以前から作ろうとしている、バイストン・ウェルのページに載せるコンテンツの一つとして、以下の文章を書きます。
認識の哲学としての富野哲学
富野哲学とは、認識の哲学である。
その認識論のテーマが最も追求されていた時期は、機動戦士ガンダム、伝説巨神イデオン、聖戦士ダンバインといった作品群の時期である。
この論文では、認識論としての富野哲学が、この3作品でいかにテーマを追求し、展開をとげ、そして挫折していったのかを考証する。
1.機動戦士ガンダムにおける認識論
機動戦士ガンダムにおいてのテーマは、人間の認識はいかに変わりうるかということであった。
その基本的なアイデアは、地球という狭い環境に存在する人類が、宇宙という広大な環境に移動したとき、その認識力は変わらざるを得ないだろうということであった。
その空間的な変化に対応する認識の力の変化は、作品中ではニュータイプと呼ばれた。
それは、空間的な隔たりにかかわらず、お互いが、そのまま理解できる力として構想された。
「広大な宇宙空間で通信するのに必要なコミュニケーション能力が、オーラ力のテレパシーとして開花するのではないか。
つまり、大脳皮質がフルに働き出したために、広大な宇宙でスムーズに人を誤解なく理解できるようになった人、それが「ニュータイプ」なのです。」
2.伝説巨神イデオンにおける認識論
機動戦士ガンダムにおいては、認識力の強化は人間を「わかりあえる」存在にしうるとされた。
しかしながら、翌年、富野監督は、認識とはそもそも何なのかをもう一度改めて考え直した。その結果が伝説巨神イデオンである。
ここで富野監督がたどり着いた結論は、以下のものである。
・人間の認識は、3歳前後で固まってしまい、それ以降は変化しないということ。
・人間の認識力は変化しない以上、人は「わかりあえない」ということ。
つまり、機動戦士ガンダムの結論は180度変わったのである。
・人間の認識力が変化する時期は、赤ん坊~幼児期、睡眠時、死後のみであるということ。
これらのことを表現するために富野監督は、「イデ」という概念を使った。これは、富野監督の表現では、「認識力の集中した場所」ということである。
「所詮イデはイデでしかなくて、一口に言いますと、<知的生物の認識力の集中した場所>だと思ってください(富野監督アニメック53号インタビュー)」
「やはり、イデは実在ではなく、”知性の認識”が共振する”場”と考えたい。(イデの発現についてのメモ)」
なお、これらのイデの概念についての詳細は、イデオン論を参照のこと。
3.聖戦士ダンバインにおける認識論
ガンダムで認識能力の変化の可能性を描き、イデオンで認識の力そのものをテーマにした富野監督は、ここにいたり、さらに野心的な追求を行うことにする。
それは、そもそも認識というものが、どのようにして発生するのかという点を追求することであった。
そのためにバイストン・ウェルという世界を仮定する。
ここは、人間が、生まれてからものごころがつくまでのわずかな間、表現を変えれば認識力がつくまでのわずかな間が、バイストン・ウェルなのである。
「バイストン・ウェルのことを覚えているものは幸せである」
このバイストン・ウェルという世界と、地上の世界(いわゆる現実世界)を対比させることで、象徴的に、人間の精神構造の発達史(つまり認識能力の発達)を描くことが、この作品のテーマであった。
・・以下、続く・・・
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