前回の続きで、まずは少年についてです。
コナンを筆頭とし、パズーを最後とする、あの、常に明るく前向きな少年のモデルは誰であったのか?
実は、これは意外に簡単で、宮崎駿監督自身の少年時代の、「影」です(ゲド戦記ふうの言い方をすれば)。
これについては、本人が、そう言っているインタビュー記事がありましたので、ホームページに書き直すさいは、ちゃんと出典含めて引用します。
もう少し具体的に書きますと、宮崎駿監督は、少年時代、非常に暗く、元気がなかったそうです。(ちなみにこれは、本人の認識。兄弟の認識では、結構元気だったようですが)
だからこそ、自分が少年像を描くさいに、「少年はこうあってほしい(自分もこうありたかった?)」というような、理想的な少年像になってしまうということでした。
明るくて、純粋で、前向きで、元気で、パワーがあって・・
さて、この話は、これで終わることもできるのですが、若干寄り道してみます。
宮崎駿監督が、自分の作品の主人公を、現実の自分自身の反動、理想像として、描いたということ。
これは、先ほどもちょっと書きましたが、ゲド戦記でいう「影」みたいなものだと言えるでしょう。
もしかすると、宮崎駿監督が、ゲド戦記にあれほど入れ込んでいた一因は、この「影」という設定に魅かれたのかもしれません。
さて、宮崎駿監督は、自分の息子の悟郎少年が、思春期に入る頃から、(誰でもあるように?)闇の部分を抱え始めたことに気づきました。
こうなると、自分の少年時代をベースに、反動としての理想的な少年像ばかり描いてもいられなくなります。
自分の子供が闇の部分を持ち始めた以上、むしろ、闇を抱えた少年を主人公としなくては、息子の指針にもならないだろうということです。
こうして、理想的な少年よりも、むしろ闇を抱え、それと対峙する少年像を作ることを考え始めました。
そこから、「呪われた運命の少年 アシタカ」という主人公のイメージが生まれます。
ところが、企画が「もののけ姫」として実現するまでに15年ほどかかってしまったために、悟郎少年もとっくに成人し、「呪われた少年」の理由についても、なんだか意味が不明となり、結果として、
宮崎駿監督コメント「不条理に呪われないと意味がないですよ。だって、アトピーになった少年とか、小児喘息になった子供とか、エイズになったとか、そういうことはこれからますます増えるでしょう。不条理なものですよ」
とインタビューで一般論として答えることになりました。
その後、今度は逆に悟郎監督が映画を作るさいには、「ゲド戦記」を選びます。
ここで注目すべきは、いきなり父親を刺し殺すという、「心の闇」全開の主人公を造形したところです。
これでは、駿監督が悟郎少年の闇に気づいた20年前から、思いのほか変化していなかったと言えるかもしれません。
この点は、父親が偉大すぎたためか、それとも、鈴木プロデューサーが自分で言っているように、最初にイベント持ってきたくて指示(アドバイス?)した要素が大きいのか、よくわかりませんが。
宮崎吾郎監督コメント「主人公の心の闇を強調するため、影を主人公としてみました。」
以上、宮崎駿監督と悟郎監督の「心の影」を軸に、なぜ駿監督作品の主人公はあんなに純真で理想的に明るく前向きなのに、悟郎監督の主人公がああいう「闇」だらけの人物になってしまったかという読解でもありました。
後で、ホームページでまとめなおすときには、もうちょっと論旨を明快にし、引用元も含めて書き直そうと思います。
とりあえず、上記の経緯について、もう少し知りたい方がいたら、私のホームページでは以下の2点を参照ください。
もののけ姫のページの、もののけ姫QA2「なぜアシタカは呪われなくてはならなかったのか」
ゲド戦記のページの、映画ゲド戦記FAQ1「2人のアレンはどういう関係なのか」
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