June 17, 2006

正しい解釈について

これまで様々なアニメの解釈を行なってきました。
解釈にもいろいろあって、物語を理解するのに必要と思われる解釈もあれば、理論(フロイトやユングなどの精神分析系、構造分析などの文化人類学系など)を試す実験として行なった解釈もあり、なかには、遊び心だけで作った冗談のような解釈もあります。(例:作品批評の理論について)

解釈のポイントは、とにかく、ある視点でみれば、こういう理屈付けも可能なのではないか?という論理的一貫性です。

なかには、作者ですら絶対に考えてないことが明らかなケースでも、無理やりどこまで解釈可能か試した例もあります。

また、「エヴァンゲリオン」のように、監督自ら、「正解」や「真実」の存在を否定しているケースもあります。

「正解」がないと言われていても、なぜ人は(今回のケースでは私個人ですが)、解釈により論理的整合性を持った「真実」を探ろうとするのでしょうか?

現在公開中の映画「ダ・ヴィンチ・コード」は、典型的な、ひとつの謎の解釈です。(参照:ダ・ヴィンチ・コードのページ

キリストとマグダラのマリアは結婚していたのか?子供はいたのか?秘密結社は存在するのか?レオナルド・ダ・ヴィンチは作品にどういう意図を込めていたのか?そして、ルーヴルで起きた殺人事件の意味は?
これらの謎をすべて結びつけるとどういう解釈が生まれるのかが、作品のポイントとなっています。

それに対し、同じテンプル騎士団を扱ったミステリーである「フーコーの振り子」の著者であるウンベルト・エーコ(もともと記号論の学者です)は、人間の解釈の力そのものに疑問を呈しています。

テンプル騎士団の謎を扱った「フーコーの振り子」といい、黙示録のとおりに連続殺人事件が起こる「薔薇の名前」といい、その真のテーマは、ある事象に対して、無理やり論理的に「正しい」解釈を行なおうとする、人間の思考そのものを批判することを目指しているような気がします。

その意味で、数千年の謎を統一的に解釈しようとするダ・ヴィンチ・コードと、同じようなテーマの解釈を行なう「フーコーの振り子 」とは、同じく「謎」に対する「正しい解釈」をテーマとしながらも、正反対の視点にあるといえるでしょう。

数千年間に起きたAという事件(例:キリストの処刑)、その千年後に起きたBという事件(例:テンプル騎士団の処刑)、現代に起きたCという殺人事件に、論理的整合性を持った解釈を生むことは可能であるが、それが「真実」といえるのかどうか?

推理小説ふうに別な言い方をすると、同じ場所で黙示録に沿っておきたAという殺人事件とBという殺人事件と、Cという殺人事件。この3つは、関係するのかしないのか?(薔薇の名前はこっちの路線)

エーコの著書は、推理小説というジャンルそのものの否定を行ないながら、人間の論理的思考の限界を示しているような気がします。

私は、現実社会の解釈としては、ダ・ヴィンチ・コードのように、謎の一貫性を求めたり、私自身のアニメ解釈のように、作者が否定していてもとにかく一貫した論理性を作ろうとするものよりも、エーコのように、人間の解釈の限界性・・・つまり、いくら正しい解釈を作ろうと、所詮それは事実とは無関係なものでしかない、という認識の方が正しいと思います。

さて、数年前、ニューヨークのテロで、ビルが爆破されました。
あの事件は、どう解釈するのが正しいのでしょうか?

エーコは、ひとつの意見を発表しました。
それは、(よく覚えていないのですが)イスラム社会とキリスト社会の対決という解釈だったと思います。

私はがっかりしました。
あれほど、人間の「解釈」の限界を示し続けていたエーコが、いざ、現実の社会の解釈を行なったとたん、「イスラムVSキリスト教」もしくは「アラブ社会vs西洋文明社会」みたいな、とても多くくりな「解釈」しかできなかったことに、驚かされたのです。

イスラム教徒にしたって、アラブ世界にしたって、様々な人や立場があるだろうに、なぜ、ごく一部の組織の行為を、そこまで広げてひとくくりに解釈してしまえるのだろうか?と思いました。

日本の歴史でいうと、「なぜ日本は戦争したのか」という問いが同じような意味を持っていると思います。

そもそも、開戦当時における、「日本」とは誰なのか?
「日本」が戦争を開始したのか?その時の「日本」とは誰で、どのような「ロジック」で、戦争を開始したのか?

私自身が調べた範囲では、当時、誰ひとり、個人レベルでは、「ロジック」で戦争をやろうとした日本人はいませんでした。やっても負けることは誰でもわかっていました。それが、組織としての動きになった途端に、誰の意思でもない方向に動くことになりました。(戦争の発端参照)

このへんの解釈は、エーコよりも、むしろ、富野アニメの方が優れていると思います。
富野アニメでは、敵との戦いよりも、むしろ、仲間との内輪もめや、ライバル心が多く描かれます。
また、ひとつの国や民族が起こす戦いが、集団的なロジックではなく、個々人の様々な意識(嫉妬や、個人的な欲望や、利害など)の積み重ねにより、結果として、誰も意図していない方向に組織として展開していく様子がよくわかります。

これは、企業などで働いていると、誰でも実感できるのではないでしょうか?
ライバル会社打倒!などと考えている人はわずかで、ほとんどの場合、そこで人々の意思決定の原動力になっているのは、愛社精神などではなく、従業員ひとりひとりの、個人的な利害・損得・出世欲などです。

立派な企業が、時として意味不明な失敗を平気で行なうことの一因も、もしくはひとつの国家が失敗するときの一因も、同じことでしょう。

このように、組織が絡むと、「正しい解釈」は大変難しくなってきます。

「それはね・・でも、お父様のおっしゃりようは理想すぎます。組織そのもののもつ悪癖を知らなすぎます。」(小説版「ガンダムF91」より抜粋)

組織の意思決定をどのように解釈するか?

「組織と個人の軋轢を見上げる少年を通して人の意識の膠着性を見る」・・Zガンダムの企画書より

話かわって、富野アニメでは、常に、組織と個人のせめぎあいがテーマとなるのに、宮崎アニメでは、なぜ、組織はテーマとはならないのでしょうか?

宮崎アニメでは、主人公は、つねに、組織から外れています。
おそらく、宮崎駿監督のお父さんが、日本軍時代、上官に泣かれながらも戦争を拒否し、日本国内で工場長をやり、のうのうと、女遊びをしながら(?)暮らしていったことと関係があるような気がします。

日本国全体が、多数の死者を出しながら戦争の泥沼にはまり込み、地獄のような状態におかれるなかで、さっさとそれを放り出して、やりたいことをやっていた父親。

おそらく、宮崎監督にとって、父親の存在は、「戦争により一丸となった組織」のリアリティのなさを明示するとともに、組織から外れる生き方を示すヒントにもなっていたのではないでしょうか?

さて、話を戻しますが、人間の思考能力には限界があり、個人の集合体としての組織をイメージすることは難しいし、逆に、結果的には、組織としてどういう行動を行なったのかという理解の方が個人に目を向けるより、はるかに意味を持つ面は確かです。(戦争のように)・・・思考の欠陥①

もうひとつの人間の思考能力の特性として、無理やりにでもいくつかの事象に論理的な整合性をつけようという傾向があります。(ダ・ヴィンチ・コードや私のアニメ解釈のように)・・思考の欠陥②

この2つの思考の陥穽を通り抜け、なおかつ、事実の羅列以上に、事象の理解に有意義な貢献をなす理解というものができれば、それが、現状ではもっとも「正しい解釈」に近いのかなーと思いますが・・なかなか難しいですね。

たぶん、人間の思考の根本的な特徴に逆らうことになるのでしょう。

アニメ分析でも企業分析でも、小説や政治の分析でも、なんでもいいから、そういう解釈を見てみたいし、自分でもやってみたいのですが・・

経済学における、個人の欲望を関数化して、その集合体として市場の動きを捉える考え方など、アイデアとしては面白いのですが、あれはあれで現実を捉えるのには難しい方向に突っ走っている気がしますし・・

たぶん、個人に焦点をあてて組織を考えるという点では正しいのですが、無理やりにでも事象をモデル化して考えている点がまずいのかもしれません。(つまり、思考の欠陥①は数式モデルで突破したが、そのぶん、数式モデルで一般化され、思考の欠陥②にずっぽりとはまっているというか)

ロジックで謎を解明する伝統的な「推理小説」というジャンルや、事件の動機を重視する犯罪の「捜査方法」が、エーコが様々な作品を出した80年代から揺らぎ始め、かわりに「FBI心理分析官」や「羊たちの沈黙」のような、動機無しの連続殺人に注目が集まり、「解釈」よりも事実の結びつきの発掘(データマイニング)に焦点が移ったことは、90年代以降、(パソコンの高性能化に伴って)企業のマーケティング手法でデータマイニングが取り入れられていったこととも関係があるようなないような・・
ともかく、「犯罪」や「マーケティング」など現実社会においては、「解釈」では限界がある事象に対し、事実データの結びつきの方が、重要な分析結果をもたらす例がいろいろと登場してきているということでしょう。

ここまで書いていて思ったのですが、これ以上、解釈の理論を「解釈」してみても、あまり進展なさそうなので、今後は時々、アニメなり企業なりの具体例を用いながら、ひとつひとつ丹念に分析しながら、考えてみたいと思います。

(参考)今回取り上げた作品

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February 08, 2006

作品批評の理論について

先日頂いた、れおさんからのコメントに基づき、私が利用してきた批評理論についてざっとまとめてみます。

そもそも、批評理論を意識的に使おうと思ったのはいつだったでしょうか・・

エヴァのページを作ったとき、「自分はアニメ相手にどこまではまるんだろう・・」などの考えが浮かびました。しかも、監督からは、映画にて現実に帰れメッセージが送られ、一方、苦労して作った解釈も、ビデオ版発売でまた若干内容が変更されていたりということもあり、何のために時間かけて謎解きなんてやってるんだろうと思いました。

その時考えたのが、「いっそ、ありとあらゆる批評・分析理論をエヴァンゲリオンにあてはめてみたらどうだろう?大体、日本の学者は欧米の理論を翻訳するだけで、実際に上手く使っている人など見たことないぞ。自分がここで様々な批評理論の適用例を作れば、後に続く若い人たち(?)にも参考になるだろう。」

というような気持ちで、「エヴァンゲリオンによる批評理論の教科書構想」を考えたのでした。各学説の理論の説明もあわせて書いて、ひととおり読めば、大学で学ぶ人文教養課程以上の批評理論が身につく(?)というものでした。しかも、基礎知識はエヴァンゲリオンというアニメを見ることだけ。

残念ながら力つきてこの構想は実現しなかったのですが、痕跡は私のページのあちこちに残っています。エヴァページのみならず、他のアニメページ全てのコンテンツも使って構想を再現すると・・

1.精神分析

<フロイトの理論の適用> シャア・アズナブルの分析。フロイトの理論を適用することで、シャアの、「ガンダム」「Zガンダム」「逆襲のシャア」の行動に一貫性を持たせると共に、典型的なアニメキャラを、これ以上なく人間的にとらえることに成功した(?)

シャア・アズナブル専用ページのシャア・アズナブル論参照

また、エヴァでもフロイトを引用しているところがあり、「父殺し」「エディプス・コンプレックス」などの論点で書けば、それなりに面白いものが書けるかもしれない。

いや、そもそも、エヴァでフロイトを使うなら、「タナトス」に代表されるような死の理論でしょうか?映画のテーマでもありますし。

そういえば、私も、リビドーとデストルドーを使った文章も書いていました。(ATフィールドの理論ほか)

<ユングの理論の適用>精神分析によるエヴァンゲリオン。ユング理論のエヴァへの適用は2パターン考えていて、ひとつはこの論文のように、人類の精神史と幼児期の精神史を重ね合わせたもの(途中で放棄)。

精神分析によるエヴァ参照

もうひとつは、使徒がカヲルにまで至る経緯を、ユングの夢や童話の分析における、敵への気持ちを変えることで、実はそれが自分の一面であることに気付くという理論を適用したもの。これは素晴らしい論文になるような気がしていたが、残念ながら未執筆。

<レインの理論の適用>エヴァで引用されているので、これを使うのが本当は素直なんだろうと思いつつ、まだ書いてません。

2.文化人類学

<レヴィ・ストロースの神話分析の適用>これは、エヴァのTV最終回と映画をベースに、理論を忠実に適用したもの。面白みのある分析になったと思っている。ただし、なぜこの理論が成り立つのかは、誰にも不明(レヴィ・ストロース本人にも)。おそらく、民話や神話からアニメ製作まで、人間の想像力には一定のパターンがあるということなのだと思うが・・

エヴァの構造分析1

エヴァの構造分析2

<E・リーチの神話分析の適用>これは、エヴァのテーマ理解のために、神話のテーマ理解の手法をあてはめたもの。

エヴァンゲリオンというメッセージ

<日本の民俗学>手法というほどのものが見当たらず。ネタとしては、柳田國男や南方熊楠などところどころで引用したが・・

片目の美少女

3.哲学・・手法というより、世界の解釈ですが・・

<プラトン>これは、ガンダムに使えそうと思いつつ、今のところは以前ブログに書いたシャアとのからみのもの。

ガンダムによる民主主義のモデリング

<ニーチェ>これは、ボトムズそのもの。ひとことも書いてませんが、ここでのボトムズ批判の根底にあるのはニーチェの理論です。TV版ボトムズにはニーチェの引用もされており、相性もいい。あまりに相性がいいと、理論の説明は不要となります。

ボトムズ論

また、逆襲のシャアもニーチェを引用しており、相性はいいはず。いずれ書く予定。

ブログで小ネタとして書いたこともあります。

ニーチェとナチズム・ガンダム・ボトムズ

<キルケゴール>エヴァ16話の題名の元ネタ。ただし、あまり面白いものが書ける気がしなかったので、書かなかった。

<マルクス>シャアとの相性が良さそうなので、ときおりブログなどで書きました。いずれ本格的に書く予定。

シャアとマルクス

<ベルクソン>ひとことも書いていませんが、エヴァのメッセージ分析の第四章は、まともにベルクソンの哲学そのものです。もっとも、書いてあるのは、エヴァのセリフと監督の言葉ぐらいですが・・。あまりに相性がいいとこうなります。

エヴァンゲリオンというメッセージ第四章

<ドゥルーズ>マンガ版ナウシカの解釈には必須だろうと思ったものの、生命論でとまっている。文章も下手なので書き直し予定。現状では、とりあえず、いくつか著作から事例を引用しているレベル。いずれ本格展開する予定。

ナウシカ論 第一章 生命論

4.歴史学

<アリエス>よく考えたら読んでないが、「子供の誕生」のコンセプトが面白かったので、真似して、エヴァにいくつか軽く適用。

エヴァンゲリオン史

5.文学

蓮實重彦先生)>私は彼のゼミに一時参加していた経緯もあり、若干(結構?)影響受けている。彼の表層批評理論に近いような気がしていたのは、イデの解明。

ただし、軟弱にも、富野監督の発言なども引用し、証拠固めを行っている点、表層批評に徹していない。

イデオン論

6.企業分析 これは、多少なりとも仕事の経験を生かそうとしたもの。批評理論ではないが、今後は増やして生きたい。

日本航空とZガンダムとエヴァの保守について

ほかにもいろいろあったような気がしますが、ぱっと思い出せるのはこんな感じです。

理論の間接適用まで含めると、もっとも偉いのは、どうのこうのいってもフロイトだと思います。とくに、製作者の深層心理含めての分析となると、強力なツールとなります(話が長くなるのでまた別途)

キャラでは、シャア。彼はプラトンともフロイトともニーチェともマルクスとも相性がよく、シャアによる教科書構想まで考えたほどでした。

いずれ、それぞれの理論の解説も並べ、批評理論の教科書構想を実現させたいなーという気はしています。

また、以前考えたシャアによる教科書構想も、いい加減造り始めようかなーという気もします。

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