しみです。こちらについては、こことは別のサイトに投稿されるそうですし、また、セルピムさん自身もホームページ立ち上げられたようなので、そのうちそちらに掲載されるのかもしれません。いずれ、セルピムさんのページにもリンクをはると思いますので、興味ある方は是非読んでいただければと思います。

ともあれ、最初に論考もらってから、こちらの手違い(メールが自動振り分けで迷惑メールコーナーへ・・)もあり、3ヶ月以上たってしまってからのアップとなり、セルピムさんには数度の再送信などお手数かけてしまいました。

アップ遅くなりましたが、論考ありがとうございました!

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March 21, 2007

ヱヴァンゲリヲン 新劇場のページ開設

とうとう、ヱヴァンゲリヲン 新劇場版のページを開設しました。

まだ、あまり内容はないのですが、じょじょに追加していきたいと思います。

ヱヴァンゲリヲン新劇場版の位置づけについての論文(というか感想)が今回のメインです。

なんだかんだと言っておりますが、要するに新作を(庵野監督を)応援したいという気持ちで書いております。

思いのほか長文になってしまいましたが、エヴァでそれなりに長い文章書くのも久しぶりです。どうのこうのいっても、庵野監督の所信表明を読んで、私自身、エヴァについて盛り上がってきたということでしょう。

残念なのは、今年の目標(というか、長年の悲願?)であったエヴァ本の制作について、ほぼ断念といった状態になっております。

これについてもいろいろ書きたいことはあるのですが、長くなるのでまた別途とします・・

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December 27, 2006

みなさまのエヴァンゲリオンに3点追加

最近頂いていたエヴァンゲリオンのご意見を、まとめて3点、エヴァンゲリオンのページのみなさまのエヴァンゲリオンのコーナーにアップしました。ご意見ありがとうございました!

ひとつめは、Albatrossさんの、日本神話との比較です。ふと気づいたのですが、エヴァンゲリオンの骨子というのは、日本神話の古事記やギリシアにあるオルフェウスの物語のように、死んでしまった妻を復活させようと願う夫の物語なんですよね。

エヴァの骨子のモチーフは人間にとって最も基本的な物語であることを思い出しました。

ふたつめは、DARKZONEさんの論考、綾波とシンジの結合シーンについてのものです。

これは、綾波とシンジとの結合シーンを、生命体にとっての退化と考え、結合を解いた状態がATフィールドの発生とみるものです。

たしかに、ATフィールドは「こころの壁」ですから、そう考える方がよさそうな気がします。

みっつめは、HN mefmetさんの論考、エヴァの動力についてです。

従来、S2機関や電力に目がいきがちだったエヴァの動力問題について、内臓器官の存在に注目した解釈です。

いわれてみれば、エヴァって内臓ありましたね・・

絵的な効果という意味もあるでしょうが、内蔵は内臓で意味を考えるのも、動力問題という意味では必要だと思いました。

以上、みなさま、興味深い論考ありがとうございました!

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October 13, 2006

ヤマト、ガンダム、宮崎アニメ、エヴァンゲリオン、ゲド戦記における人種問題2

さて、前回に引き続き、アニメの人種問題の話です。

しかし、その前に、前回頂いたご指摘をもとに、宇宙戦艦ヤマトについて、若干話を整理しなおします。

まず、私が書いた前回の趣旨は、

大和を復活させてヤマトとし、日本人だけでデスラーと戦うというストーリーは、太平洋戦争の敗戦コンプレックスからきているように読みとれる。

ただし、西崎氏も松本氏も、そういう話を最初から作ろうとしていたわけではない。

ということでした。

それに対し、ご指摘いただいたのは、

1.デスラーなどは、白人は白人でも、アメリカというより、ナチスからきている。

2.ヤマト以前、おもちゃにおいては「大和」が人気アイテムであった。

ということでした。

これらのご指摘を踏まえて考え直してみるに、大和を復活させてヤマトとするというアイデアは、反米というよりは、単におもちゃを「大和」にかこつけて売ろうという、スポンサーサイドの意向だったのかもしれません。

また、全員日本人というアイデアも、思想的なものよりは、当時のウルトラマンや戦隊物のイメージに近い(基本的に日本人のみで地球を守る)のかもしれません。(つまり、おもちゃ屋さん的には、いつもと同じ自然な流れ。)

また、白人vs日本人という構図も、反米というよりは、むしろ、アメリカではなく日本こそが打倒ナチスという、正義の味方の役割をやれたら、かっこよかったんだけどなー・・という、当時の少年達の気持ちが反映されているのかもしれません。

また、ヤマトの「特攻」についても、もともとヤマトは初期の企画書でもほぼ全滅設定だったため、大和の特攻とはあまり関係ないのかもしれません。

ついでに言うと、テレサやスターシャのキャラも、松本氏のいつもの作品と通じるものがあり(メーテルやら千年女王やら)、モデルは奥さんとの説もあることから、それほど白人コンプレックスというわけではないのかもしれませんが・・

このへんは、まだ実態はわからないところもありますが、以上のような可能性もあるという前提で、次に進みたいと思います。(つまり、私が前回書いたのとは逆に、ヤマトに敗戦コンプレックスや欧米コンプレックスをあまり見ない解釈もありうるということです)

さて、次はガンダムです。

宇宙戦艦ヤマトに少しだけ関わり、西崎氏と喧嘩別れした富野氏は、「ヤマトをつぶせ!」という一念で、「機動戦士ガンダム」を作ります。

(注:このへんの詳細は、ガンダムのホワイトベースはなぜヤマトより強いと言い切れるのか?を参照ください。)

ここで、富野氏は、あたかも、日本人だらけであるヤマトに対するアンチテーゼであるかのように(?)、主要キャラから日本人を外しました。

ハヤト・コバヤシは日系ですが、柔道やったり背が低かったりと、ステレオタイプのかっこわるい(?)日本人となっていました。

また、主人公のアムロも、人種的に曖昧にみせていました(初期資料には漢字ネーミング版もありましたが・・)

そして、主要人物には黒人(リュウ)もいれようとしました。

つまり、白人、黒人、東洋人など混成チームでホワイトベースのクルーを構成することで、宇宙世紀の未来を表現しようとしたわけです。

この辺の意識はヤマトとは大きく異なり、スタートレック並みです。

推測ですが、スタートレック並に人種問題に配慮することで、ヤマトの設定の古さを、明確にしようという意志があったのではないでしょうか?

ところが、アニメにおける黒人というものは、当時、表現上もめる面がありました。(具体的には、サイボーグ009における黒人表現が抗議を受けたりした)

そこで、スポンサーが黒人をクルーにすることを嫌がり、結局、彼(リュウ・ホセイ)は、黒人ではなくなりました。

もっとも、それまでの日本の作品で、人種問題をそこまで意識している作品はあまりないため、普通の人は誰も気にとめませんでした。

ところが、一人だけ、ホワイトベースに黒人がいないことに疑問を呈し、突っ込みを入れた人がいました。

現スタジオジブリの高畑勲氏です。

彼は、いくら009の問題があるとはいえ、スペース・コロニーの時代に黒人が不在なのはおかしいと、ガンダムの設定の不備を指摘しました。

打倒西崎氏、打倒スタジオジブリを目指す富野監督としては、おそらく、これは、気にしないわけにはいかない指摘だったのでしょう。

ガンダムというのは、基本的に、高畑氏や宮崎氏、富野氏などが製作した「アルプスの少女ハイジ」と同じで、白人の金髪のお姫様(お嬢様)ものなのですが(セイラにしろ、F91のヒロイン(名まえ度忘れ)にしろ、カテジナにしろ、ディアナ様にしろ)、富野監督は、とにかく黒人も出さなくてはと思い続けたようです。

ついに、Vガンダムでは念願かなって、とうとう主要メンバー複数人の色を黒くし、そのことを誇らしげに語っていました。その中には、ヒロイン(?)のシャクティも含まれていました(インド系のイメージかな・・)。

そして、ターンエーガンダムにいたり、主人公の色までも黒系にすることになりました。

こうして、ガンダムの人種問題は、20年もかけて、いちおう、一区切りついたのでした。

以下、続く・・

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October 07, 2006

ヤマト、ガンダム、宮崎アニメ、エヴァンゲリオン、ゲド戦記における人種問題1

以前から考えていたテーマとして、日本のアニメの人種問題があります。

とりあえず、宇宙戦艦ヤマト、機動戦士ガンダム、宮崎アニメ、エヴァンゲリオン、ゲド戦記といったところを辿っていきます。

なぜ、この諸作品を選ぶかというと、世に与えた影響も大きいし、また、その人種問題への関わりもそれぞれ特徴的だからです。

また、製作者が様々なに絡み合っている点も興味のひとつです。

以下、いつもなら各監督の発言やその出所を明示しながら書くところですが、苦労して書いた挙句に最近のように著作権問題でつつかれるのも面倒なだけなので、発言は特に明示せず、主旨だけ書きます。

まず、宇宙戦艦ヤマトです。

私は、以前、このブログで、宇宙戦艦ヤマトの人員構成(全員日本人・・)を例に引きながら、アメリカ産のスタートレックと比較して書いたことがあります。(参考:宇宙戦艦ヤマト復活について

敗戦コンプレックスをそのまま出したヤマト(日本人vs白人。大和の復活など)と、第二次大戦の勝者も敗者も、冷戦時代の敵対者も含めて皆で一致団結する未来を描いたスタートレック(白人のほか、日系人、黒人女性、ロシア系など敢えて意図的に主要メンバーとした)を比較したものでした。

また、このような作品をあの時代に生み出したロデンベリー(彼は、何と結婚式はわざわざ日本にやってきて神式で行なった!!)の卓見と、アメリカへの恨みつらみをアニメで表現した西崎氏(たしか親が海軍士官)とを比較したものでした。

要するに、いつまでも敗戦コンプレックスを持ち、日本人で固めて大和を復活させ、敵と破壊戦争を行なうという完全懲悪の物語しか作れなかった日本のアニメと、世界一致で(宇宙人も一人、強烈なバルカン人がいたか・・)問題解決に当たらせ、人種問題、思想問題など様々な社会問題を比喩的に描いたスタートレックを比較し、日本のアニメのレベルについて嘆いたものでした。

しかし、しばらく後で、どうも自分のこの認識は間違っていたことに気づきました。

西崎氏がヤマトを軍国調にもっていったという非難は、実は松本零士氏の発言をそのまま信用したものだったのですが、西崎氏の作った初期プロットを見る限り、実は、宇宙船の乗組員は世界各国の当番制であり、たまたまこの年が日本人当番だったのでした。

また、スターシャやテレサに該当する女性はいません。(企画書は、宇宙戦艦ヤマトとさらば宇宙戦艦ヤマトをあわせたような内容です)

また、船も、旧日本海軍の戦艦大和とは無関係です。ただ単に日本人が当番のときの船だったからヤマトと名づけたように読みとれます。

設定的には、世界各国から乗り組み員を集めるプランを持っていた西崎氏と、軍国ものにするのに反対だった松本氏のアイデアが組み合わさる過程で、どうして全員日本人の乗組員で、旧日本軍海軍の大和に乗るという設定になったのでしょうか?

ちょっとわかりませんが、テレビ局の意向なのか、他の誰かの意向なのか、議論の結果なのか・・

ともかく、

・西崎氏の持っていたアイデア:世界各国の乗組員の中で、たまたま日本が当番だった。船も旧海軍の大和とは無関係。ただし、音楽やデザインは旧日本海軍調にしたい。

・松本氏の持っていたアイデア:一人、核になる女性で金髪白人系(??)の美女をおきたい。軍国調はイヤだ。

の2つが変な風に合わさり、結果として、

★日本人ばかりのメンバーで旧日本海軍の大和を復活させて侵略者と戦い、悪いのは白人男性(色は青だったり緑だったり)、でも白人美人女性が女神役。

という、なんか日本の敗戦コンプレックスをそのまま出したかのように読みとれる話となったのでした。

ともかく、いろいろな要素が加わった結果として、地球規模の話であっても日本人しか出てこず、美女役だけ白人という、人種問題という観点からするとかなりである話になってしまいました。

以下、次回に続く・・・

(参考)西崎氏の企画および現状については、西崎義展の手記を参照ください。

西崎氏はまだ獄中かもしれません。しかし、西崎氏の果たした役割の大きさを考えると、もっと光が当たるべきではないでしょうか?

富野監督の言葉を見ても、宮崎監督の言葉を見ても、宇宙戦艦ヤマト=西崎氏です。

ヤマト=松本氏になってしまった現状ですが、ちょっと不公平な感じもするので、西崎作品に焦点をあてたページを作ろうかという気もしています。(ヤマトのみならず、YAMATO2520にも焦点をあてたような)

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September 22, 2006

エヴァンゲリオンの新作製作について

すでにご存知のことと思いますが、エヴァの新作(?)が製作されます。

もしご存知でない方はこちらをどうぞ(ガイナックスのエヴァ新作情報ページです)

以前から、掲示板に頂いていた書き込みなどで、噂は聞いてはいたのですが、本当にやるとは・・

もっとも、いつかはやるような気もしていましたが。

個人的には、庵野監督の、完全な新作アニメを見たかったという思いはあるのですが、庵野監督の事情、ガイナックスの事情、日本アニメ関連産業の事情など、多々あるのでしょう・・

結局、この10年間、作品的にも商業的にも、エヴァを越えるインパクトを持ったアニメは現われませんでしたし・・

とりあえず、10年近くエヴァンゲリオンのホームページをやってきた身としては、素直に(?)期待したいと思います。この10年間、庵野監督がやってきたことが、どのように反映されることになるのか・・

また、個人的には、今度こそ、エヴァ本を一冊まるまる書きたいなーという気がしています。

前回は、書籍への掲載は1論文だけで終わってしまったので。

ただし、これはそう簡単にはいかないでしょうから、いろいろ方法を検討していきたいと思います。

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June 17, 2006

正しい解釈について

これまで様々なアニメの解釈を行なってきました。
解釈にもいろいろあって、物語を理解するのに必要と思われる解釈もあれば、理論(フロイトやユングなどの精神分析系、構造分析などの文化人類学系など)を試す実験として行なった解釈もあり、なかには、遊び心だけで作った冗談のような解釈もあります。(例:作品批評の理論について)

解釈のポイントは、とにかく、ある視点でみれば、こういう理屈付けも可能なのではないか?という論理的一貫性です。

なかには、作者ですら絶対に考えてないことが明らかなケースでも、無理やりどこまで解釈可能か試した例もあります。

また、「エヴァンゲリオン」のように、監督自ら、「正解」や「真実」の存在を否定しているケースもあります。

「正解」がないと言われていても、なぜ人は(今回のケースでは私個人ですが)、解釈により論理的整合性を持った「真実」を探ろうとするのでしょうか?

現在公開中の映画「ダ・ヴィンチ・コード」は、典型的な、ひとつの謎の解釈です。(参照:ダ・ヴィンチ・コードのページ

キリストとマグダラのマリアは結婚していたのか?子供はいたのか?秘密結社は存在するのか?レオナルド・ダ・ヴィンチは作品にどういう意図を込めていたのか?そして、ルーヴルで起きた殺人事件の意味は?
これらの謎をすべて結びつけるとどういう解釈が生まれるのかが、作品のポイントとなっています。

それに対し、同じテンプル騎士団を扱ったミステリーである「フーコーの振り子」の著者であるウンベルト・エーコ(もともと記号論の学者です)は、人間の解釈の力そのものに疑問を呈しています。

テンプル騎士団の謎を扱った「フーコーの振り子」といい、黙示録のとおりに連続殺人事件が起こる「薔薇の名前」といい、その真のテーマは、ある事象に対して、無理やり論理的に「正しい」解釈を行なおうとする、人間の思考そのものを批判することを目指しているような気がします。

その意味で、数千年の謎を統一的に解釈しようとするダ・ヴィンチ・コードと、同じようなテーマの解釈を行なう「フーコーの振り子 」とは、同じく「謎」に対する「正しい解釈」をテーマとしながらも、正反対の視点にあるといえるでしょう。

数千年間に起きたAという事件(例:キリストの処刑)、その千年後に起きたBという事件(例:テンプル騎士団の処刑)、現代に起きたCという殺人事件に、論理的整合性を持った解釈を生むことは可能であるが、それが「真実」といえるのかどうか?

推理小説ふうに別な言い方をすると、同じ場所で黙示録に沿っておきたAという殺人事件とBという殺人事件と、Cという殺人事件。この3つは、関係するのかしないのか?(薔薇の名前はこっちの路線)

エーコの著書は、推理小説というジャンルそのものの否定を行ないながら、人間の論理的思考の限界を示しているような気がします。

私は、現実社会の解釈としては、ダ・ヴィンチ・コードのように、謎の一貫性を求めたり、私自身のアニメ解釈のように、作者が否定していてもとにかく一貫した論理性を作ろうとするものよりも、エーコのように、人間の解釈の限界性・・・つまり、いくら正しい解釈を作ろうと、所詮それは事実とは無関係なものでしかない、という認識の方が正しいと思います。

さて、数年前、ニューヨークのテロで、ビルが爆破されました。
あの事件は、どう解釈するのが正しいのでしょうか?

エーコは、ひとつの意見を発表しました。
それは、(よく覚えていないのですが)イスラム社会とキリスト社会の対決という解釈だったと思います。

私はがっかりしました。
あれほど、人間の「解釈」の限界を示し続けていたエーコが、いざ、現実の社会の解釈を行なったとたん、「イスラムVSキリスト教」もしくは「アラブ社会vs西洋文明社会」みたいな、とても多くくりな「解釈」しかできなかったことに、驚かされたのです。

イスラム教徒にしたって、アラブ世界にしたって、様々な人や立場があるだろうに、なぜ、ごく一部の組織の行為を、そこまで広げてひとくくりに解釈してしまえるのだろうか?と思いました。

日本の歴史でいうと、「なぜ日本は戦争したのか」という問いが同じような意味を持っていると思います。

そもそも、開戦当時における、「日本」とは誰なのか?
「日本」が戦争を開始したのか?その時の「日本」とは誰で、どのような「ロジック」で、戦争を開始したのか?

私自身が調べた範囲では、当時、誰ひとり、個人レベルでは、「ロジック」で戦争をやろうとした日本人はいませんでした。やっても負けることは誰でもわかっていました。それが、組織としての動きになった途端に、誰の意思でもない方向に動くことになりました。(戦争の発端参照)

このへんの解釈は、エーコよりも、むしろ、富野アニメの方が優れていると思います。
富野アニメでは、敵との戦いよりも、むしろ、仲間との内輪もめや、ライバル心が多く描かれます。
また、ひとつの国や民族が起こす戦いが、集団的なロジックではなく、個々人の様々な意識(嫉妬や、個人的な欲望や、利害など)の積み重ねにより、結果として、誰も意図していない方向に組織として展開していく様子がよくわかります。

これは、企業などで働いていると、誰でも実感できるのではないでしょうか?
ライバル会社打倒!などと考えている人はわずかで、ほとんどの場合、そこで人々の意思決定の原動力になっているのは、愛社精神などではなく、従業員ひとりひとりの、個人的な利害・損得・出世欲などです。

立派な企業が、時として意味不明な失敗を平気で行なうことの一因も、もしくはひとつの国家が失敗するときの一因も、同じことでしょう。

このように、組織が絡むと、「正しい解釈」は大変難しくなってきます。

「それはね・・でも、お父様のおっしゃりようは理想すぎます。組織そのもののもつ悪癖を知らなすぎます。」(小説版「ガンダムF91」より抜粋)

組織の意思決定をどのように解釈するか?

「組織と個人の軋轢を見上げる少年を通して人の意識の膠着性を見る」・・Zガンダムの企画書より

話かわって、富野アニメでは、常に、組織と個人のせめぎあいがテーマとなるのに、宮崎アニメでは、なぜ、組織はテーマとはならないのでしょうか?

宮崎アニメでは、主人公は、つねに、組織から外れています。
おそらく、宮崎駿監督のお父さんが、日本軍時代、上官に泣かれながらも戦争を拒否し、日本国内で工場長をやり、のうのうと、女遊びをしながら(?)暮らしていったことと関係があるような気がします。

日本国全体が、多数の死者を出しながら戦争の泥沼にはまり込み、地獄のような状態におかれるなかで、さっさとそれを放り出して、やりたいことをやっていた父親。

おそらく、宮崎監督にとって、父親の存在は、「戦争により一丸となった組織」のリアリティのなさを明示するとともに、組織から外れる生き方を示すヒントにもなっていたのではないでしょうか?

さて、話を戻しますが、人間の思考能力には限界があり、個人の集合体としての組織をイメージすることは難しいし、逆に、結果的には、組織としてどういう行動を行なったのかという理解の方が個人に目を向けるより、はるかに意味を持つ面は確かです。(戦争のように)・・・思考の欠陥①

もうひとつの人間の思考能力の特性として、無理やりにでもいくつかの事象に論理的な整合性をつけようという傾向があります。(ダ・ヴィンチ・コードや私のアニメ解釈のように)・・思考の欠陥②

この2つの思考の陥穽を通り抜け、なおかつ、事実の羅列以上に、事象の理解に有意義な貢献をなす理解というものができれば、それが、現状ではもっとも「正しい解釈」に近いのかなーと思いますが・・なかなか難しいですね。

たぶん、人間の思考の根本的な特徴に逆らうことになるのでしょう。

アニメ分析でも企業分析でも、小説や政治の分析でも、なんでもいいから、そういう解釈を見てみたいし、自分でもやってみたいのですが・・

経済学における、個人の欲望を関数化して、その集合体として市場の動きを捉える考え方など、アイデアとしては面白いのですが、あれはあれで現実を捉えるのには難しい方向に突っ走っている気がしますし・・

たぶん、個人に焦点をあてて組織を考えるという点では正しいのですが、無理やりにでも事象をモデル化して考えている点がまずいのかもしれません。(つまり、思考の欠陥①は数式モデルで突破したが、そのぶん、数式モデルで一般化され、思考の欠陥②にずっぽりとはまっているというか)

ロジックで謎を解明する伝統的な「推理小説」というジャンルや、事件の動機を重視する犯罪の「捜査方法」が、エーコが様々な作品を出した80年代から揺らぎ始め、かわりに「FBI心理分析官」や「羊たちの沈黙」のような、動機無しの連続殺人に注目が集まり、「解釈」よりも事実の結びつきの発掘(データマイニング)に焦点が移ったことは、90年代以降、(パソコンの高性能化に伴って)企業のマーケティング手法でデータマイニングが取り入れられていったこととも関係があるようなないような・・
ともかく、「犯罪」や「マーケティング」など現実社会においては、「解釈」では限界がある事象に対し、事実データの結びつきの方が、重要な分析結果をもたらす例がいろいろと登場してきているということでしょう。

ここまで書いていて思ったのですが、これ以上、解釈の理論を「解釈」してみても、あまり進展なさそうなので、今後は時々、アニメなり企業なりの具体例を用いながら、ひとつひとつ丹念に分析しながら、考えてみたいと思います。

(参考)今回取り上げた作品

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April 30, 2006

エヴァンゲリオンとダ・ヴィンチ・コード

ダ・ヴィンチ・コードのページをいくつか更新しました。

どうもダ・ヴィンチ・コードのネタをはじめてからこのブログのアクセスが激減しはじめたのですが(ただ単に更新しないからかな?)、今回はダ・ヴィンチ・コードとエヴァンゲリオンはかなり似た話なのだという話をひとつ。

ダ・ヴィンチ・コードとエヴァンゲリオンは、かなり似ていて、道具立てとしては、ほぼ同じようなものなのです。

エヴァンゲリオンでは、聖杯伝説のうち、ロンギヌスの槍をメインに使っています。聖杯伝説では、通常、槍と聖杯とはセットで登場するものです。ロンギヌスの槍が、処刑後のキリストを刺したもので、その血を受けたのが聖杯ですから。

ダ・ヴィンチ・コードでは、槍よりは聖杯そのものに焦点をあてています。

エヴァンゲリオンでは、秘密結社的存在として、ゼーレが登場します。これは、死海文書とからみ、脚本版ではエッセネ派という言葉も見えます。

ダ・ヴィンチ・コードでは、死海文書ではなく、ほぼ同時期に見つかった、ナグ・ハマディ文書を使っています。秘密結社としては、テンプル騎士団~シオン修道会です。

エヴァンゲリオンでは、アダム・エヴァという旧約聖書の世界をベースに、ロンギヌスの槍をはじめとする新約聖書の世界を組み合わせています。特徴的なのは、通常は意識されないリリスをもってきたところです。

ダ・ヴィンチ・コードでは、新訳聖書ベースの話なのですが、特徴的なのは、マグダラのマリアを前面に持ってきたところです。

つまり、エヴァンゲリオンにしろ、ダ・ヴィンチ・コードにしろ、どちらもキリストの物語と聖杯伝説をベースに、20世紀になって発見された文書、それを信じる秘密結社、宗教の陰で闇に葬られた女性・・といった構成要素で作られています。

ただ、エヴァンゲリオンの方は、それらの整合性よりも、インパクトや印象重視なのに対して(ナグハマディ文書ではなく死海文書を選んだのは、日本語としてそっちの方が語感がかっこいいからでしょう)、ダ・ヴィンチ・コードは、ナグハマディ文書(マリアの福音書など)と秘密結社の流れ(レオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」など)を上手く組み合わせることで、「これが真実のキリストだ!」みたいなことを主張することに成功して、世界的な話題となりました。

まあ、個人的には、アスカの名前がマリアだったら、テーマとしてもほとんど同じような気もしてくるので、GAINAXがダ・ヴィンチ・コードを盗作として訴えてみても面白かったと思います。(負けるでしょうが、話題作りとして)

ともかく、ダ・ヴィンチ・コードとエヴァンゲリオンのページの共通コンテンツとして、この二つの作品が、ほぼ同じ道具立てを使いながら、微妙に異なる選択していることで、作品として、どういう違いが生じたのか、簡単な分析をするページを作ってみようかと思います。

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April 22, 2006

エヴァンゲリオンのページ拡充

エヴァンゲリオンのページですが、yjisanさんが投稿してくださった、「新世紀エヴァンゲリオンに見るフィリップ・K・ディック的手法」をアップしました。(皆様のエヴァンゲリオンのコーナーです)。

ありがとうございました!

ディックは、私もまだ代表作を全て読んだわけではないので、ちゃんと読まなくてはと思いました。

あと、真実は君と共にあるの方では、3点ほど追加しました。

それぞれ、今まで掲示板で頂いた意見をまとめています。

①24話に出てくる、首のない像みたいなものについて

②コミック版エヴァンゲリオンについて

③ハリウッド版エヴァンゲリオンについて

とくに、コミック版エヴァンゲリオンについての書き込みは、結構な分量になっています。

 

エヴァンゲリオンは10周年ですが、なかなか話題はつきなさそうですね。

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April 02, 2006

エヴァンゲリオンのナレッジマネージメント2

今までエヴァ掲示板に書き込んでもらった膨大な情報を、どのようにまとめるか?

このような意識で前に書いたのが、ナレッジマネージメントを活用したエヴァの謎解きでした。

このときは、企業の情報システムから戦時中の日本軍の話までいろいろ書いた上で、結局ブログ「真実は君とともにある」を立ち上げたのですが・・

正直いって、最初の議題である「零号機の魂」について、過去7~8年の掲示板情報を収集、整理するのに非常に時間がかかりました。

掲示板ソフトによってデータの保存形式もバラバラで、コメントがどれに紐づいているのかを判断するのにも一苦労だったものもあり・・

結局、ブログを立ち上げたものの、一回やった後は、二度とやれませんでした・・

→何か、いろいろな企業で、非常によくある失敗ですよね。苦労してナレッジ・システム作っても使われないという。情報収集で失敗するケースも整理で失敗するケースも、活用のインターフェースで失敗するケースもありますが、私の場合は整理で失敗ですね。

そこで、考え方を変え、これも企業向けナレッジのセオリー通りに、とにかく、過去の情報はおいておいて、新しく出てきた情報にだけ目を向けることにしました。

具体的には、今現在掲示板で話題になっているテーマをキーとして、過去数ヶ月~1年の間の関連事項だけ引っ張るようにしたのです。

これは結構簡単な作業なので、項目数が簡単に追加できました。

先日追加したエヴァ2関連のほか、

・ラストの後人々はどうなったか

・あのBGMは?

・ゲンドウがリツコにいった言葉は?

など3項目を昨日追加しました。

ここ数ヶ月~1年の間の書き込みなので、情報自体は多いわけではないのですが、それでも、多量の情報を死蔵させていた状態から見ると、随分良くなったのではないかと思います。

今後はこの方法で最近の掲示板情報をブログに整理していくのをまずは最低限の目標にしたいと思います。

ただし、「零号機の魂」など見ていても、量が多いと結局整理できなくなるので、項目によっては、もう一度内容的な再整理をかける必要があるかもしれません。

たとえば、「零号機の魂」がいくら意見が百出したといったところで、所詮は、候補は数人に絞られるので、候補者別に意見をまとめるだけでも、随分みやすくなると思います。

ともあれ、今後はどんどん追加していく予定なので、生まれ変わったブログ真実は君とともにあるをよろしくお願いします。(背景も変えました。一応、選択肢の中からエヴァを意識したものを選んだつもり・・)

また、整理についてご意見などあればください。

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March 27, 2006

エヴァンゲリオン2のページ拡充

もう2日ほどたってしまいましたが、エヴァンゲリオン2のページを拡充しました。

今回の変更のメインは2つあって、ひとつは私のエヴァンゲリオン2のプレイ記録を載せてみたこと。(2001年生まれの4歳児と遊ぶエヴァンゲリオン2

これは、ものすごくレベルの低いプレイなので、エヴァ2やったことない人が、どんなゲームか知るための参考にでもなればいいなという意味と、エヴァ2は変化が多そうなので、多少なりとも記録をとっとけば、後で並べると面白いかなという意味です。

もし、皆さんのプレイなどもメモ程度で良いので送ってもらえれば、いろいろ並べて見られるようにしたいと思いますので、気が向いた方はよろしくお願いします。

さて、今回は、子供と一緒に遊んだ例なのですが、書いていて感慨深いものがありました。

エヴァンゲリオンで盛り上がっていたころ、私はまだ20代。加持やミサトよりもずっと(?)若く、シンジたちの世代にすら感情移入して見ていました。

それが・・いつの間にか加持やミサトの年齢を大きく越え、気づいてみれば、2001年生まれの子供を持つ立場に・・・

ウーム、自分は実はゲンドウやユイに近い年齢だったのか・・と今更ながらに思うと共に、ふと気づくと、今度は、いつの間にか冬月みたいな近い年齢になっていたりして・・と、時の経つ早さには呆然とさせられます。

さて、今回のアップのもうひとつのポイントは、セルビムさんやタブリスさんが掲示板で去年行っていたレベルの高い議論を、ブログ「真実は君とともにある!」の方でまとめて紹介してみたところです。

本当は、もうちょっと整理して並べれば良かったと思います。もしかして時系列にすらなっていないかもしれません。

このように掲示板で行われていた議論をブログにまとめるという作業は、去年は1件だけやって力尽きてしまったので(零号機の魂)、今後は、あんまり気合入れず、とりあえず昨年の話題を大雑把に項目別にまとめてブログに載せていこうと思います。

さて、エヴァ2ページ拡充のなかで、基本資料の一つとして、庵野監督のエヴァ2インタビュー(君達の知らないエヴァンゲリオンのDVDに入っていたもの)も書き取ってアップしようと思っていたのですが、DVDがすぐ見つからなかったので、また今度別のタイミングにアップしたいと思います。

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February 21, 2006

エヴァページ更新(セルビムさん提供の用語集など)

昨日、エヴァンゲリオンのページを更新しました。

メインは、エヴァ2関連でも大変お世話になった、セルビムさん作成の用語集です。

あれだけの量だと、相当ご苦労されたと思います。ありがとうございました!!

私も以前に用語集を作ろうとしたのですが、結局、「ロンギヌスの槍」一項目で挫折した経緯があります。(エヴァページの一番下の方に残骸が残っています・・)

あと、今回、ほかにも一部更新しました。ゲンドウのリツコへの言葉関係の部分なのですが、以前2度ほど掲示板に書いた内容なので、別に目新しい話は出していません。

ただ、ちょっと留意したことがあり、昔の映画パンフになんて書いてあったかなんて、最近のファンは知らないだろうなーと思い、リツコの声優の山口さんのコメントを全文(というほど長くないが)抜粋しました。

さすがに10年もたつ作品ですからね・・当時の常識(?)を前提にした文章を書いてはいけないと思いました。

さて、たまたま本屋でニュータイプ誌を見たら、エヴァ本の付録とZガンダム特集だったので、思わず買ってしまいました。エヴァ本の方は、いろいろな関係者へのインタビューがのっており、それなりに興味深いのですが、やはり庵野監督のインタビューなどあれば面白かったと思います。

それはともかく、10年前のアニメ(エヴァンゲリオン)と、20年前のアニメ(Zガンダム)を表紙に持ってくるアニメ誌というのも、どういうものでしょうか?高品質な作品はこの10年多々ありましたが、ブームをおこすような突き抜けた作品はなかったと言っていいかもしれません。

語り継がれる作品は、10年に1作ぐらいしか生まれないということなのかもしれませんが、やはり、最近の製作者の方々にも、もっと頑張って欲しいものです。

まあ、10年以上前のアニメのページばかり作り、エヴァ本が付録になっている時のみ雑誌を購入する私にとやかく言う資格はないのですが・・

とりあえず、次回のホームページ更新はガンダム系かルパン系かナウシカになると思います。(数日中)

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January 17, 2006

ホームページの進捗(各種資料アップ)

今回は各種資料をアップしました。

まずはエヴァンゲリオンのページ及びスーパーロボット大戦のページの共有コンテンツとして、士牙剣さん提供によるクスハ主人公でのエヴァイベントを掲載しました。

士牙剣さん、ありがとうございます!

次に、宮崎アニメのページでは、風の谷のナウシカのページにおいて、庵野監督のクシャナ戦記製作を宮崎駿監督が拒絶したインタビューをアップしました。ものすごい拒絶っぷりが面白いです。

そういえば、エヴァンゲリオンのアスカの母親ネタがナウシカにおけるクシャナの母親ネタから来ているという指摘は当時から多かったものですが、クシャナ戦記を却下されてからエヴァンゲリオン製作に入るまでは時期的にほぼ連続していますね・・

それから、富野作品ページにおいては、イデオンのページのなかで、映画パンフより全文抜粋した「最終回のために」をアップしました。

最後にボトムズのページでもいろいろ準備していたのですが・・今回は間に合わず、また今度です。

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January 08, 2006

エヴァンゲリオン「終局の続き」の動画バージョン

庵野監督が作成したエヴァンゲリオンのCDドラマ「終局の続き(仮題)」ですが、動画バージョンがあるのを、ピエロさんに教わりました。

もともとはアメリカのファンが数年前に(?)作ったようなのですが、これは凄いです!

あのCDドラマの魅力を存分に引き出しています。

物語そのものは10年近く前に作成されたものですが、庵野監督自身による秀逸な(ばからしい?)ストーリーとあいまって、久々に感銘うけました。

アメリカのGoogleのvideoに登録されているので、是非見てください。なんと、庵野監督本人まで出演(?)させています。

http://video.google.com/videoplay?docid=561267206269213819&q=evangelion

この作品の魅力について、いろいろ書きたいのですが、ネタバレになってしまうのでやめときます。CDドラマを聴いたことはない人はもちろん、所有している人も必見です。

これが登場したことで、私がのろのろとやっていた、CDドラマの書き起こし作業は中止し、リンクを貼ることに切りかえます。

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January 05, 2006

エヴァページの進捗について

昨日、エヴァンゲリオンのページの投稿コーナー、皆様のエヴァンゲリオンにおいて、「おかえりなさい。綾波レイ」さんと、メルキオールさんの投稿をアップしました。

「おかえりなさい。綾波レイ」さんの投稿はセカンドインパクトの日付についてで、以前掲示板にも同じ趣旨で書き込まれていたのですが、今回いただいた文章の方が、ずっとわかりやすくまとめられており、面白いです。

メルキオールさんからは以前にも数回いただいておりますが、今回はエヴァへの総括的なものです。エヴァを「少年の成長」「旅立ち」という観点でまとめたもので、ある意味、とても素直な見方だと思います。私自身、謎解きから入ったもので、あまり素直な感想など書いていないので、少々反省しました。

お二人の投稿はどちらも興味深いものです。考えてみれば、去年のエヴァページは、多くの人の投稿のおかげでもっていたような気がします(とくにセルビムさんとタブリスさんには掲示板でも大活躍いただき、ありがとうございました)。

一方、私のエヴァコンテンツといえば・・あまり気合の入ったものは作らずに整備ばかりしていた気がします。

その他、エヴァページに関しては反省が多いのですが、それはまた次回以降書きます。まあ、おととしまでの4年間の放置状態に比べればよほどマシなのですが・・

今年は、いろいろと案もありますので、去年よりはもう少しアクティブにページを更新できるのではないかと思っています。

それにしても、10年たってもこれだけのパワーを持ち続けるエヴァンゲリオンという作品は、やはり凄いものだなーと思います。

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December 04, 2005

もものけ姫vsエヴァンゲリオン

本日、もののけ姫vsエヴァンゲリオンというテーマで、宮崎駿監督と庵野監督の発言集をアップしました。リンク:もののけ姫vsエヴァンゲリオン

2人の出会いの頃(ナウシカ)から、千と千尋の頃までを含みます。(約17年・・)

もちろん、メインはもののけ姫とエヴァンゲリオンの2作品が映画公開された97年の夏となります。

当時は、宮崎駿監督の厳しいコメント(3分しか観てない・・とか)や、庵野監督の宮崎監督及び作品批判が目立っていた感がありましたが、長い目で見てみると、とても深い絆で結ばれているというか、宮崎監督が本当に庵野監督のことを気にかけている様子がありありと感じ取れます。

その意味で、以前アップした富野監督によるエヴァ批判とは随分ちがうものです。

また、最初は、「宮崎さんとまた仕事をしていたい」、と言っていた新入りの庵野監督が、エヴァで成功し、ジブリの後継者として、「僕を欲しいでしょうね、宮さんは」と偉く(?)なっていく姿も読み取れて、面白いものです。

それに対して宮崎監督の作品が「もののけ姫」以降、気合が戻ってきたのは、やはり、弟子にはまだまだ負けられん!という気持ちからでしょう。

今回は基本的に発言集という形でまとめましたが、別途、作品論というレベルで比較したいと思います。(それは、マンガ版ナウシカとエヴァンゲリオンの比較になると思いますが)

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October 13, 2005

ニュータイプ11月号のエヴァンゲリオン超特大特別付録について

私は、基本的にアニメ誌はあまり読まないのですが、ちくわさんに教えられて、今月のニュータイプ誌は買いました。

放送10周年超特大特別付録として、これまでのニュータイプ誌における、エヴァンゲリオンの記事が全てまとまって一冊になっているからです(148P!)

正確には、本当に全ての記事が載っているわけではなく、例えば私のエヴァページの資料集のトップにのせている庵野×貞本対談などはのっていないのですが(何故のせなかったのかな?あそこから始まったんだろうに・・)、それにしても、すごい内容です。

全て時系列に載せているため、ひとつひとつのイベント(テレビや映画やエヴァ2など)それぞれの時期で、どう話題になっていたのか、何が注目されていたのかなどが、追体験できます。

さらに、当時の広告がそのまま掲載されているのが面白いです。「UCCエヴ缶」なんてあったなー、映画行ったとき全種類買っている人が結構いたけど、ちゃんと飲んだんだろうか?とか、「鋼鉄のガールフレンド」の必要動作環境はインテル486DX4?ハードディスク80MB?あの頃のPCはそんなにチープな環境だったっけ?当時としては結構スペックが要求されていたソフトだった記憶があるけど・・とか、いろいろなことを思い出しました。

資料的な価値も高いと思います。

私は当時ホームページを作るさいに、ニュータイプ誌のバックナンバーは一通りチェックしたつもりだったのですが、思ったより抜けがあったことに気づきました。

また、途中でエヴァページ更新停止してからは、アニメ誌は一切読まなかったので、こんな記事があったのか・・と今更ながら見てしまうページも多数ありました。

もっとも、ニュータイプ誌の記事自体が98年2月号の次が2003年1月号なんですね。私だけでなく、世の中全般に、エヴァブームが冷却した時期だったのでしょう。

映画とビデオ版完結の後は、2003年にリニューアルDVD発売とエヴァ2が登場するまで、あまり話題にのぼらなかったということでしょうから・・

もっとも、2003年のエヴァンゲリオン・リニューアルプロジェクト(DVDとエヴァ2)よりも、2005年のCRエヴァンゲリオン(パチンコ)の方が世間的に与えたインパクトがずっと大きそうなのは皮肉ですが・・

ニュータイプ誌では、CRエヴァンゲリオンの特集はやってないみたいですね。パチンコ誌とタイアップして特集組んでみても面白かったと思うのですが・・あ、パチンコは年齢制限があるのか(^^)

ニュータイプ誌の対象読者のメインは中高生でしょうから、パチンコ特集はできないのかもしれません。それで最終ページにPS2版のCRエヴァンゲリオンの広告だけ載せているんでしょうか・・

しかし・・もう10年になるんですね・・。まさか放映から10年たってまで、自分がエヴァページの更新続けたり、1日1000人以上のアクセスがあるページとして存続するとは思いもしませんでした。

当時は、シンジやアスカの立場に身をおいて視聴しながらも、「実はミサトやリツコ、カジの方が年齢近いな・・」などと思っていたのが、いつの間にかあっさり越えてしまいましたし・・

息子が2001年に誕生したときも感慨深いものがありました。子供はちょうどシンジの世代か・・ということは自分はゲンドウ?

「男だったらシンジ、女だったらレイ」にしなくてはいけないのではないかとか真面目に考えたものです。もっとも、男なのはとっくにわかっていましたが・・

それから、エヴァは最後の世紀末物語だったという面も忘れてはならないと思います。

もともと、昔「ノストラダムスの大予言」というものがはやって、1999年に大災害が起きて世界が滅ぶとかいう話があり、それをベースに多数の物語が作られました。

「北斗の拳」なんかもそうですが、20世紀の最後に天変地異が起きて世界が滅び、その後に救世主が登場するという・・シンちゃんもその系譜なんですよね。しかし、1999年にしろ、2000年にしろ、何もおきませんでしたねー。まあ、本当にシトに出てこられても、核戦争が起きても困ってしまうのですが、それにしても、あっけなくすぎたものです。

あと、エヴァを作ったとき、庵野監督は35歳だったんですね。立派なものです。その年齢に近づきつつある自分の業績とは比較になりません。しかし、自分のことを棚にあげて言わせてもらえば、庵野監督は非常に才能ある人(天才)だと思うので、現在はもうちょっと頑張って欲しいものだと思います。庵野監督のエヴァ以降の作品については別論しようと思いますが・・

以上、脈絡なく思いついたことを書いてきましたが、エヴァンゲリオンが好きな方であれば、今月のニュータイプ誌(の付録)はお薦めです。是非見てください。きっと、昔からのファンであれば、いろいろな思いが頭をよぎるでしょうし、最近のファンであれば、エヴァブームのいきさつが時系列でわかるのではないかと思います。

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October 02, 2005

エヴァ新コーナー「真実は君と共にある」開設。第一回は零号機の魂。

以前ここにも書きましたように(エヴァンゲリオンにおけるナレッジマネージメント)、過去10年に渡る(いや、ホームページ開設後だから7~8年かな)エヴァンゲリオンの謎に関する議論が、毎回そのままで終わってしまっている点を反省し、とうとう昨日、新コーナーを開設しました。

題名も、「真実は君と共にある」です。

人それぞれ、エヴァの真実に近づくために役立ててもらえれば、という趣旨です。

第一回は、「零号機の魂」についての過去の議論を集めてみました。

ブログを利用しているので、いろいろ意見を追加できるようになっています。

しかし、量があまりにも多く、何も整理せずに、ただ抜粋して集約するだけで力つきてしまいました。

これでは、読むのも一苦労でしょう。何が論点なのかも把握できません。もう一段階、今までの議論を抽象化してまとめる作業を行わないと、後から見ても役に立たないかもしれません。

知識や議論の再活用というのも、なかなか難しいし、手間もかかるものだと実感しました。

また、一方では、本当はもっといろいろな議論があったにも関わらず、掲示板管理の不手際で、大量にデータを失ってしまったことの損失の大きさにも、改めて気づきました。

いま昔の掲示板を読み返してみると、自分ひとりで考えているより、はるかに広範な視点で情報が出ているのですが・・もったいないことをしました。

それはともかく、今後は、「零号機の魂」以外にも、掲示板で何度か出ている質問はどんどんまとめ、エヴァのFAQとして整理できればなーと思います。

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August 23, 2005

富野語録名作選アップ開始とエヴァンゲリオンの功績

昨日の話ですが、富野作品ページにおいて、富野語録名作選というコーナーを開始しました。

ご存知のように、富野キャラのセリフや、富野監督の言葉というのは、面白いものです。その膨大な発言を、なんかしら切り口を見つけて抜粋してまとめようというコーナーで、第一回はエヴァンゲリオン関係の話をまとめました。

なぜ、ガンダムでもイデオンでも人生観でもなくエヴァンゲリオンかというと、私がエヴァページやっているせいもあるのですが、それ以上に、富野監督のエヴァ批判はかなり強烈で面白いと思ったからです。

普通、他人の作品見て、「病院に入れ」とまで言うものでしょうか??

なぜそこまで言うのかという解釈はまた別途まとめる予定ですが、ひとつ、はっきりしていることは、富野監督にしろ、宮崎監督にしろ、エヴァンゲリオンが刺激となって、明らかに作品に力強さが戻ったことです。

富野監督は、エヴァの前はVガンダムだったし、宮崎監督も、あのままならアカデミー賞とることはできなかったでしょう。

2人の作品に力が満ちだしたのは、間違いなく、エヴァンゲリオンへのライバル心です。あんなのに負けてたまるか!という。宮崎監督に関していえば、エヴァの庵野監督がジブリ批判をいろいろしていたことへの反発もあったでしょう。「もののけ姫」は、どうみても気合はいりすぎてます。

(この二人だけでなく、エヴァ後の日本アニメというは、一時的に異常に高レベルな作品が続出したと思います。おそらく、多くのクリエイターが刺激を受けたことと、スポンサー側がエヴァみたいなヒットを期待したせいもあるでしょう。)

その意味で、エヴァンゲリオンには、本当は、富野監督も宮崎監督も感謝しているのではないでしょうか?口では、これ以上ないくらいの悪口しか言っていませんが・・

先日、「逆襲のシャア」関する文章の中で、35歳すぎると能力は衰えるし・・・という話を書きましたが、富野監督や宮崎監督を見ていると、歳をとっても、高レベルな力を出す秘訣は、「若造なんかに負けるか!」みたいな怒りの力が大きい気がします。

富野監督のエヴァ批判は、高齢化社会の日本において、定年迎えた人々の人生の指針として、よき参考になるのではないでしょうか?(って、なるわけないか・・)

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August 08, 2005

ナレッジマネージメントを活用したエヴァの謎解き

エヴァンゲリオンとは、ある意味で知恵をどう扱うかという話です。人間に知恵がついてしまった結果として、自己存在に悩んだり、いっそ、人類の心を補完しようとしたり。

実際、「知」の扱いとは難しいものです。全然違う次元の話ですが、企業では、社員の知をうまく統合して成果をあげるために、「ナレッジマネージメント」ということをやっております。

このナレッジマネージメントというのも千差万別で、「こういうことは誰々に聞け」というレベルの知もあれば、「数万事例の中から最も的確な事例を探せ」というようや例まであります。

私がしばらく前にちょっと関わったのは、後者のシステムの仕事でした。

一般には、誰かが何かを探すときは、インターネットの検索ツールを使えば、結構見つかるものです。Googleとか、Yahooとか。

しかし、時間制限のある環境下でリアルタイムに正解を探そうとすれば、検索ツールのみならず、事前に回答事例を整備しておく必要もあります。そして、それは、ものすごい工数をくう作業なのです。とても人手ではできないので、データマイニングなどの技術を利用して、回答事例を整備しておく必要があります。そういう準備があってこそ、検索ツールと組み合わせることで、一瞬で的確な事例が発見できるのです。

ところが、これは、現在の技術では、まだまだ難しい面があります。一例として、皆さんが使っているパソコンについて何か技術的に知りたいことがあった場合、自分のパソコンのメーカーや、他のメーカーのWEBで検索してみてください。正答率や、回答の使いやすさに随分差があることに気づくはずです。

もっと小規模な事例整理でさえ、うまく機能させるのはとても難しいことです。情報管理する人の手間、情報を提供する人のモチベーション、情報を更新する速度など・・

このようなナレッジマネージメントについて調べていて面白かったのが、太平洋戦争時の日本とアメリカの例です。日本では、現状に関する様々な事例が全て無視され、唯一の権威は、日露戦争時のマニュアルでした。なんといっても、日本が勝利を得た方程式だから、これ以上のマニュアルはないというわけです。日本は、陸海とも、基本的には最後まで日露戦争のときのマニュアルに基づいて太平洋戦争を戦ったのでした。陸軍であれば銃剣を用いての夜襲。海軍であれば、戦艦による決戦。陸軍は、戦車にすら、歩兵の支援以上の価値を認めなかったそうで、速度もその範囲にとどめたそうです。結果として、いまだにハワイの陸軍博物館には、日本製の戦車と、アメリカ製の戦車を並べて誇らしげにおいてあります。

それに比べ、米国の特に海兵隊は、一度の上陸作戦ごとに戦いを分析し、マニュアルを作成していったといいます。結果として、一度戦うごとに、どんどん成功確立があがっていくわけです。

(参考)このへんの経緯について興味ある方は、以下の本などをどうぞ。

もっとも、日本側を一方的に否定はできないでしょう。たしかに、ロシアに勝った実績ある戦法なのですから。しかし、時代の変化、兵器の進歩などを考慮し、誰かが、優れた知見と権限を持って、本来なら書き換えねばならなかったものでした。

そういうわけで、企業においても、歴史においても、ナレッジ(知)の管理というのはとても難しいものです。どのタイミングで変更するか、誰が責任もつのか、どのように情報提供してもらうか、などなど・・

と、他人事のように(仕事ネタではあるが)書いてきましたが、ふと考えてみるに、企業へのシステム導入はともかく、自分のホームページはどうだろうと思いました。

特に、一番歴史が長く議論も多いエヴァンゲリオンのページでは、何度も何度も、同じテーマについて様々な議論が行われています。知の提供という意味では、とてもうまくまわっているのです。

それらの議論(知)をわかりやすくまとめ、初めて見る人が、今までの知の集積に触れられるようにすることこそが、管理人の役割ではないか?

そう反省することが多い昨今です。

しかし、エヴァ解釈の議論の分類といっても、なかなか難しいものです。掲示板では、分類にはならないし・・。最初考えたのは、掲示板でみていて、同一テーマの議論がでてきたら、その内容を専用カテゴリページに転記するという方法でした。しかし、こちらの手間が面倒なので、できれば直接書いてもらいたいなー・・しかし、自由にかいてもらうと、掲示板と変わらなくなりそうだしなー・・。テーマごとに掲示板作るのも手間が大変そうだし・・

と悩んだ結果、最近思いついたのが、ブログのシステムです。掲示板でよく議論される内容については、引用してブログにこちらで転記します。ブログなら、新ネタが勝手に乱立することもないので整備しやすいし、意見がある人は、掲示板に書くのみならず、ブログに直接意見を追記してもらってもいい。掲示板に書かれたものは、こちらで重複チェックをして、新しい見解だと思えば、ブログ側に転記する・・

どこまでうまくいくかわかりませんが、管理人としての手間を最小限にしながらも、多くの人から頂く意見をまとめてみやすく整理することができそうな気がします。

ということで、近々、エヴァの謎解き(私の解釈ではダメ、もしくはヌケていて、掲示板で何度も議論されているテーマ)に特化したページ(システムはブログ利用)を立ち上げようと思いはじめました。

題名は、加持の最後の名セリフ

「葛城、真実は君と共にある。迷わず進んでくれ。もう一度逢えることがあったら、8年前に云えなかった言葉を口にするよ。」

からとろうと思います。

ずばり、名前は 「真実は君と共にある」です。

読まれる方が、自分なりの真実を見つけられるように、という願いを込めた(?)コーナーとなるでしょう。

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August 04, 2005

羽田空港の停電とネルフ施設の保守について


 羽田空港の管制システムがダウンした停電トラブルで、国土交通省の対策本部は2日、非常用電源に切り替わったのに、警報音や警告表示で知らせる監視装置がブレーカー交換工事の影響で正常に機能しなかったため、空港職員も気付かず、約50分後にバッテリー切れで停電を招いたことを明らかにした。
 空港施設側の停電が管制に影響を与えたのは初めて。同省は、工事方法や職員らの連絡に不備がなかったか、当時の状況を詳しく調べている。
 ダイヤは終日乱れ、22便が目的地を変更し、50便が欠航。338便が遅れ、約8万3000人が影響を受けた。
 国交省によると、東京電力が供給する電気は、同省東京空港事務所内の受配電施設を通った後、停電を避けるための「無停電電源装置」(CVCF)を経て分電盤からレーダーなどに供給される。(河北新報社記事より)

結局は工事ミスだったようですが、私もおととい飛行機で戻ったところだったので、他人事とは思えない気持ちでした。(私は成田空港ですが)

私も以前の職場で、24時間365日運用のシステムや設備の管理をしていた時期もあり、なんとなく状況は想像できます。(運用規模は約20万人/月程度であり、人命に関わるようなものではありませんでしたが。)

このへんの問題は、エヴァンゲリオンのNERVの施設の電力停止事件などで大体カバーされています。

リツコ「(停電後)7分たっても復旧しないなんて」

通常は、重要業務というのは無停電電源装置などを利用して行うものです。

私が以前やっていたシステムでは、メインのサーバーなどはやはり無停電電源装置を備えた場所においておきました。

しかし!大規模な運用を行っていると、1箇所の施設でまかないきれるものではありません。数百人規模の人間が作業する場所は、複数箇所に分散することでリスクを回避していました。

ところが、通常のビルなどは、年に一回の法定点検などがあり、事故でなくても停電はさけられません。それに対し、サーバー向けに用意されている予備電源ユニットなどは、緊急用でわずかしかもちません。

冬月「生き残っている電源を全てマギとセントラルドグマの維持にまわせ」

という感じです。そういう場所では仕方なく電源車など用意したものです。

その場合、当然、冷房などに電力はまわせませんから、夏場などは悲惨なことになります。

冬月「(バケツに足を入れ)ぬるいな」

ゲンドウ「ああ・・」

という事態になります。

さて、法定点検以外では、どのようなタイミングで停電は起きるのでしょうか。

加持「赤木が実験でもミスったのかな?」

リツコ「あ、あたしじゃないわよ・・」

今回の羽田は単純な人的ミスだったようですが、なかなか保全作業も難しいものです。深夜にやればいいようなものですが、深夜や休日作業というのは、何かあったとき、対応できる人員も限られます。特に、24時間業務となるといろいろ制約が多く、本当に大規模メンテのときは、365日運用といいながらもシステムメンテ日を平日に作ることになります。平日の昼間なら、関係する人材や会社含めて万全の体制がとれるからです。

さて、システムはダウンを避けるために、可能な限り2重化を施します。

ミサト「正・副・予備の3系統。それが同時に落ちるなんて考えられないわ」

しかし、どうしても2重化できない部分や、いろいろ工夫してもダメな部分もあるものです。

最悪の場合、その一箇所のために、全てが止まります。

その場合、復旧作業となるわけですが、業務稼働中であれば、一刻を争う問題となります。

問題が単純ではなく、切り分け不可能な場合には、パニック状態になります。

「ダメです。反応ありません。」

ゲンドウ「続けろ。もう一度108からやり直せ。」

このように、もう一度、気合を入れて再起動からやり直すしかない状況というのもあるものです。

そのさい、システムで最後の頼みの綱は、「気合」です。

シンジ「動け!動け!動いてよ!お願いだから動いてよ!!」

アナウンス「エヴァ、再起動!!!」

マヤ「まさか・・そんな・・シンクロ率が400%を越えています!」

気合を入れて再起動をかける。20万円のパソコンから数千万円のサーバーまで、コンピューターを動かす最後の秘訣はこれにつきると、私は今でも本気で信じています。

時田「まさか、『科学』と『人の心』があの化け物を抑えるとでも・・本気ですか?」

リツコ「ええ、もちろんですわ」

時田「人の心などという、あいまいなものに頼っているから、ネルフは先のような暴走を許すのですよ。」

まったくその通りです。

私はリツコ派ですが、たぶん、システム管理/設備管理には向いていないのでしょう。今後、2度とシステム管理/設備管理の仕事はやらないと思います。

さて、話を羽田空港に戻します。

 監視装置が復旧し配電障害による非常用バッテリーへの切り替え警告が正常に表示されたのに、工事関係者が監視員への連絡を怠り、監視員は誤表示と思い込み対応しなかったことも分かった。
 国交省の岩崎貞二航空局長は記者会見し「工事のやり方や連絡体制に不備があった。空の安全を提供する使命を果たせなかったことをおわびしたい」と謝罪した。(河北新報社)

羽田空港のように、人命が関係する施設では、人の心などという曖昧なものに左右されない保全システムを組み立てるよう、今回を機に再度全面チェックしてほしいものです。

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July 24, 2005

関東地獄地震からエヴァンゲリオンへ

(注)誤解を与えるといけないので最初に書いておきますが、今回は永井豪作品がエヴァンゲリオンに与えた影響の一部のメモみたいなものです。考察というより、単なる紹介レベルです。

昨日は、関東で地震があり、震度5を記録しました。

体感的には、私の知っている地震の中では、一番大きかったのですが、しょせん短い間であり、まさかその後あれほど交通機関がストップするとは思いませんでした。

もし、平日だったら、ホテルでは収容しきれないでしょうから、会社にとまったり、野宿するしかない人が多数現れたのではないでしょうか?

さて、日本では関東大震災や阪神大震災など、多くの方が犠牲となった地震が一定周期で起きており、あんまりいい加減なこと言うのもはばかられるのですが、一応、このブログの性質上、アニメ、マンガ系の話題で書いておきます。

小説「日本沈没」の影響かもしれませんが、大地震をテーマにしたマンガというは時々あり、さいとうたかお氏の「サバイバル」は、その時のための実用マンガ(?)だったと思いますし、最近だと川口かいじ氏が連載していますが、こちらはちゃんと読んでないので、語れません。

このブログの方向性から言って、一応ひとこと語る必要があるのが、永井豪の「バイオレンス・ジャック」です。

これは、「関東地獄地震」という大地震が徹底的に繰り返し関東を襲った結果、完全に見放され無法地帯となった関東を舞台としたマンガです。

子供の頃読んだときには、関東地獄地震で関東が崩壊するさまは、本当に怖かったものでした。特に、小説版の第一巻は、背筋が寒くなるほど怖いものでした。(マンガ嫌いな方は是非小説版を。永井豪作品の、実兄永井泰宇氏による小説版は、どれも下手すると原作以上です)。

崩壊した関東をメインに話は進むのですが、少年雑誌に連載時と青年雑誌に連載時で雰囲気は変わるものの、永井マンガの主要人物総出演のマンガです(マジンガーZからキューティーハニーから、あばしり一家から、学園退屈男から、その他もろもろ)。もっとも、パターンは同じで、永井マンガの主人公達が現れ、悪者にしいたげられ、最後には謎の巨人バイオレンス・ジャックがでてきてジャックナイフで悪者をやっつけて去っていく・・という話が数十冊続きます。

正直言って、あまりに同じパターンが長くて全巻まともに読むのはおすすめできないレベルなのですが、それでもこの作品が注目されるのは、名作のマンガ版「デビルマン」(テレビ版とはあんまり関係ありません)の続編という位置づけになっているからです。

もっとも、本人がそう気づいたのは連載終了3ヶ月前とのことですが・・

どういうことかというと、「デビルマン」のラストというのは、人類が全滅し、デーモン族の争いとなり、最後、デビルマンも死に、飛鳥了(実は大天使で、デビルマンの敵で、元親友・・これじゃ意味不明か)と2人で夜の海辺にたたずむシーンで終わります。

(これが、後に、映画エヴァンゲリオンのラストシーンの夜の海辺のシーンの元ネタと言われるわけですが・・。実際、エヴァンンゲリオンに対する永井作品の影響は強いものがあります。

庵野監督は、最初、映画のアスカの2号機が量産機にやられるシーンも、ロンギヌスの槍で2号機が生首さされて突き上げられるシーンにするつもりだったそうですが、あまりにもデビルマンと同じ(ヒロインが槍で生首さされて突き上げられる)展開なので、やめたそうです。もし実行していたら、映画のエヴァンゲリオンは一層、凄絶な映画となっていたでしょう。)

そして、「デビルマン」を描いたことで、永井豪の精神も深く傷つき、その直後に描いた「バイオレンス・ジャック」が、崩壊した関東を舞台にした復興(本当に復興するのはラスト1~2ページですが)となります。

そして、ラストで、「バイオレンス・ジャック」とは「デビルマン」の物語の続編であり、「関東」とは、実は親友である不動明(デビルマン)を殺害した飛鳥了が、彼を復活させるために作り上げた土地であり、謎の巨人バイオレンス・ジャックとは不動明=デビルマンの復活した姿に他ならないことがわかります。

(以上、意味不明かもしれませんが・・気にしないでください。気になる人は、借りるか、デビルマン全編+バイオレンス・ジャックの最初(少年誌版)と最後(青年誌版)だけ買うかしましょう。永井豪ワールドが好きで好きでたまらない人は、迷わず全部買ってください。)

最後は、2人の男(というか、大天使と悪魔というか)の戦っているんだか愛し合っている姿なのかわからないような感じで終わるのですが、このイメージも、一方ではシンジとカヲルの姿にかさなり、一方ではシンジとアスカのラストの首絞めに重なります。

以上、紹介が長くなりましたが、興味深い点は、

・永井豪は、世界の滅亡の物語を書いた反動で、今度は、続けて世界の復興の物語を描いたこと

・その物語の中で、「デビルマン」で世界を滅ぼして傷ついた飛鳥了が、その自責の念に耐えかねてまた世界を復興させ、デビルマン=不動明が自分を倒せる場を提供するという、精神分析的な(?)話になっているということ。

つまり、作者の内面と登場人物の内面がシンクロしているところがあるところです。

そして、それらの点は、そのまま、エヴァンゲリオンにおいて、シンジが、人類補完計画のあとに、再度世界を願うのと、話の構造(パターン)としては同じであると言うこと。

また、エヴァンゲリオンのラストは、「デビルマン」のラストの夜の海辺の砂浜のシーンと、「バイオレンス・ジャック」のラストの首をしめあう(ちょっとうろ覚えです)愛する二人のシーンが合体しているようにも見えるということ。

そもそも、対立する2種族(人類とデーモン族)といい、キリスト教のモチーフの多用といい、エヴァンゲリオンが永井豪作品から受けた影響は数知れずあります。

このへんは、エヴァページ開設当初から分析予定でしたが、まだ作ってなかったので、今回のブログはそのためのメモの一部ということにして、本格的な分析はエヴァページの方でやろうと思います。(今回は永井豪作品の一部に偏りすぎてしまいました。本格的なエヴァとの比較分析はマジンサーガがメインになります)

(参考)一番左は、等身大デビルマン38万円だそうです(TV版みたいです)。凄いですねー。欲しくはないけど見たいものです。次のデビルマンのマンガは、読んでない方は読んでおきましょう(バージョンはどれでもいいと思います。写真は文庫版)。次がバイオレンス・ジャック(少年誌のもの)、最後が青年誌のものです。このへんはバージョンもいろいろあります。永井豪作品が好きな方向けです。(文庫もあったと思います。少年誌-青年誌両バージョンを統合してたかも)。最後のは、ソフビ版のデビルマンですが、凄い迫力ですねー。

デビルマン等身大フィギュア デビルマン(1) バイオレンスジャック 〔豪華愛蔵版〕全7巻 永井豪&ダイナミックプロ/作 バイオレンスジャック (ゴラクコミックス) 全31巻 永井豪作 

デピルマン(ソフビ完成品)

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July 21, 2005

アナハイム・レポート1(日本航空とZガンダムとエヴァの保守について)

今回より、ビジネスがらみの真面目な問題をアナハイム・レポートとしてお届けします。
とりあえず、第一回は、日本航空の一連の品質低下問題です。

私は、たまたま、本業ではないのですが、家電系、コンピューター系、エネルギー業界系の3つの保守関連のプロジェクトに参加したことがあります。

故障したら、修理するより新品に変えてしまった方が安上がりな商品から、故障したら大惨事間違いなしの業界までです。数千円の商品から数億円の設備までといったところでしょうか。

さて、3つのプロジェクトで学んだことのひとつは、これほど異なる業界であっても、共通項もあることです。

この問題を考えるのにあたり、面白いと思うのはZガンダムの保守です。

富野監督は、もともと、後方支援の重要性を示したかったそうで、それがガンダムでのマチルダさんの登場になったり、Zガンダムで整備担当の方が頻繁に出てくる展開になったようです。

さて、Zガンダムは、ご存知のように(?)、カミーユが設計図を書きます。作るのはアナハイム社ですが、運転はカミーユ。保守(メンテナンス)は、カミーユと仲の良い整備担当者がやっています。

これは、結構すごいことなのです。設計-製造-運転-保守の連携が理想的にできています。
カミーユは、マシンにわずかな異常があった場合ですら、どこを調べればいいか、すぐわかるでしょう。
設計ミスなのか、製造ミスなのか、整備のミスなのかすらわかると思います。

普通の業界では、こうはいきません。設計者は設計しかしらず、製造は製造だけ、運転は運転だけで、保守は保守は保守だけです。
そこで、様々なトラブルが発生しますし、それが何に起因するのかもわかりません。
大事故は、間違いなくこういう過程の中で生じます。

一例をあげますと、昨年、六本木ヒルズの回転扉で子供が事故にあいましたが、あのケースでは、設計のドイツの会社はすでに倒産しており、運用会社は、扉を豪華にみせようといろいろ細工して、設計仕様の2倍の重量にしていたそうです。

別な例をあげますと、パソコンなんかは、以前はなかなか壊れるものではありませんでしたが、現在はよく壊れます。初期不良も多いです。昔は、国内メーカーが設計からサポートまで一手にやっていましたが、現在は海外でモジュール買って組み立てているので、どうしても、昔のようにはいきません。

ようするに、一般論として、設計-製造-運転-保守の間の、連携がよければよいほど、品質は高いといえますが、現状の日本では、このへんは難しくなっています。全て国内でやると人件費がかかって、価格競争で負けますので・・

さて、ここで、もうひとつ問題があります。
国内でやると人件費がかかる場合、普通は海外に委託します。
しかし、その場合、きっちりマニュアル化しないと、意図が伝わりません。
当然、マニュアル化しますが、そのさい、国内だったら、ある種の職人気質に任せていたものが、そういうわけにはいかなくなります。

このへんの問題は、エヴァンゲリオン7話「人の作りしもの」がよく描けています。

時田 「制御不能に陥り、暴走を許す危険極まりない決戦兵器よりは、より安全だと思いますよ。制御できない兵器など、ヒステリーを起こした女性と同じですよ。手に負えません。」

リツコ 「その為のパイロットとテクノロジーです。」・・注:ここで、パイロットは整備員に読み替えてください。

時田 「まさか、科学と人の心があの化け物を抑えるとでも・・。本気ですか?」

リツコ 「ええ、もちろんですわ。」

時田 「人の心などという、あいまいなものに頼っているから、ネルフは先の様な暴走を許すのですよ。」 

つまり、機械を制御するのに、「人の心」という曖昧なものに頼るかどうかです。

整備員の職人気質にかけるべきか・・それとも、そんな曖昧なものに頼らず、マニュアル化して、その指示どおりにチェックすることを期待するべきか・・これは難しい問題です。
少なくとも、海外に出すのであれば、マニュアル化は大事な要素です。

さて、ようやく日本航空の品質問題です。
実態はいろいろあるのでしょうが、私は、最近たまたま見た昔の一連の報道についてのみ語ります。

1985年 日航機墜落
1986年 修理ミスをおこない、事故の原因を作ったボーイング社に対し、職員は派遣して製造を監視することを決定。

「あの事故はメーカーを盲信していたために起きた」というのが日航の戒めだ。(日経1986年7月28日)

同じく1986年 整備員に対し、機体への責任を持たせます。
以下、日経1986年の2月3日記事より抜粋

(今までは)効率第一の考え方から、特定の機体に特定の整備士をあてはめるのではなく、交代制勤務の中で、各チームが日常の整備作業をこなす方式をとっている。これだと各チームとも特定の機体に縛られる必要はないが、逆に“流れ作業”の中で整備の現場と機体の間のつながりが薄れがち。

(今回は)一機ごとに整備責任者を指定、所属させ、日常の整備に対する責任感を強め“愛機精神”を高揚させるのがねらい。ジャンボ機墜落で失われた信頼回復をねらい、パイロットと現場整備士との間の信頼関係樹立にも役立たせる。世界でも例のない制度だという。「これが私の愛機だ」の精神を徹底させるという。
 昨年八月のジャンボ機墜落事故の原因が、五十三年のしりもち事故に対するボーイング社の後部圧力隔壁修理ミスだったことから、将来地上や飛行中機体に異常が起きても特定の整備士が受け持ち機のクセなどを熟知していれば、事故防止につながるとの期待も込められている。

つまり、日本航空は、事故の教訓を生かし、翌年には以下の2点を行ったわけです。
①設計、製造であるボーイング社との連携強化
②整備士の「人の心」を重視することで、機体と、運転手、保守の連携を強化

その結果、1990年のボーイング社の調査では、日本航空は、
・定時出発率
・空中エンジン停止率(低いほど良い)
でどちらも、世界最高の成績をあげ、整備能力世界一という評価を得ます。

さて、その後、何があったのかはよく知りませんが、
2000年 更なる安全のために、複数人での整備に切り替えます

 一人の整備士が同じ機体に付いている二つのエンジンを同時に整備する場合、同じ間違いをし、最悪の場合、空中で二つが同時に停止する可能性がある。 新しい整備方式は、一人の整備士が機体の左右にあるエンジン関連の整備作業を、左と右の両方で同時に行うことをやめ、同時に行う場合でも左と右で別々の整備士が作業する 日航の担当者は「これまでに比べ一歩踏み込んだヒューマンエラー対策といえる。これでさらに安全性を高めたい」と話している。

これは、安全対策から行われたものですが、14年前の哲学とは根本的に違います。
人を、ミスするものとしてとらえ、整備員の「人の心」にかけることをやめています。

時田 「人の心などという、あいまいなものに頼っているから、ネルフは先の様な暴走を許すのですよ。」 

という感じでしょうか。

おそらく、これは、海外依存率の増加の影響もあると思います。

航空業界では、整備部門の海外への外注化が進む。機体を海外で整備する割合は、日本航空グループが九〇年度の約四%から二〇〇二年度は約三六%に急増、全日空グループは九九年度の約七%から〇四年度約一三%になった(日経2005年5月25日)

整備の海外外注は、4%から36%まで一気に増えています。これは、以前のように、「これが私の愛機だ」の徹底というわけにはいかないでしょう。マニュアル化し、それでも信用できないので、間違いを犯すという前提でシステムを組みなおしたのが、先ほどの、複数整備士でのチェックだと思います。

さて、私は、日本航空の選択を責める気はありません。
海外との人件費の格差や、2007年問題で、以前からの技術者が大幅に減少する問題を考えたり、少子化問題を考えたりすると、日本だけでやっていくのは無理があります。

しかし、だからといって、どんどん海外に出していくと、品質は確実に落ちます。パソコンならまだしも、航空業界は事故は大変な結果を生じます。

米国なら、まだしも英語での意思疎通ができるので、比較的問題ないのですが、日本人の場合はそうはいきません。

しかし、海外への外注が避けられない以上、目指すべきものは、国内連携以上に、海外の整備会社と連携を緊密にすることです。
この問題は、最終的には、設計-製造-運転-保守のコミュニケーションの問題にいきつくしかないのです。
海外に出す場合には、逆に、国内でやっているとき以上に、相手と連携を密にし、パートナーとしてやっていくしかないと思います。

逆にいうと、日本の多くの会社は、同じビルの中にあっても、ろくにコミュニケーションできていないのですから・・
距離の問題ではありません。

1985年の事故からちょうど20年。(奇しくも、ZガンダムのTV放映と同じですね。)
日本航空には、事故を起こさずに成功事例となるよう頑張って欲しいものです。

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July 16, 2005

Vガンダムとはなんだったのか(Zガンダムからエヴァンゲリオンへ)

Zガンダムの映画にあわせ、テレビ版を全編見直していたいきおいで、Vガンダムももう一度全編見直してみました。(時系列にあわせ、富野作品の近作は一通りちゃんと見直して、富野監督ページでそれぞれ考察したいと思っています)。
以前見たときは、正直、途中で嫌になってしまっていたのですが、今回、続けて最後まで見たことで、また印象も変わりました。

といっても、以前見ていて不快に感じたり疑問に感じた点はそのままで、かなり「?」である作品である点には変わらないのですが・・富野監督の当時の精神状況や病との関係(?)は、ちゃんと押さえておく必要はあると思います。

以下、考えた点です。

①たしかに、富野監督のガンダムシリーズであるということ
これは、どういうことかというと、テーマとしては、Zガンダムでシロッコが言っていた、

「次は女の時代だ」
「地球には癒しが必要だ」

といった言葉をそのままテーマとしていることです。

Zガンダムの製作時点で、富野監督の中には、「戦争後の女性による癒しを利用した地球支配」の構想があり、結局シロッコとレコア、サラの死によって描かれることはなかったのですが、テーマとしては追求したかったのでしょう。
女性支配によるマインド・コントロールの可能性を描きたかったのだと思います。
それが、マリア崇拝とギロチン、さらには天使の輪によるマインド・コントロールだったのでしょう。

一言でいえば、「戦う女神パラス・アテネから、マリア崇拝へ」という、ギリシア史からキリスト教の誕生への変化をそのままガンダム史がなぞっているといえます。(もっとも、歴史的には、聖母崇拝の方がよほど根が深いのですが。しょせん、レコアは戦う戦士であり、聖母にはなれなかったのかもしれません。)

②同じ演出の反復度合いが高いと言うこと
演出として、何度も繰り返されるのが、男女の悲恋(一緒に死んだり、片方だけ死んだり)
また、特攻も、数ある富野作品でも最大頻度で行われます。
しかも、何でここで?という感じで、動機面でも疑問が感じられ、結果としても犬死な点が多いのが特徴です。
あとは、とにかく、敵に捕まって、そこから逃げ出してと言うパターンが繰り返されます。
もうひとつ、とくに終盤は、とにかくキレた女の人が次々に出て、「坊やー!」の連呼となります。

これらの演出は、本来は、
・子供(赤ん坊~少年少女)に未来を託すこと
・子供を生む女性と生まない女性
・感情に生きるひとと主義に生きるひとの対立

といった、いつもの富野監督のテーマと結びつくものですが、イデオンやZガンダムに比較すると、テーマとの結びつきがうまく言っておらず、演出だけが繰り返されてしまっているような感があります。

③エヴァンゲリオンを生み出した作品であるということ
・老人による、人類を幼年期に戻す計画
・指揮官としての父との距離感、母が作ったマシン
・精神攻撃(過去の記憶映像表現)
・あんまり変化しない主人公
・キリスト教モチーフの多用(天使、聖母など)→使徒とエヴァへ
・ロボットものというよりは、神話イメージに近づいたキャラ(羽根をつけたガンダムと、怪獣チックな敵キャラ)

庵野監督が、(スタッフとして参加したこともありますが)Vガンダムをとにかく評価していました。
Vガンダムが持っていた興味深い要素を、再構成して作り直すと、エヴァンゲリオンの特徴的な演出につながっていきます。
これらと、Zガンダムのラストの劇場での演出を加えると、エヴァの有名な演出は、ほとんど全て富野作品からきているような気もします。

また、最後のカテジナとの戦いは、スーツの色まで含めて、アスカを思い起こさせます。エヴァ劇場版でアスカの顔が変わっていましたが、そのへんも、カテジナの顔に通じるものがあるのかもしれません。もちろん、劇場版ラストでのアスカとシンジの葛藤みたいなものも。

④ウッソとカテジナ
ウッソとカテジナの関係は、Vガンダムだけの話というよりは、私には、富野全作品通じてのテーマがつめられすぎていて、この作品だけ見ると意味不明に近くなっている気がします。

・主義に生きるものと感情に生きるもの(両方の役をカテジナは話によって変えながら一手に引き受けています)
・男女の対立
・ライバルが最後の最後で融和すること(してませんが・・)
・大人と子供の対立
・かつての仲間を裏切る女性(男性もいますね・・)

・階級格差(お嬢様と庶民)

これらの富野監督の特徴的な演出が全て詰め込まれていて、なんだかわからなくなっているというか・・
しかし、ラストが非常に印象深いことは確かです。(テーマとしては、やはりわかりにくいけど)

以上、Vガンダムに対する複雑な思いを書いてきましたが、私なりの結論をひとことで言うと、単品で見るより、富野作品の流れの中で見た方が、理解できる作品というところでしょうか?

逆に言うと、単品としてみると、やはり問題点は多々あると思います。

たしか、Vガンダムの評論本が出版されていたと思うのですが、それを読んだ上で、自分の意見に独自性がありそうだったら、Vガンダム評論ページを作成するかもしれません。

その場合、上に書いた論点を、より明確に展開するページになると思います。

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July 10, 2005

ロボットアニメの意義1

このホームページも、エヴァンゲリオン、イデオン、ガンダム、ボトムズ、宮崎アニメのページと作成しており、質量ともにばらつきは大きいものの、どれもとりあえず最低限のレベルにはなってきたと思っています。

そこで、こういう作品名を並べて考えてみると・・なんか、どれも、おおまかに言うと似ている話ですねー。

1.人類の進化(もしくは変質)に関係がある。
・進化レベルも形態も様々ですが、どれも、人類史的な作品ですね。(宮崎作品はマンガの風の谷のナウシカだけですが・・)。
(a)変化の契機
イデとの出会い、人類補完計画(ゼーレ)、ワイズマン(?)、宇宙への進出(?)、墓の番人(?)などなど・・

(B)変化の度合い
遺伝子操作、生命体としてのやり直し、ニュータイプ、神の後継者、などなど・・

(C)変化の意義
環境破壊の中で生き抜く、環境変化に合わせて生き抜く、エゴを消滅させる、生まれる前に還る(?)、みんなでひとつになる(?)などなど・・

2.戦いに大きな役割がある。
(A)防衛戦争
異星人との戦い、謎の生物との戦いなどなど・・

(B)権力闘争
独立戦争、理由もわからない戦争などなど・・

3.巨大ロボット(?)みたいなものがでてくる。
(A)意識の集合体として
イデオン、エヴァ

(B)神として
巨神兵、エヴァ

(C)単なる兵器として
(最初の)ガンダム、ボトムズ

さて、他にも、登場人物レベルで比較したり、パイロットの精神に注目したりすると、いろいろ一致したり、分類できたりする点もありそうですが、とりあえず今回はここでやめておきます。

さて逆に、テーマとして異なる点をいくつかあげてみます。

富野作品(とくにガンダム)・・個人と組織の問題、少年から大人への成長

宮崎作品(とくにマンガ版ナウシカ)・・生態系含めた生命への関心、見た人も登場人物も変化していくような浄化作用のある物語へのこだわり

庵野作品(とくにエヴァンゲリオン)・・先行アニメや特撮へのこだわり、自己不安(といっては失礼か?)内面へのこだわり

高橋作品(とくにボトムズ)・・純愛、特殊な環境設定の人間への関心(?これは違うか。考え直します)

こうしてみると、どの作品も、人類進化や神の問題を扱っているという共通項があります。
それでいながら、他方では、個別テーマとして、製作者自らが深い関心を持っている、アニメではない現実(現代社会)のテーマが組合わさっています・

共通項である人類進化や神の問題というのは、昔であれば、宗教が説明していたジャンルだと思うのですが、すごく人間にとって基本的なテーマで、どんな民族にも神話はありますし、本当は誰でも最も関心ある領域です。
そもそも人間とは何なのだろう・・どうなっていくんだろう・・という。

しかし、考えて解決を見るものでもありませんので、物語の背景程度の扱いとなります。ただ、どの作品もなんらかの形で遺伝子の問題を組み込んでいるのは、現代的なアプローチだと思います。

個別テーマは、製作者自身が現代社会の中で問題としている点なのですが、それらは、一般人から見てもやはり共通の問題ですので、深く描かれていれば、感銘を受けることになります。

さて、このように見てみると、ロボットアニメというのは、世界観を提示したり、考えたりする題材を与え、現実の問題への疑問も含み、かつ、エンターテイメント作品であるということで、古い意味での「文学」や「神話」、「伝説」、「昔話」などが担っていた役割を、そのまま引き継いでいるような気がします。

中世のキリスト教で言う、「黄金伝説」をはじめとする伝承や伝説、昔話。
日本で言うと、柳田國男の分類でいえば、「伝説」と「昔話」。

数千年以上に渡って人間にはそのようなものが常に必要でした。
エンターテイメントでありながら、世界と人間の意義と、自分の現実の悩みを映し出すような作品群。

ロボットアニメというのは、産業構造と組合わされた一時的な姿だと思いますが、似たような役割の物語は数千年以上前から必要であったし、今後も、ロボットアニメがなくなったとしても、同じ役割の物語は存在し続けるでしょう。

一方、それに比較すると、いわゆる「現代文学」が、どれほど根が浅い存在であるかわかろうというものです。
日本における歴史はたかだか100年ちょっと。

私は、文学というものは、おそらく産業レベルでは、いつまでも続かないと考えています。一部の愛好家の世界では残るでしょうが・・
実際、文学というものはすでになくなっているといった方がいい気がします。芥川賞作家は毎年生まれますが・・

少なくとも、社会的に何か影響があったかもしれないのは、三島由紀夫ぐらいが最後ではないでしょうか?(「作家」という言葉が、特殊な畏敬の念を含んでいたのは・・)

大江健三郎はノーベル文学賞もとったし、私もとても好きな時もありましたが、社会に何か影響があったことは、ないのではないでしょうか?(60年代~70年代などはあったのかも知れませんが)

文学が世間に何のインパクトも持ち得なくなったのは、いろいろな理由があると思います。

しかし、あまり誰も指摘していないけど本質的な話のひとつとして、単純に、能力のあるヒトが文学を目指さなくなったという事態もあると思います。

明治時代は、頭のよいヒトは、官僚か文学者にでもなるしかなかったため、国民のうち文科系で最も創造的で優秀なヒトが作家になっていたと思います。また、官僚も現実面で優秀なヒトが集まっていたでしょう。

しかし、20世紀後半の高度経済成長期には、優秀なヒトの頭脳は、基本的に企業に流れたと思います。
そして、ここ最近は、創作系のヒトはゲームやアニメにも流れているでしょう。
まあ、乱暴な議論ですが、選択肢が増えた結論として、文学に頭脳が集中していた時代はかなり遠くなってしまったとはいえると思います。

なお、同じことは官僚にも言えると思います。

かりに、いつの時代にも頭が良いヒトが同じ割合で存在するとすると、その人たちがどのジャンルに分布するかというのは、時代によって異なるはずです。

明治時代は、官僚系と文学系に集中していたのだと思います。

ロボットアニメを論じるつもりが、いつの間にか話がずれて文学批判になってしまいました。

何で自分は、ロボットアニメの評論・分析というマイナーな趣味ばかりやって、文学評論という、もっと世間体がよく(?)、賞もあるような方向を目指さないのだろうという個人的な問題意識が出てしまいました。

実際、小説読んで、評論書いたり、分析したり、他のヒトの評論や分析を読んだりしたくなったことがあるヒトは、ほとんどいないのではないでしょうか?
(個人的には、三島由紀夫の最後の4部作および、ウンベルト・エーコの作品については、真面目に評論もしくは分析をしたいという気が今でも時々起きますが)

問題産業とはいえ、アニメ作っているヒトの方が、「子供向けにこういうの作ってていいのか」とか、「こういうメッセージを伝えたい」とか「自分達の仕事の意義は?」とか考えている分、まだ何か考えている雰囲気を感じるというか・・

それに比べると、小説は自己満足と売名の度合いが高いというか・・まあ、個人仕事だから当たり前ですね。

キャラクター商品で売れるものでもないし・・

個人で作って、個人名で売るしかないのだから、苦しみの度合いも大きいでしょうね。売れなければ自己満足しかないし・・

アニメやゲーム製作のように会社単位で収益ベースで作るものと、個人ベースで知名度で作るものとでは、同じヒトが作ったとしても、全く別な作品が生まれるのかもしれません。

なんだか芥川賞批判(文学批判)する気もなくなってきて、意味不明な結論になってしまいましたが、今後、ロボットアニメの意義や問題点などを、不定期に書こうと思っています。

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June 16, 2005

ガンダムとエヴァンゲリオンによる人間精神の探求3

精神分析で有名なフロイトの論文に、ある人が書いた小説をひとつだけ読んで、その作者の幼年期から少年時代の思い出、無意識、願望などを推測していくという面白いものがあります。
彼は、自分の考えをまとめて、あってるかどうか作者に送るのですが、たしか、無視されたんだったと思います。

実際、作品を見ると、小説であれアニメであれ、作者の内面がものすごく見えるものです。逆に、それが見えない作品なら、商業主義的な作品、一時的にはヒットしても、それだけの作品と考えてよいでしょう。

例えば、庵野監督を例にとると、最初の監督作は、「トップをねらえ」です。
なぜ、「トップをねらえ」を監督することになったかというと、第二話のシナリオを読んで泣いてしまい、誰もアニメ化しないなら自分がやろうと思ったそうです。
しかし、第二話のシナリオを、アニメは超えられなかったそうです。

それから、庵野監督は、完全オリジナルで、自分の気分を忠実に反映するという方法論で、「新世紀エヴァンゲリオン」を監督します。

その次に、少女マンガの「彼氏彼女の事情」をアニメ化します。

以上、3点を見て、共通点はわかりますか?

見たことあればわかると思いますが、どれも、「主人公と父親との距離」がテーマになっています。
(断るまでもないと思いますが、彼氏彼女の場合は、男の方です・・)

驚くほど、何か似たものがあります。3作とも、主人公は父親のことを考えて、泣くような苦しみを味わいます。
庵野監督が監督業を始めたのも、エヴァのあと「彼氏彼女の事情」をアニメ化したのも、いずれも、この点で訴えるものがある作品だったからに違いないと思います。

一方、「トップをねらえ」と「エヴァンゲリオン」の間に挟まれた「不思議の海のナディア」は、あまり父親ネタはなかったと思います。
つまり、作者の内面からは離れ、純粋なエンターテイメントに徹したのだろうと思います。

ナディアはナディアのよさがありますが、やはり、人の胸を打つのは、製作者が自らの内面を刻印した作品のケースが多いようです。そのことを、庵野監督は「パンツを脱ぐ」と表現しています・・

どうも、庵野監督の父親が足が悪かったこととか、いろいろ影響を与えているようです。

同じことは宮崎アニメにも言えます。
毎回出てくる元気な老婆。一方ではある年代の女性は身体を傷つけるシチュエーションが目立ちます。(クシャナ、エボシなど)
これは、どうやら母親がやはり重い病にかかっていたことが影響しているようです。

こうしてみると、庵野監督も、宮崎監督も、両親の影響が作品に多大な影響を与えていることがわかります。
フロイトなら、たぶん、どれか一作見るだけで、インタビューなど見なくても、製作者本人以上に鋭い指摘をしそうです。

さて、家族との確執といえば、言うまでもなく富野作品に勝るものはないような気もします。ガンダムでもZでも、その他作品でも、家族との様々な話が描かれました。
とくにZではカミーユは

「子供は親に、親をちゃんとやってほしいんですよ!」

みたいな怒りをぶちまけていました。
さぞかし、いろいろあるのでは・・と思うところですが、自伝「だから僕は」を読む限り、これといった話はでてきません。
もっとも、庵野監督も宮崎監督も、親の話は非常に話すの嫌そうなので、富野監督も、言いたくないだけかもしれませんが・・

「ひとの心に踏み込むには、それなりの資格がいるものだ(byシャア)」

皆さんの知っている富野作品の親子像をもとに、フロイトばりに、背景となる富野監督の少年時代の親子関係を想像してみるのも面白いのではないでしょうか?
2作以上に共通している点を見つけられれば、かなり有望だと思います。
ガンダムとZガンダムはともに、仕事にばかり打ち込んで家庭を顧みない父親でしたが・・そう単純に考えるべきかどうか・・

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June 12, 2005

エヴァンゲリオン2について(とうとうたどりついた第一始祖民族の真実?)

ようやく、タブリスさんから頂いた情報を中心に、エヴァンゲリオン2のコーナーをアップしました。
しかしながら、私はまだエヴァ2はろくにやっておらず、機密情報もまともに読んでいないので、きちんとしたことは言えません。頂いた情報をもとに、ゲームもすすめ、いつの日か、エヴァ2についても、よくもわるくもちゃんと論じたいと思っています。

とはいっても、機密情報をさっと見た感じで思ったことを、とりあえず1~2点書いてみます。
エヴァ2が議論の対象になる場合、エヴァ2の情報の信頼性というところに焦点があるのですが、今回は、「仮にエヴァ2情報をそのまま真実だとして」考えた場合の話です。

ひとつは、エヴァ2情報をそのまま使った場合も、いくつか謎とされている点がありそうに見える点です。
ようするに「第一始祖民族」の話なんですけど、非公開情報では

第一始祖民族とも言われる人型種族は、銀河系の各地に生命の種をばら撒き始 めた。その理由が何だったのか何を目的としてたのか今となってはわからない。

とされています。

また、最深度情報では、

第一始祖民族は月というキャリア(運び屋)の中に完全なる空洞(これも月)を作り そこに始原の存在という種をいれて宇宙に送り出した

とされています。

TVや映画版では削除されていた「第一始祖民族」の話を再度持ち出すことはどうかという議論もあるとは思いますが、先ほどいいましたように、まあ、それはおいておくとして、あくまでも、上記の設定を真実とするなら、という話で以下進めます。

まず、第一始祖民族が人型種族とされ、かつ、銀河系の各地に生命の種をばらまいた点ですが、これはスタートレックの世界において、いたるところに人型種族の宇宙人がいることを説明するために作られた設定と同じです。
具体的にはこの話は「新スタートレック」にでてくるエピソードなのですが、何で彼らが宇宙中に生命の種(というか自分たち人型種族の遺伝子)をばらまいたかというと、たしか、彼らが宇宙で最初の知的生命体であり、どこか自分達と同じような生命体がいるのではないかと探し歩くのですが、結局どこにもおらず、宇宙には彼らしか存在しないことがわかります。
それで、たいそう残念に思い、もっと宇宙が生命で豊かになるように自分達の遺伝子を宇宙中にばらまき、いつの日か宇宙人同士で交流できるようにと考えたのでした(若干記憶があやふやです)。そのため、遺伝子的にはきわめて近い生命体が宇宙に散在することになったという設定です。

エヴァンゲリオンとスタートレックの関係は必ずしも明確ではないのですが、個人的に似ているなーと思っていたのは「スタートレック ディープスペース9」の第一話と第二話における演出方法です。ここでは、主人公の記憶映像の断片を使いながらの会話が行われるのですが、そのへんの演出が、シンジが溶けている時の演出(つまり、過去の映像の断片をリミックスさせながら、言葉の内容だけ変わっていて、シンジの内面での葛藤を示している)に似ていると思いました。非常に印象深い見せ方なので、実際以上に似ている気がしたのかもしれませんが・・

次に、最深度情報の方ですが、月をつかって生命の種を送り出すという点ですが、これは間違いないく(?)J.P.ホーガンの「星を継ぐ者」でしょう。もっとも、星を継ぐ者では、月を使って送り出すというより、軌道上から離れた星の断片が、地球の引力に引かれて月になるわけですが・・
ただし、こちらについては、庵野監督がどっかのインタビューでホーガンぐらい読んでなくてはいけない、みたいな主旨のことを言っていたのを見た記憶があります(記憶違いかもしれないので、確認してみます)。
となると、エヴァにおける、同じ遺伝子を持つ異なる種族という設定も、ホーガンの「星を継ぐ者」シリーズそのものとなり、思った以上にエヴァ世界観の解明へとつながるヒントを与えるものかもしれません。

さて、庵野監督発言で有名なものに

「何か思いついても、必ず元ネタがあってがっかりする」

という発言があります。仮に、第一始祖民族の元ネタは上記の作品群(スタートレックや星を継ぐ者)だと強引に仮定しましょう。
さらに、庵野監督発言で有名なものに

「オリジナルは自分しかない」「作中の人物は全て自分自身です」

という言葉があり、さらに作中人物の主要な問題は「さびしさ」であり「欠けた心の補完」だと仮定しましょう。
そして、作品を製作した主要な動機は

、「オリジナル作品を作ることは自分自身を作品に残すことになるから」

だとしましょう。
(このへんの監督心理は、「エヴァンゲリオンのオリジナル」参照)

すると、上記の第一始祖民族の、スタートレック的、ホーガン的設定は、庵野監督風にアレンジすると、何を意味しているのでしょうか?
おそらく、こうなります。

①第一始祖民族が自分達のDNAをもとに宇宙中にばらまいたのは、さびしかったからである。宇宙には自分達しかいないことに耐えられなかったのだ。
これは、エヴァの中の以下のセリフおよび監督発言に対応する。
「さびしかったんだ」「自分という存在がフィルムの中に残る」「人の生きた証は、永遠に残るか・・」

つまり、第一始祖民族は、さびしかったため、自分達の存在を永遠に宇宙に残すためにDNAを宇宙中にばらまいたのである。

②それに対し、ばらまかれた方も、やはりさびしくて、月に帰ろうとしている。それは母体(というか卵というか月というか)への回帰願望であり、要するに人類補完計画である。そして、ヒトと使徒の争いとは、どの種族が母体に帰る権利を手に入れるかを争ったものであり、ゼーレの計画はリリスの卵に帰ることでのさびしさ解消、ゲンドウの計画はエヴァを箱舟とすることでの解消、ユイは逆にエヴァで永遠に生きることでのさびしさ解消(永遠に残ることも、庵野監督発言および第一始祖民族の心理推測によればさびしさ解消の一案であることに注意!)

ということで、物語ベースで言うと、第一始祖民族とは、はじめに誕生してしまったからさびしくて、種を宇宙に残したかった生命体であり、製作ベースで言うと、まさに作品を作ることで自分をフィルムに残そうとした庵野監督本人ともいえるかもしれません。

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June 11, 2005

私のエヴァグッズ2(NERV浴場備品セット)

さて、ひさしぶりの私のお気に入りエヴァグッズ紹介です。

今回は、お風呂好きなら誰もが欲しくなったであろう、24話におけるNERVのお風呂セットです。
正式名称は 「NERV浴場備品セット」 。
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セット内容:本格NERV湯桶、手拭い×2、NERV石鹸、専用巾着

ざっと紹介しますと、
本格NERV湯桶・・NERVマークが書いてある本格的な(?)黄色い湯桶です。これは、拡大写真も載せておきます。
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手拭い・・これは、写真を見てもらえばわかるように、NERVロゴ入りのタオルです。

NERV石鹸・・これも拡大写真を載せたかったのですが、色が白いためうまくうつりませんでした。本当は、石鹸にNERVのマークが彫ってあります。

専用巾着・・これは写真のとおり、透明な、NERVマーク入りの袋です。上記の備品を全て収容可能です。

さて、このお風呂セットは映画館で売っていたのですが、数ある映画館販売エヴァグッズの中で、最も買うのが恥ずかしい品物であったことは間違いないでしょう。
ほかに、誰も買っている人はいませんでした。

しかし、私は24話で一目見て以来、ずーっと欲しかったものなので、速攻で買いました。

ただし、ひとつだけ、致命的な問題がこのセットにはあります。
それは、風呂用のイスがついていないのです!!

カヲルとシンジの入浴シーンを見てあのNERV大浴場にあこがれた経験のある皆様なら、当然、イスは外せないでしょう。
それがあってこその、NERV浴場備品セットのはずです。
しかしながら、何を考えたのか、イスはついていません。
おそらく、ただでさえかさばるし、イスもつけたら場所はとるし値段があがるし、どうせ売れないだろうし、ということでしょうか?

しかし、NERV浴場備品セットを買うほどの人間なら、イスをつけることでどれほどかさばろうと、値があがろうと、喜んで買っていくところでしょう。画竜点睛を欠いた感があり、つくづく惜しまれます。
今度再販するときは(ってないだろうけど)、是非ともイスをつけてほしいものです。

あと足りないものといえば、富士山の絵(だったと思う)が飾られた大浴場そのものですが、これはさすがに家では再現できません。もっとも、富士山の絵を置いた浴場などいくらでもありそうなので、どこでもOKです。

さて、いつの日か、NERV大浴場を再現した銭湯はできないものでしょうか?
富士山の絵をバックに、NERV浴場備品セットを数十個並べた姿は、エヴァファンなら誰でも感激して涙を流すことでしょう。
現代でも完璧に再現可能なNERV施設のひとつだと思います。

是非、2015年までには、どこかの銭湯経営の方が、若者の銭湯離れを防ぐために、NERV大浴場を開設してほしいものです。売れ残ったNERV備品セットを数十個もってくればできあがりなのだから、安い投資ではないでしょうか?

その大浴場には、きっと、NERV浴場イスも完備されていることを夢見ながら、その日を待ちましょう。

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June 07, 2005

ガンダム(Zガンダム)とエヴァンゲリオンによる人間精神の探求2

さて、ガンダムとエヴァンゲリオンによる人間精神探求シリーズの第二回です。
いろいろと人間精神を考察するヒントを与えてくれる両作品ですが、私は以前「イデオンとエヴァンゲリオン」という文章で、富野監督と庵野監督の精神の比較をしようとしたことがあります。
それは、もちろん、富野監督のエヴァキャラ批判(および庵野監督批判)に興味を感じて書いたものだったのですが、その中で、私は、「富野キャラは、平気で特攻する。庵野キャラは、不思議の海のナディアのフェイトさんのように、平然としていても、死の直前は泣き喚いたりする。富野キャラが現実的とは必ずしも思えない」みたいなことを書き、一部の方から「富野作品がわかっていない」というお叱りのメールを頂きました。
しかし、その時は、私は自説が間違っているとは全く思いませんでした。富野アニメでは、自分を犠牲にして自ら死を選ぶ(もしくはその危険をおかす)人が頻出するからです。

ところが、ザンボット3を見かえしていて、「平然としていても、死の直前は泣き喚いたりする」キャラが、富野監督が先にやった演出であることがわかりました(人間爆弾)。
また、数日前にも書きましたが、TV版エヴァ25話、26話の体育館のシーンが、Zガンダム最終話の劇場でのシーンをそのまま拡大していることにも気づきました。

そうしてみると、富野キャラの心理描写への自分の視点は、まだまだ甘かったなと思わざるにはいられません。
もう一度、いろいろ考えてみようと思います。

さて、本題は、ここからです。
今回はエヴァンゲリオンの心理的問題について、高名な2人の学者の視点を紹介します。
まず、エヴァの有名な「アスカの中の自分、アヤナミの中の自分、人は皆、複数の自分でできているんだ」(文章はうろ覚え)という考えがあります。
この考えは、多分レインからきていて、彼の著書の「好き?好き?大好き?」の原題がサブタイトルにも使われていたりします。
レインは、分裂病(今の言い方では統合障害?)の研究などで有名な人です。(患者の女性を妊娠させてしまい批判もされてたが・・)
エヴァンゲリオンにおける、崩れそうな精神的雰囲気(レイみたいな)を考えるのに、レインの視点を使った分析をしてみるというのは、是非一度自分もやってみたいと思っています。

もうひとつは、人類補完計画的な考えの学説として、ユングをあげておきます。とくにエヴァがユングの影響を受けた雰囲気は無いのですが、考えとしてはとても似たものがあって、以前、たしか「エヴァンゲリオンとユング」という論文を書きました。
→と思ったら、第一章の途中で止まっていました。題名は「精神分析によるエヴァ」というやつです。そういえば、これも、「ユングは精神分析ではなくて分析心理学だ」というお叱りを受けたような・・

こっちの方は、詳細は読んでもらえればわかりますので(って途中までだからわかるわけないのですが・・)ここでは詳細は省きます。

これはこれで、いつかは完成させたいものです。

ようするに、エヴァンゲリオンという作品ひとつ分析するにも、レインを使う視点もあれば、ユングを使う視点もあり、どっちでも面白い分析ができると思います。
そういう、一作品で、いろいろな学者の説を検証できる映画や小説などありませんから、人間精神の探求の上で、いかにエヴァが興味深い作品かわかると思います。

今回の内容をまとめると・・
・富野作品と並べると、エヴァは単なるマネばかりしているようにも見える。
・レインと並べると、精神的な不安定さを表現した作品に見える。
・ユングと並べると、人類の精神史をテーマにした作品に見える。

これらのエヴァの特徴は、一方で、「僕には何も無い」というシンジの言葉、「自分には何もない」「オリジナルなんてないんですよ」という庵野監督の言葉とも結びつき(「エヴァンゲリオンのオリジナル」参照)、人間精神への様々な探求のとっかかりとなりそうな気がしてきませんか?

以下、続く・・

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May 31, 2005

ガンダム(Zガンダム)とエヴァンゲリオンによる人間精神の探求1

さて、唐突ですが、人は、一人ひとり全く異なる精神構造を持っているものです。
これは、考え方だけでなく、もっと根本的な、ものの感じ方や見方、受け取り方など・・幼児期か、もしくは、生まれた時には(生まれる前には??)決まっているのかもしれません。
幼児期以降における影響は、有名なフロイトの無意識:「コンプレックス」という概念がありますし、生まれた時に既に決まっている部分についてはユングの「外向・内向(通常の意味とは少し違う)」という考え方があります。
ユングの外交・内向の見分け方は簡単で、例えば職場で、誰かがやってきたとき、必ずチェックする人と、あんまり興味ない人とで、よそに関心があるタイプ(外向)かないタイプ(内向)かが一目でわかります。(この判定方法は私が独自に開発(というほどでもないが・・)したものなので、まあ、適当に聞いといてください)
これは、双子でもタイプが同一とは限らないようです。

私が、人はこんなにも物の考え方が違うものか・・という理解をおぼろげながらにもしたのは、エヴァンゲリオンを妻と一緒に見てからでした。
妻のことは高校時代から知っていたので、結婚後も、その前も、性格などは十分理解しているつもりでした。
ところが、エヴァンゲリオンを見て、妻は、第一話で、泣きました・・
私は、15話までは、まあ、出来のよいロボットアニメとして適当にみていて、16話以降、謎解きを中心にどっぷりはまっていきました。
その時、いろいろ話していて、自分が理解していた妻と、実際の妻とでは、全く異なる人間であることが、ようやく、おぼろげながら理解できてきました・・(いったい、つきあって何年、結婚して何年たってからでしょう・・この観察力の無さは、私が生まれつき?内向タイプで、あまり外部に関心ないためです。)
まさに、列車の中のシンジの言葉通りです。

「ミサトの中にいるシンジ、アスカの中にいるシンジ・・人は複数の自分でできている」(セリフはうろ覚え)

あの時エヴァンゲリオンを一緒に見なければ、仮に数十年つれそっても、最後まで相手の精神構造の核心には触れられなかったと、今でも思います。

さて、このことから考えるに、所詮、一人の人間は、自分の精神構造ベースでしか、物事を考えられません。
例えば、ある小説家が、自分の小説の中で、全く異なる性格の人物を何人も作ったつもりになっていても、それらの人物は所詮、たいした違いは持っていないものです。どれも、その小説家にとって理解できる範囲の人物でしかありません。
意見を戦わせるシーンがあったとしても、根にある思考ベースは同じというか・・

思想や考えの違い、キャラの違いなど、表面的な部分はいくらでもバリエーション作れますが、その深層まで踏み込むと、とても観察力が優れている人でも、見抜けないと思います。なぜなら、根本的に違う人間の精神構造は、存在自体理解できないものだからです。

これは、アニメも同じです。
エヴァンゲリオンの例で言うと、表層的には、全く異なるキャラクターが何人も登場しました。しかし、後半にいくにしたがい、深層が問題となってくると、どんどんどのキャラも近づいていき、最後には、皆同じになりました(ゲンドウでさえ、さびしかった・・)

となると、人間精神を探求しようとした場合には、複数の作者の作品を比較しなくてはいけないことがわかります。
ロボットアニメは、この点で適していると思います。なぜなら、大枠はどの物語も同じなので比較しやすいし、登場人物は結構多いし、いろいろな思想の人が出てくるからです。しかも、他のアニメより作家性が強いからです。(原作付ではないし、スポンサーは登場人物はどうでもよくロボットが売れるかに興味あるため)

その好例が、エヴァンゲリオンとガンダムの比較です。

この2作で、例えば、ほぼ同じ演出を探してみます。
わかりやすい例として、ある人が、自分が好意を持っている人間を殺してしまうというシーンを選んでみます。
ガンダムのアムロや、Zガンダムのカツは、自分が女性(ララァ、サラ)を殺したのですが、怒りは、常に外部に向かいます。

カツ「ハマーンめ!」

それに対し、シンジは、カヲルのことで自分を責め続け、エヴァにのること自体を拒否します。

「僕なんて死んじゃえばいいんだ!」

このように、自分が失敗した場合に自分を責め続ける人と、外部に怒りを転化する人というのも、全く異なる2パターンです。(シンジの場合は、自分の意思で殺したという違いもありますが・・でも、事故で殺してしまったとしても、やはりシンジは自分を責めたでしょう・・そういうキャラです)

そして、このように異なるパターンを持つ人間は、相手の考え方が理解できないものです。
富野監督が、エヴァンゲリオンを激しく批判した時、最大の(唯一の?)焦点は人間の描き方でした。

「自分としては、生きているキャラクタとして認められない」

ロボットアニメを見ていると、小説を読むよりは、よほど人間精神の差異について考えさせられることがあります。
今回は単純な一例ですが、今後もいろいろ取り上げたいと思います。

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May 29, 2005

Zガンダムからイデオン、エヴァンゲリオンへ

TV版Zガンダムを最後まで見直していたのですが、思いのほか、いろいろ考えました。(まだ映画いってない・・)
比較的簡単に書きやすい点を少し書きますと・・

ちょっと前に、「機動戦士ガンダム」のニュータイプのテーマは「伝説巨神イデオン」にこそ、引き継がれているという文書をアップしたのですが、Zガンダムというのは、表現やテーマとしては、むしろ、最初のガンダムよりもイデオンと共通するイメージが思いのほか多いのが驚きました。
思念の交わり(宇宙を飛ぶ人の映像表現)とか、かなり共通ですし、それに至る滅ぼしあいの無意味感というのも、近いものがあります。
もっとも、イデオンは、滅亡から新たなる再生というテーマが見えやすいのですが、Zの場合は、そのへんのテーマがわかりづらく、あれで一区切りと考えるべきなのか、ZZのラストのカミーユまで含めるべきか、むしろ逆襲のシャアまで含めて考えるべきか・・わかりづらいところが、不人気だった理由のひとつだと思います。
映画では、また異なるエンディングになるらしいので、期待しましょう。
本来は、富野監督は、その気になればエンディングへのもっていき方は、超一流のはずですから(ザンボット3でもイデオン発動編でも、逆襲のシャアでも、その他もいろいろ・・)
さらに、インタビューでも言っているように、イデオンと正反対の製作方法論が、どう影響するかも見所です。

もうひとつ、驚いたのが、劇場での討論シーンでした。
リアルタイムで見たときは、あまり何とも思ってませんでしたが、今見ると、あきらかに現実的な演出としては無理があり(主要キャラ全員がモビルスーツを降りて劇場で討論)、むしろ、生き残っている主要人物(ニュータイプ)全員の、思念の交わりとしてとらえた方が、本当の演出意図をくんでいると思います。劇場という場で、役者が総出演し、みんなが自分の主張を戦わせる場という・・
何を言いたいかというと、TV版エヴァンゲリオンの25話、26話の演出の体育館のシーンの原型そのものだと思いました。
エヴァ放映時は自己開発セミナーが元ネタと随分批判されていましたが、むしろ、Zガンダムの劇場討論シーンの意図を発展させて2話やったというほうが、近いのかもしれません。
人々の思念の交わりが、人類が始原にかえる心の補完過程で生まれるのか、宇宙へ進出することによる進化(ニュータイプ)への過程で生まれるのかという、正反対のベクトルの違いがありますが・・

ということで、Zガンダムは、イデオンやエヴァンゲリオンと、それぞれお互いを照らし合わせて考えると、また一層、どの作品についても、新たな見え方が現れるような気がしています。

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May 25, 2005

人間的なものと異質なもの

昔、SFを読んでてつまらなく思ったのは、遠くの時代の、異なる世界の話であるにも関わらず、登場キャラは、結局全員、現代人に理解可能なキャラなことです。
ファンタジーでも同じですが、登場人物は皆人格があって、いろいろ自分のロジックで考えて、動いて、要するに、人間と同じ思考回路を持っているのです。代表的なのはスターウォーズですが、宇宙人の姿は様々だけど、考えていることは人間のバリエーションというか・・
この路線をより徹底させるとスタートレックになり、宇宙人も、神みたいなのも、現代世界のいろいろな問題を考えるための仮の記号みたいな存在になります。時に、絶体絶命におちいったピカード艦長が、どんな相手であれ口で説得しようとするとき、思わず笑ってしまう場合もあります。(スタートレック世界では、もちろん成功する)
反対に、本当は異質なのだろうけど、身近にいるもの、例えば、昆虫とか、花とかを擬人化する方法もあります。
イソップ物語とかディズニーアニメのように。
しかし、異質なものを、異質なまま描く作品は、あまりありません。
SFだと、有名なレムの「ソラリスの陽の下に」を読んだとき、こういうのが、本当に異質なものとのファースト・コンタクトだと思いました。
ウルトラマンの例でいうと、敵には2種類あって、宇宙人か怪獣です。宇宙人は、結局人間と同じロジックでしかなくて(移住しようとか、征服しようとか)、怪獣は動物と同じ扱いです。珍しく異質なものといえるのは、ブルトンみたいな存在でしょう。
アニメでいうと、宮崎作品では、意図的にそういうものを表現しようとしている気もします。トトロも若干そうですが、なんといっても、もののけ姫のシシ神でしょう。
逃げるでも戦うでもなく、損得でもなく、何考えているか不明だけど、こちらをじっと面白そうに見ているような・・

ロボットアニメにおいては、イデオンに出てくるイデが、ほぼ異質なものに相当します。それを、人間のロジックで理解しようとしたことが、登場人物の失敗だったと考えて書いたのが、私の「イデオン論」です。
こうしてみると、本当に、人間のロジックと違うものを見たとき、ひとは、それを、生き物というよりは、「場」として考えるのかもしれません。「ソラリス」の海や、「イデオン」のイデのように・・(イデが場(認識の場)であるというのは、作中表現ではなく富野語録に属しますが・・)
では、さきほどとは反対に、世界のどこにでも人間と同じロジックを見るのではなく、反対に、人間の中にも異質なものを探そうとする作品はあるでしょうか?
もしかすると、エヴァンゲリオンにおける、ロボットだと思っていたエヴァがその本質を示し始めるときや、シンジが精神世界に下降して様々なイメージにつつまれるときは、そのような瞬間なのかもしれません。
いままで、理解できていると思っていたものが、崩れていく瞬間・・
もっとも、エヴァンゲリオンも、最後はなんとなく理解できるようになりますが・・

以下、また別途続く。

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May 24, 2005

哲学とアニメ1(エヴァとボトムズ)

アニメを見ていると、製作者が、ある哲学者の言葉を使う例が結構あります。
例えば、新世紀エヴァンゲリオンにおける題名「死に至る病」が、キルケゴールからきていたり、
装甲騎兵ボトムズにおけるいくつかの言葉がニーチェからきていたりというように。

ぱっと見、あまり意味はなさそうに考えられますが、つきつめてみると結構リンクしているように見えるところが面白い点です。
「死に至る病」の例で言うと、言葉の意味だけ言えば、熱心なキリスト教徒における絶望を意味していますが、アニメがらみで言うと、エヴァンゲリオンもキリスト教がらみの概念が多数でてくる話でした(使途、エヴァ、ロンギヌスの槍、その他多数)。
さらに、キルケゴールの思想には「反復」という概念があり、これは、シンジが、何度もエヴァをおりてはまた乗ることや、ラスト近くにおける、「何度も裏切られるんだ・・でも・・」という言葉にもシンクロしています。
このへんを整理だてて考えるのは、一苦労ですが、近いうちにまとめたいと思います。

同様に、装甲騎兵ボトムズにおいては、ニーチェの言葉が出てきます。
最も印象深く使われているのは、「神は死んだ!」なのですが、そもそも、ボトムズの物語自体、ニーチェの哲学のいい例示になるような気がしています。
ボトムズ論を作成しおわり、新連載開始とともにホームページを立ち上げようと思っていますので、そちらのページにこのへんはまとめたいと思います。(ボトムズで学ぶニーチェ、とかも面白いかもしれません)

哲学的概念がアニメ分析にどこまで貢献するかは、アニメ作品にもより、解釈力にも(こじつけになってしまうこともあるでしょう)、製作者がその言葉を使った思いの強さにもより、様々ですが、面白い例は、今後も紹介したいと思います。

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May 15, 2005

エヴァページにメルキオールさんの投稿アップ

エヴァページの「皆様のエヴァンゲリオン」に、メルキオールさんの投稿「『まごころを、君に』のシンジとアスカ」をアップしました。
投稿論文は、実に4年ぶりです。掲示板を見ていても思うのですが、ここ数ヶ月、パチンコの影響もあって、新たなるエヴァファンが増えているようです。私はパチンコ屋は滅多に行かないのですが、見たもの(遊んだものを?)をアニメ版へと引きずりこむパチンコ版の魅力はどんなものか、一度見に行こうかと思います。

さて、メルキオールさんの投稿内容ですが、映画の最後の部分(ウーム。最近見始めた人には映画という表現はむしろ変かな)についてです。
この部分はご存知のとおり大変難解で、私も、いくつかの解釈をアップしていますし、まだ不十分だと思っています。

私は、とくに、シンジ視点ではアップ済みで、そのうちレイ視点での解釈をと思っていましたが、メルキオールさんのはアスカ視点でした。
読んでみて、なるほど、アスカ視点でも広範に解釈できるのか、と思いました。
(私もラストはアスカ視点で書いたものもありますが、メルキオールさんのは公園の部分からの夢部分全般を含めたものです)

エヴァンゲリオンの特徴の一つとして、最初は別な個性を持っていた(ような気がした)登場人物が、どんどん監督の個性に収斂していくという点があげられます。
そこが、熱狂的なファンを生み出す一方、ファンの中からも、キャラの性格は非現実的という批判も生みました。
(本当に(当時の)庵野監督に近い性格の人は、野火ノビタさん(榎本ナリコ先生)みたいな人なのかなーと思います。ごく少数派ですね)

逆に言うと、どの登場人物をとっても、同じように作品解釈を許す可能性は残っているわけです。例えば、あきらかにそういえる一人がゲンドウですね・・おそらく誰にとっても未開拓の領域ではないかと思います。つっこんで考える気がしないというか(^^)。

話を戻しますが、私は、溶け合う心の部分以降は、登場人物視点で考えるなら、レイがベストなのかと思っていたのですが、メルキオールさんのを読んで、アスカ視点の方が面白みがあるかもなと思いました。なんといっても、シンジとの絡みがいろいろありますし・・。

それにしても、もう、TV版の放映から10年たつ作品が、いまだに解釈され続けているというのも面白いものです。

「真理は、面と向かって現れてくるまえに、切れぎれに(ああ、なんと判読しがたいことか)この世の過誤のうちに現れてきてしまう。それゆえ私達は、片々たる忠実な表象を、たとえそれらが胡散臭い外見をとってひたすら悪をめざす意思にまみれているように見えても、丹念に読み抜かねばならない。」(ウンベルト・エーコ「薔薇の名前」より)
エヴァ解釈にもぴったりの言葉ではないでしょうか?

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May 13, 2005

日中問題について2(世界を革命するために!)

前回の続きです。本来なら、戦争責任の話に移ろうかと思っていたのですが、前回長々と書いた結果、あることに気づいたので、そっちの話を優先します。
それは、世間に流されないといっても、実際は、凡人には難しいということです。
今回書くのは、どのようにして、世間に流されないような価値観を創造し、世界を変えていくかということの実践的方法です(→ウーム、われながら、飛ばしすぎか)。

何に気づいたかというと、ポイントはまずは「飽きること」のようだということです。

(アニメの例)
例1:少女革命ウテナ「世界を革命するために」
「あなたは、何も変わっていないと思って、ずっと居心地いいこの世界につかっているけど、あの娘(ウテナ)は、もうここから出て行ってしまいましたよ」(セリフはうろ覚え)
→刺されることから、世界の革命へ

例2:装甲騎兵ボトムズの主題歌
「地獄をみれば、心が乾く。戦いは飽きたのさ。」
→数千年の戦争の後、キリコは神の後継者へ。同時に、冷凍保存により世界の拒否へ。

例3:エヴァンゲリオン
シンジ「もう、いやだ!!」
→シンジは全ての拒否のあと、神と等しくなる。
レイとカヲル「見失った自分は、自分の力で取り戻すのよ」「たとえ、他人の言葉にとりこまれても」(セリフはうろ覚え)

(哲学の例)
例1:ニーチェ
「私は、人間に飽きた。私は、人に、人間を超えることを、超人になることを教えよう。だが、その前に、人間はもっと滅びなくてはいけない。」

例2:キルケゴール「反復」
「永いあいだには、一般者についての果てしない饒舌に、退屈で味も香りもなくなるまでに反復される一般者そのものに、人は飽いてしまいます。そこに例外が生まれるのです。」
「(例外者は)いわば自分自身を破滅させようとしたその瞬間に人世から赦免されて、辛くも正当な権利を与えられます」
「彼はそれまでとは全く違った一貫した態度と不動心をもって行動したでしょう。」
「いわゆる現実は、いっそう深い意味で、彼にとってなんら重要な意味をもたぬものになるでしょう」

以上、アニメも哲学も、みんな言っていることは同じです。
周囲に流されずに、自分で価値観を創造するには、流されることに飽きることが必要なのかもしれません。

その意味では、今回の反日デモの成果を最大限に生かすには、映画の「芙蓉鎮」の5時間バージョン、
あの主人公夫婦がその後日本料理店を開くが、今度は反日デモでつぶされるというストーリーを描くのがよいのではないでしょうか?
さすがに、見ている人は皆あきるでしょう。
そして、新たなる関係の創造を模索するのではないでしょうか?

本当は、それこそ、歴史の「新しい」教科書の役割だと思います。
戦いの歴史、無知の歴史、復讐の歴史は、もう数千年続いているわけで、それを読んだ読者が、それ以上読むことに飽きること。自分もそれに加わることに飽きさせることこそ、歴史学の使命でしょう。
(→大学での専攻は歴史だったもので・・)

実践方法として、私がまず作ってみても良いのですが、読んでて飽きてしまう本を作り、しかもそれを世界に普及させることが可能なのか?ウーム。みんな、飽きてしまって誰も読まないでしょう。
このへんは、今後の検討の課題としましょう。

このへんに対し、ロボットアニメの戦争の繰り返しはどういう貢献ができるでしょうか。
(ザンボット3は飽きてしまい、厭戦感十分でしたが、ガンダムは飽きさせなかったなー)

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April 23, 2005

私のエヴァグッズ1(ロンギヌスの槍フォーク)

これは、私の思い入れのあるエヴァグッズを紹介するコーナーです。
記念すべき第一回は、「ロンギヌスの槍」フォーク。
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これは、その名のとおり、ロンギヌスの槍の形をしたフォークです。
私は、これは通常使いません。
よほど高級なケーキでも食べることになった場合のみ、おもむろに取り出し、使用することにしています。

そう言うと、とても大切にしているように思われるかもしれません。

そういうわけではなくて、実は、このロンギヌスの槍フォーク、あまり使い勝手は良くないのです。
というか、むしろとても食べづらいのです。
もし、再販されることがあれば(ってないでしょうけど)、是非改良してほしいところです

食べづらい理由は、先端が大きく二股にわれているためと思われます。

さらに、「これじゃ、量産機も弐号機食べづらかっただろう」とか、「生命の樹みたく根っこが生えてこないだけましか」、とか、くだらないことを考え始めると、食欲自体が減退してきます。

ATフィールドを破る時のように、らせん状に絡めてもう少し間隔を小さめにするとかなんとか工夫がほしいところですが、そうするとかなり不気味なフォークになってしまい、それもまた、食欲を失わせる可能性があるところが、難しいところです。
かといって、本当に槍状にしてしまっては、巨大なつまようじと化してしまうでしょうし・・

どうのこうのと悪口を書いてきたフォークですが、嫌いというわけではなく、残念に思っているのは、むしろ、買いだめしなかったことです。
せめて、3~4本でもあれば、お客様が来たときにもお出しできたなーと思います。
もっとも、何故このフォークがこういう形なのか、わかる人は小数でしょうし、食べづらさから考えて、お客様には出せないかもしれません。

さて、いつの日か、バンダイミュージアムにあるガンダムのレストランのように、エヴァンゲリオンのレストランがどこかにできることがあれば(ってないでしょうけど)、その時は、是非とも改良されたロンギヌスの槍フォークを量産して完備し、「完成していたの?(by アスカ)」とわれわれを驚かせてほしいものです。

その日がくるまで、私も、たぶん、このフォークをどっか台所の片隅の手の届かないところに追いやって、使わないようにし、「(快適に食べることを)優先しました。やむをえない事象です(byゲンドウ)」と一人で納得していようかと思います。

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