日中問題について2(世界を革命するために!)
前回の続きです。本来なら、戦争責任の話に移ろうかと思っていたのですが、前回長々と書いた結果、あることに気づいたので、そっちの話を優先します。
それは、世間に流されないといっても、実際は、凡人には難しいということです。
今回書くのは、どのようにして、世間に流されないような価値観を創造し、世界を変えていくかということの実践的方法です(→ウーム、われながら、飛ばしすぎか)。
何に気づいたかというと、ポイントはまずは「飽きること」のようだということです。
(アニメの例)
例1:少女革命ウテナ「世界を革命するために」
「あなたは、何も変わっていないと思って、ずっと居心地いいこの世界につかっているけど、あの娘(ウテナ)は、もうここから出て行ってしまいましたよ」(セリフはうろ覚え)
→刺されることから、世界の革命へ
例2:装甲騎兵ボトムズの主題歌
「地獄をみれば、心が乾く。戦いは飽きたのさ。」
→数千年の戦争の後、キリコは神の後継者へ。同時に、冷凍保存により世界の拒否へ。
例3:エヴァンゲリオン
シンジ「もう、いやだ!!」
→シンジは全ての拒否のあと、神と等しくなる。
レイとカヲル「見失った自分は、自分の力で取り戻すのよ」「たとえ、他人の言葉にとりこまれても」(セリフはうろ覚え)
(哲学の例)
例1:ニーチェ
「私は、人間に飽きた。私は、人に、人間を超えることを、超人になることを教えよう。だが、その前に、人間はもっと滅びなくてはいけない。」
例2:キルケゴール「反復」
「永いあいだには、一般者についての果てしない饒舌に、退屈で味も香りもなくなるまでに反復される一般者そのものに、人は飽いてしまいます。そこに例外が生まれるのです。」
「(例外者は)いわば自分自身を破滅させようとしたその瞬間に人世から赦免されて、辛くも正当な権利を与えられます」
「彼はそれまでとは全く違った一貫した態度と不動心をもって行動したでしょう。」
「いわゆる現実は、いっそう深い意味で、彼にとってなんら重要な意味をもたぬものになるでしょう」
以上、アニメも哲学も、みんな言っていることは同じです。
周囲に流されずに、自分で価値観を創造するには、流されることに飽きることが必要なのかもしれません。
その意味では、今回の反日デモの成果を最大限に生かすには、映画の「芙蓉鎮」の5時間バージョン、
あの主人公夫婦がその後日本料理店を開くが、今度は反日デモでつぶされるというストーリーを描くのがよいのではないでしょうか?
さすがに、見ている人は皆あきるでしょう。
そして、新たなる関係の創造を模索するのではないでしょうか?
本当は、それこそ、歴史の「新しい」教科書の役割だと思います。
戦いの歴史、無知の歴史、復讐の歴史は、もう数千年続いているわけで、それを読んだ読者が、それ以上読むことに飽きること。自分もそれに加わることに飽きさせることこそ、歴史学の使命でしょう。
(→大学での専攻は歴史だったもので・・)
実践方法として、私がまず作ってみても良いのですが、読んでて飽きてしまう本を作り、しかもそれを世界に普及させることが可能なのか?ウーム。みんな、飽きてしまって誰も読まないでしょう。
このへんは、今後の検討の課題としましょう。
このへんに対し、ロボットアニメの戦争の繰り返しはどういう貢献ができるでしょうか。
(ザンボット3は飽きてしまい、厭戦感十分でしたが、ガンダムは飽きさせなかったなー)
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