映画「ZガンダムⅢ 星の鼓動は愛」の感想および、映画Zガンダム論アップ
先週の日曜日、映画「ZガンダムⅢ 星の鼓動は愛」を見てきました。(公開2日目ですね。)
Zガンダムのホームページを作ったときの願い(?)もむなしく、最後まで、昔の「機動戦士ガンダム」のときのような大ブームにはなりませんでしたが、まあ、それなりにお客もいたような気もしました。
映画館では、子供(および子連れの親)の行列がドバーッと並んでいたので、「おおっ、もしや皆Zガンダム観に並んでいるのか?」とあせったのですが、並んでいる先は「ドラえもん のび太の恐竜」でした・・(ウーっム、これもなんか私が小学生の時やっていたような記憶が・・)
4歳児つれてZガンダム観にきている親は、パッと見では私ぐらいしか見当たりませんでした。「恋人たち」はあまり今回も見なかったなー・・少しいたけど。
さて、映画の感想については、今回はブログに書かず、直接Zガンダムのページに、ZガンダムⅢ 星の鼓動は愛の感想をアップしたのと、同時に、映画Zガンダム論も書きました。
これは、今回は、「誰も知らない衝撃のラスト」という宣伝文句だということを考慮し、不特定多数に目が触れるブログではなく、読みたい人だけ見る感じのホームページに書いた方がいいだろうと思ったからです。
私の映画Zガンダム論は、おそらく、素直にラストに感動した人よりも、そうではなかった人にこそ、ちょっと見て欲しい気がします。こういう視点もあるよということで・・(相当偏った視点かもしれません)
普通に、「良かった、感動した!」と思った方には不要な視点かもしれません。
それはともかく、この1年、どうのこうのといいながら、新訳Zには楽しませてもらいました。
やはり、子供時代(中学生)にインパクトを与えた作品が、この歳で再び気合を入れて再作成されているのを見ることは、うれしいものです。(もっとも、「のび太の恐竜」にはさすがに行きませんが・・)
Zガンダムをひさしぶりに全話見返したり、Vガンダムのホームページ作ったり、今度はターンエーガンダムのページも作るし・・久しぶりにガンダムにはまった1年だったといえるでしょう。
思えば、Zガンダムが初めて放映された時の最大の衝撃は、「アムロが主役ではない!!」という、信じられない出来事でした。
しかし、今思えば、ガンダムシリーズの最大の勝因はあそこにあったのでしょう。
もし、あそこでまたアムロを主役にしたシリーズを作っていたら、「ガンダム=アムロの物語」に固定化され、後の様々な作品を生み出すことはなかったでしょうし、最悪、「宇宙戦艦ヤマト」のように、何度もアムロとシャアが対決したり、協力したり、生き返ったり(?)といったシリーズになり、いずれ飽きられたことでしょう。
つくづく、「機動戦士ガンダム」のキャラを脇役にするという構想は、卓見だったなーと思います。
さて、私のZガンダムのページは、今後も、考察や資料のアップを続けていくつもりです。映画3本続けてみれば、また違った発見もあるでしょうし・・
しかし、Zガンダムの映画も終わり、Vガンダム論も二章まで書き終えたことを踏まえ、今後は、先ほども書きましたが、ターンエーガンダムのページを作ろうと思っています。
ガンダムシリーズを全否定も全肯定もする作品・・というのではなくて、富野作品全てを全否定も全肯定もする作品・・という視点で作れたらなーと思っておりますので、公開時には、そちらもよろしくお願いします。




Comments
初めまして。(だっけ?yasuakiさんのブログ・HP読むのは以前から読ませて頂いているので、もしかしたら以前に一度コメントしたことがあったかもしれないですが)
「映画Zガンダム論」も拝見しました。私はこれまでTV版も映画版もDVDで買って観ているので3はまだ観てはいないですが、yasuakiさんの詳しい解説で、なるほどなと色々納得させられることがありました。
相変わらず、富野監督は「(作り手としての受け手に対する責任を)引き受け過ぎ」で、それは好感が持てますが、一方で今回のNew Translationでラストでカミーユが壊れなかったということだけで監督のメッセージ伝わるのかな・・と疑問にも感じました。
TV版の内容も、監督の性格も全て把握してる上でないと、それは分からないかなと。
もっとも、以前TV版にハマって今親になってる団塊Jrからそのちょっと下ぐらいまでの世代の人達の中にそのメッセージが伝わればいい話で、今回の映画版で初めてZに触れる子供達は深く考えず「消費」してくれていい、のかもしれないですけど。
Posted by: ncd108 | March 11, 2006 at 11:24 AM
そうなんですよね。いわゆる、娯楽として多数の人に消費して欲しいという気持ちと、結構深いところでいろいろ考えたり悩んだりしているところを伝えたいというのと、両方あるような気がします。
今回、富野監督は、本当に多数のインタビューでZガンダムの映画の宣伝に努めていたのですが、「今の若者は」「今の日本は」といった表現が多く、自分の病気の話には、全く触れていませんでした。
映画パンフの言葉など、実際は自分の病気のことを念頭に書いているんだと思うのですが、非常に抽象的な言い方ですし・・
たぶん、自分の病気と関連づけしてZガンダムを見られるのは嫌なのかなとも思います。
(私が書いたのは、まさにその視点であり、そう捉えると、全てのインタビューの発言がきれいに理解できるのですが・・)
まあ、今回私が書いた映画Zガンダム論は、富野監督本人が、そのような視点で見て欲しくはなさそうな視点で、あえて解釈した論文ということで、参考までに読んでいただければと思います。
Posted by: yasuaki | March 13, 2006 at 12:26 AM
トラックバックして、ご挨拶が送れてすみませんでした。読ませていただいてすぐ書き始めたのですが、昨日二度目を見てきて、ブレがないのを確認して投稿しました。監督が嫌がる視点と言えば、私はもっと容赦ないことをしてしまってるのかもしれないんですが・・・。「最後は年寄りの説教でした」ということで、後進たちに向けたメッセージという部分が大きいのかな、とも思っています。
Posted by: 囚人022 | March 13, 2006 at 09:03 AM
私の映画版Zガンダム論、かなりの長文ですが、詳細に読み込んでもらい、ありがとうございます。
私も、今回の映画は、メッセージ性が強いと思います。(TV版もメッセージあったのでしょうが、あれでメッセージと言われても・・)
娯楽性という意味では、TV版と似たようなものですが、TV版の陰湿(?)な感じがなくなった分、随分見やすくなった点は良かったのではないでしょうか。
Posted by: yasuaki | March 19, 2006 at 12:47 AM
劇場版Zの感想ってどんなのかなって検索しているうちに、ここを見つけ、楽しく読まさせていただきました。
はっきりいってZのテレビ版は、なんか嫌っていうのが実感です。映画を観る前に久々にテレビ版を見直したけれども20話前後で断念してしまいました。
それに対し劇場版はとても気に入っています。
表面的にはZだけれども、その奥にターンエー的な視点があり、それが好感の原因かもしれませんね。
Posted by: わんこ | March 21, 2006 at 12:32 PM
わかります。その気持ち。
テレビ版のZは、ちょっと嫌な感じがあるんですよね。
劇場版は、たしかにターンエーに通じる視点がありそうですね。
劇場版を3本続けてみると、劇場版ならではの新たな発見がありそうで楽しみです。
Posted by: yasuaki | March 23, 2006 at 12:32 AM
初めてコメントさせて頂きます。
映画Zガンダム論、非常に興味深く拝見しました。
この作品の結末は、変えたというよりも「変わった」こと。(主人公の性格の設定を変えることによって。)
そして、「変わった」という展開に持っていけたことに意義がある、という事の凄さを改めて実感してます。
ところで、1つ疑問に思っていることがあります。もしよろしければ、ご意見を頂けるとありがたいです。
(長文になるかもしれません。ご迷惑になる場合は削除してください。)
何かというと、カミーユを精神崩壊に追い込んだ(と私が解釈している)
下記やりとりが、何故省略されてしまっているかという点です。
シロッコ:「ただでは死なん。お前も一緒に連れて行くぞ。」(青い光が体からほとばしる)
カミーユ:「青い光が、広がっていく。。。」
たしかに、精神的に追い詰められていた点は、TV版と同じだと思います。
しかし、最後のトドメは、やはりシロッコが出す思念波だったと解釈をしています。
映画版zガンダムでの結末が変わる以上、シロッコの思念波からどう立ち直るのかを描いて下さるものと思っておりました。
何故、監督は描かなかったのか。皆様の解釈を教えて頂けると幸いです。よろしくお願い致します。
P.S. 映画版zガンダムを否定的にとらえている訳ではありません。
そこは、ご了承下さい。
Posted by: カンタービレ | April 10, 2006 at 01:41 AM
私も、最後のシロッコの思念波の表現がどうなるかは、今回の映画の最大の見所のひとつでした。
小説版では、シロッコの思念波無しにカミーユは崩壊するとか、ラストより前からカミーユはおかしくなっているとか、いろいろありますが、カンタービレさんの言うとおり、やはり、TV版のカミーユにとどめを刺したのはシロッコの思念だったと思うからです。
もっとも、個人的には、あのへんの表現自体が全部削られると考えていました。
なんといっても、結末が変わるのだから、あの思念を浴びるわけにはいかないだろうと・・
それで、正直言って、シロッコが思念を放ち、しかもカミーユがそれを受けるところまでTVと同じなのにちょっとびっくりしました。
そこで、私の個人的な解釈ですが、映画版Zガンダム論に書いたことの延長です。
つまり、シロッコの思念波はTV版と変化せず、カミーユに起きる様々な出来事も変化しない。
ただし、カミーユ本人のこころのスタンスがTV版とは微妙に変化していたために、シロッコの思念波の直撃を受けてさえ、カミーユは崩壊から免れることができたのだ、と。
もっと細かく言うと、おそらく、カミーユはTV版同様、一瞬、おかしくなっていたのだと思います。
ただし、その直後にファが来てくれた。それで、TV版とは違った意識を持ったカミーユは、ギリギリのところで戻ることができたのだと思います。
人はわずかな意識の違いで、精神を崩壊させずにすむという、富野監督の病の体験をベースにした表現を、可能な限りリアルに表現すると、あのようになったのではないでしょうか?
(富野監督の精神の病がもっと大きく、入院レベルに到達していたら、映画版のラストも、ZZガンダム版のカミーユに近くなり、精神崩壊からの回復がじっくり描かれることになったのかもしれません。たぶん、ギリギリのところで踏みとどまった、というのが、映画版のカミーユ同様、富野監督の病状そのものに近いのだと思います)
Posted by: yasuaki | April 12, 2006 at 10:50 PM
丁寧なコメント、ありがとうございます。
映画の解釈に関するコメントについては、後述
します。まずは、もう少し広いところで感想を
書かせてください。
私は、この映画版Zガンダムを観て
「久々に、中身の詰まったアニメ作品を観た」
という感想を持ちました。
どういう意味で「中身の詰まった」といいますと
「きちんと今という時代を映し出している。
尚且つ、今という時代の問題に対して、前向きな方向性を描き出せている。」・・・・①
という意味です。
先日、NHKの「プロフェッショナル 仕事の流儀」
という番組に、ジブリの鈴木敏夫プロデューサーが出演していました。
そこで、鈴木さんが下記のことをおっしゃっていました。
「映画は、時代を映し出すもの。」
(正確な表現ではなくて、申し訳ないです。)
私は、アニメーションという分野は、今という
時代を映し出す媒体として、もっと使われるべきだと考えています。
(そのように真剣に取り組むクリエーターが増えて
欲しいといいますか。)
映像表現としても凝ることが出来る分野です。
(例:押井監督の「立喰師列伝」)
でも、上記①のような正統派の作品がもっと
増えて欲しいと願うばかりです。
さて、何故シロッコの思念波を受けた部分を
書かなかったの解釈ですが。。。長くなって
しまいましたが、書いてよろしいでしょうか?(苦笑)
>管理人様
Posted by: カンタービレ | April 15, 2006 at 02:33 AM
宮崎監督や富野監督のインタビューを読んでいてよく思うのは、今がどういう時代で、今後はどうあるべきか、そこで自分は何を作るべきかということを凄く考えているなーと思います。
それはともかく、シロッコの解釈、いくら長くなってもかまわないのですが、もし、すごく長いようでしたら、いっそ、Zガンダムのページに載せましょうか?(アクセス少ないページなので、コメントもないとは思いますが・・)
ガンダム系って、エヴァ系と違って、あまり評論とか解釈ってないんですよね・・
Posted by: yasuaki | April 15, 2006 at 10:21 AM
ちょっと長くなると思います。
移してしまってください(笑)
ところで、エヴァンゲリオンをちゃんと見た事がありません。(数話観たぐらいです。)
数話観た感想としては、心理的に非常に深い
部分を描いていると感じています。ガンダムというジャンルでは、エヴァンゲリオンほど
深層心理を描いていないため「解釈」のHPなり本が少ないのではないかと考えています。
ただ、アニメというジャンルに限らず、ガンダムの「評論」はもっと増えて欲しいなあと思う今日このごろです。
(ガンダムに関しては、解釈はどちらかというと細かい話になると思います。その場面が時代のどの部分を象徴し、
監督は何を表現したいのかという「評論」が、もっと増えて欲しいです。)
さて、何故シロッコの思念波を受けた部分を
書かなかったの個人的な解釈です。
実は、書きながら自分の疑問の設定を変えた方が
良いと思ったので、書き直すことにします。
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疑問1:何故、監督は、シロッコが思念波を放ち、カミーユがそれを受け取ってしまった場面を「明確に」描かなかったか。
個人的解釈:シロッコが思念波を放ち、カミーユがそれを受け取ってしまった「かどうかを」曖昧にしたかったため。
疑問2:何故、曖昧にしたかったのか。
個人的解釈:シロッコの思念波を、カミーユが受けたと「明確に」描いたら、すぐに立ち直るという展開にすることは
難しいため。
疑問3:何故、すぐ立ち直る展開にしたかったか。
個人的解釈:① ハッピーエンドで、この戦争が終わる展開にするため。
② カミーユが、ゆっくり立ち直るところを描くと、話が間延びしてしまうため。
(根っこには、yasuaki さんがおっしゃるように監督の病状と関係があると思っています。)
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かいつまんで言うと、監督は、この場面をあえてぼかしたのではないかと思います。
実は、最初に映画を観た時、カミーユがシロッコの思念波を受けていないと思いました。
(ここが、yasuaki さんとは違う所です。)
TV版 Zガンダムにおいて、 シロッコをZガンダムで突き刺してから、カミーユが精神崩壊するまで
シロッコの状態としては、2つ描かれていると思います。
① 顔がムンクの叫びのように長くなって、体からは青い思念波が出ている
② カミーユに向けて、セリフを言いながら青い思念波を放つ
そして、②がシロッコがカミーユに向けて思念波を放った場面であると考えます。
(①は、シロッコの苦痛の思いが、にじみでていると私は解釈しています。)
監督も、ここの場面をどう描くかかなり悩まれたと想像しています。
②を「明確に」描いてしまうと、思念波は、いわば「呪術」ですから
すぐに立ち直ることができない(そういう展開にもっていきにくい)と思います。
だから、映画では①だけを描き、話をハッピーエンドでスムーズに終わらせるため、
カミーユがシロッコの思念波を受けたとも受けないとも取れるような「曖昧な」描き方を
したのではないかと思います。
(たしかに、ファアがカミーユに呼びかけてから、多少時間があります。精神的にギリギリの
所だったのは確かで、ここを見て「シロッコの(多少なりとも)思念波を受けた。」と解釈させる
描き方をしたのかもしれません。ヘルメットの
顔の部分も割れてましたし。)
ここまで書いてみて、改めて思うことがあります。それは、監督の描きたかったのは、結局、
yasuaki さんの映画Zガンダム論で述べていることなんだなあと。
つまり、シロッコの思念波を受けたかどうかは本質ではない。人の心のあり方を変える(足場をずらす)
だけで、(ほぼ)同じ状況であっても、結末まで変えてしまうことができるのだと。
監督の言葉に下記があります。
・「学ぶということは、他者をとりこむことで、自己に他者を投影することである。となると、
自己はひとりではないし、また、他者が自己のものを学んでくれて、吸収してくれるなら、そこにも自己がいることになる。
ここには間接的に「自分一人で抱え込むな。」という現代の若者へのメッセージがこめられているのではないでしょうか。
(もうちょっと、心理的に深いことを言っていますが。)
もうちょっと考えられそうですが、この辺で。個人的には、ダヴィンチコードも楽しみです(笑)
(原作は、読んでいないので映画をじっくり観ようと思っています。)
Posted by: カンタービレ | April 16, 2006 at 02:54 PM
結構、今回のZガンダムのメッセージ性というのは、私も考えさせられるものありました。
私事で恐縮ですが、転職してから1年ちょっと。
まだまだ、何かにつけ、うまくいかない事が多く、苦労しています。
周囲には、次々と病に倒れていく人がいるし・・
そこで、個人的には、全面的に今回のメッセージに従おうと思い、ここ1ヶ月ほどやってきました。
何があっても、プレッシャーではなく学習のきっかけと見なそうと・・。
その結果、なんとなく、うまくまわりつつあるような気がしてきました。
うまく行っている人にはどうでもいいことでしょうが、ギリギリのところでやっている人には、有効なメッセージになりうる気がします。
自殺者が多い、50代以降のほうが、本当は、こういうメッセージは必要なのかもしれません。
Posted by: yasuaki | April 21, 2006 at 12:46 AM